徒然草はつまらない、更級日記委は面白い

徒然草はおっさんが、なんだかいろいろだらだらほざいているだけなのでつまらない。

更級日記は、菅原道真の子孫が書いた日記だ。

更級、というのは、姨捨の言い換えで、作者が年を取ってから書いた日記の意味だ。

彼女は、紫式部やカゲロウ日記の作者の親せきで、妻女である。

初めて働きに出たのが、30歳前後で、親が寂しがって泣いている。

とてもかわいい話がいっぱい書いてある。

物語が読みたくて、十一歳の時に等身大の薬師如来を彫って、物語を読ませてくださいと祈ったり、物語が読めたときには、帝軒先になるよりも幸せだと和歌を詠んだりしている。

中学生や、大人の女性に読んでほしい。

結婚も遅く、33歳で結婚して、子供を産んだのもそのころだ。
晩婚、高年齢出産もよいところだ。このころ、ようやく少し現実的になったらしい。

ふらふら生きながらたくさんの人に愛された人だ。
愛されるのには理由がある。
心がとてもかわいい。

この本がとてもおすすめだ。
この本を一冊きちんと読めば、大学入試まで戦える。
読みやすいので中学生にもお勧めしたい。

萌え萌えになって、なかなか読み進められない。
名著である。


デブを気にして

デブを気にしてかなりの時間がたっている。
ダイエットには挫折しまくり。

デブだということを気にしている時間がもったいないという気がしてきた。
太っていてもわたしは自分のことを機にいることができるんじゃないか、そのほうに頑張ったほうがいいような気がしてきた。

サイズの合った服を着れば、みじめにならなくて済む。

最近はツモリチサトが大好きだ。サイズがゆったりしているから。
古着で買っているけれど、出品する方は、きれいなものを出してくれているので、失敗したことはない。
サイズを聞いていても、会わないことはあるけれど、そうしたら、痩せたときに起用と思う。

ダイエットは長期戦だ。カロリーを減らせば、必ず痩せるのだけど、それがなかなか難しい。

昔と違って、ドカ食いもしないのだけど、薬の副作用で太りやすい。

精神的に安定したことによって、摂取カロリーが減った。

生きるためのエネルギーを仕事のために使いすぎていた時、何とか動くために、刺激を欲して食べていた。
食べることで補っていた。そうしないと、働きに行くほどのエネルギーがなかったから。

でも、今は無理せず働くことができるようになっている。

無理しないで、とよく言われるし自分でもそう思うけれど、「無理をしないで済む環境づくり」をするために、何年もかかったわけだ。

わたしは最初うつ病だと診断されていたから、正しい診断にたどり着くまでにも何年もかかった。

正しい薬じゃなかったから、過食衝動を抑えられなかった。

今はそういうことはない。

元気だと、依存して、それにすがらなくても生きていける。元気じゃない間は何かに依存することで、何とか生き延びようとしていた。

その結果太ったのだとしたら、わたしは生きるために太ったのだから、そのことを恥じる必要はない。

わたしは最善のことをしてもがいたので、太った。

周りの人は私のことをかわいいだとか、魅力的だといってくれる。

人は全体を見るから、太っているかどうかよりも、魅力があるかどうかで見てくれる。

欠点よりも先に長所を見てくれるのだ。

デブだから駄目だと苦しんでいるのは、わたしの中の問題で、ほかの人は気にしていない。

気にするのをやめたら、どんなに世界が広がるだろう。

おしゃれをしたり、おいしいものを食べたりすることで、とても幸せになる。
幸せだと、依存しなくても生きていける。
元気がある。

無理をしていたころの後遺症で、今はなかなか元気が出ないけれど、デブだから、醜い、という自動思考をいつか無理せずやめたい。


今日は人生の節目になる日

今日は、内面的にいろいろなことがあった。

気持ちがとても落ち着いていて、幸福だ。そして、そのことに興奮してもいる。

今日は、古い恩人二人に電話をした。
そして、事実婚の話をしたら「自由な時代でいいね」と言ってもらった。

アトピーのことも心配してもらった。
お母さんの友達だけど、お母さんといろいろあったと話したら、そういうときもあるから、秘密にしておくから大丈夫と言われた。

文章を書き続けていることも話したら、非常に喜んでもらった。

わたしのことを「木と同じで、ゆっくり成長する子だから、見守っていれば、大きく育つ。急いで成長させたら、引っ張ってちぎれてしまう」と言ってくれた人だった。

わたしは、人に恵まれていた。だから、生き延びていられた。
祖母のことも思い出した。
「品がある」「賢い」と言って、古典を読むことを推奨してくれ、夏休みにはずっと図書館に連れて行ってくれた。
本を読むには古典から読むといいということを後押ししてくれ、私の興味のある本を選んでもくれた。
だから、わたしは小学三年生のころから、戯曲、シェイクスピア、明治の文学、源氏物語、世界の文学全集を読んでから、現代の文学に入ることができた。

母も毎週末、図書館に連れて行ってくれたことを思い出した。
学校でもずっと本を読んでいたけれど、そっとしてくれていた、学校の先生のことも思い出した。

わたしの時代には療育がなかったけれど、結果的に療育されていたのだなと思った。

周りの大人が全力で、わたしにあった育て方を模索してくれていたから、今のわたしがあるのだと思った。
しみじみと、幸せが押し寄せてきた。

大学生のころ、長期休みには祖父の介護を手伝いに行った。
ブックカフェで、九十八歳のお母さんをみとった人と話ができて、そのことを思い出した。
祖父は、大福をほおばりたいといった。わたしは、それを買ってきて、死んでもいいと思って食べさせた。
幸せそうだった。祖父は泣いた。

医者は、食べさせてはいけないというしかない。
でも、わたしは一年長く生きるよりも、食べたいものを食べさせてそれで死ぬほうがいいと思った。

祖父は、畑のことを最後まで気にしていた。

叔父が、病院に入院させてしまったので自力で排泄をすることができなくなったので、祖父は、多臓器不全ですぐに亡くなった。

排泄を自力でできなくなると、人は死ぬのだと思った。自尊心を失われれうと、人は狂うしかなくなるのだ。狂うか、死ぬかだ。

犬を最期までみとったのもわたしだった。大好きな犬だった。

祖母は、叔母に引き取られて暮らしていたが、世間体に囚われて、叔父に連れられて行って、孤独に死んだ。
葬式はひっそりとおこなわれて、誰も呼ばれなかった。
死因を叔母は言わなかった。そういうことだと思う。

急いでも、急がなくても、人は死ぬ。
わたしは、母に電話をした。元気でいる、事実婚をした、幸せでいる、それだけを言いたくて電話したと留守電にかけた。
六帖さんにはまだ早いのではないかと言われたけど、電話してすっきりした。

母がしてくれたことをたくさん思い出した。

二十時間くらい寝る時期も放っておいてくれて、無理やり学校に行かせなかったことや、博物館に連れて行ってくれたこと、教育に関して、わたしに最適なことを常に選んでいてくれたこと。

母が狂ったのは、父がひどいことをしたからだと思った。

狂った母と一緒にいることはできないから、しばらく距離はおくけれど、いつかまた会える気がする。

勉強の大切さや、大学に行けば私の疑問を解いてくれる糸がいるということお教えてくれた母は、まっとうな人だったと思う。
わたしが学問の世界でしか生きられないことを知っていて、教えてくれたのも母だった。

わたしの適性を見抜き、それにあったことをいつもしてくれた。

妹と、物の格差はあったけれど、妹がほしがったのは、モノばかりだったから、精神的なものは私に贈り、物質的なものを妹にあげたのだろうとなんとなく、納得した。

今日はいろいろなトラウマを開放で来た。

幸福な中にいると、今まで怖かったことが怖くなくなった。

アマゾンで出版した本のレビューを久しぶりに読んだら、励まされて、勇気がわいた。

今読むと未熟な面が目立つけれども、あの時書いたことは無駄ではなかったのだ。
いつだって、完ぺきにはいられないのだから、「今」わたしの全力を書くことに意味があるのだと思えた。

わたしには、いろいろな人がついてきてくれていて、見えない人も味方だ。
敵も多いけれど、見なければいい。

若いころは、見ないようにすることができず、何もかも見てしまっていたから苦しかった。

正確にいることと、見ないでいることは、両立するのだと思った。

苦しいことも、ないほうがよかったかもしれないけれど、むだじゃないと心底納得できた。

わたしは、経験が必要だった。

鏡を見ると、若いころ、のっぺらぼうだった顔が、はっきりして、目に力がある。
わたしは、「まし」以上に、いい人生を歩んでいると、鏡が教えてくれた。

だから、電話できた。

辞めた会社の前を歩いて、上司の車の前を横切った。
平気だった。

別れがあれば出会いがある。
別れはさみしい。
でも、別れにしがみついている間は、新しい人と出会えない。
別れを手放すことが少しずつできつつあって、そして、別れを手放すことで、いつか、再開することも、夢ではないのだと思う。

年を取って、十年という単位が身近になった。
だから、わたしは十年でも二十年でも、もう待てる。

その間、わたしは、楽しく、幸せに暮らして、時間を費やせる。
幸せでありさえすれば、健康でありさえすれば、たいていのことはなんとかなるのだと、経験から学んだから、もう怖くない。

わたしは怖くなくなった。


学問の起源

学問は、ギリシアで生まれた。
最初は哲学、そのあとに、音楽と文学が生まれた。
文学というのは、詩や歌を指す。
詩や歌を神にささげた。哲学も、神にささげるものとして生まれた。
その後、天文学、数学という順で発展する。物理と数学は不可分だった。

紀元前300年ごろ、ユークリッド原論ができあがる。
アラビア数字も、零もまだ発明されていないから、言葉だけで、定理を説明している。
この原論をもとにして、今の中学、高校の数学は行われているので、まとめてユークリッド数学、と呼ばれている。

一とは何か、自然数とは何か、と具体的に考えると難しい。
でも、ユークリッドの考えた世界の中のルールに沿って、勉強しているのだと説明すると、生徒は、何のために勉強しているのか納得しやすい。
ユークリッドさんが言っているんだから仕方がないよね、となる。

ユークリッドさんの時代には、まだ数字がなかった。
だから、全部、数直線で計算があらわされている。もしくは、ギリシア文字で数字を代用している。
そのため、高等数学にはいまだにギリシア文字が使われる。

ユークリッドさんは、一が一じゃなくても、成り立つような汎用性を持った定理を考えた。
だから、無理数や、虚数が発明されても、ユークリッドさんの考えた世界の中で遊ぶことができる。
ユークリッドさんの思いつかなかった世界の数学は、ほかのところで行われている。

そういう話を生徒さんにすると、とても盛り上がる。たった一人の考えた世界が、いまだに通用している。

数字がない文化はたくさんある。数字がなくても計算ができる。
ただ、数字は持ち運びをしなくてもいいので、簡単に共有できる。digitalなのだ。

ロープや数直線は、アナログである。

それから、ずっとあと、ピタゴラスは、ピタゴラス教団を作った。
ピタゴラスは三平方の定理を、教団のシンボルマークにしていた。
世界は数でできていて、必ず割り切れる、というのが彼の考えだった。
しかし、三平方の定理から求められる数は、無理数だ。
分数では表すことができない。

そのため、そのことを発見した弟子は殺された。
数学を勉強することができるのは僧侶だけだった。
計算自体は、商人も勉強できたが、数学は世界の心理に触れるための、神聖なものだった。教義だったので、漏らすことが禁じだれていた。

無理数だったことは、しかし、一人が発見した時点で、ピタゴラス自体も知っていた。その以前からも知っていただろう。
そして、教団は瓦解する。

正しいこと、真理は広まっていく。それと同時に知るべきことも増えていく。

今日考えていたのは、ビッグバンのことだ。

独楽をモデルに考えた。

独楽を回すと、遠心力がかかる。そして、重力が中心にかかるので、立つことができる。

すべての物質には、崩壊したいという意思と、自分の姿を保ちたいという意思がある。

自分の姿を保ちたい、という意思がより強く働いたものが有機物であり、生物であると考えている。

では、崩壊の意思、エントロピーとは何だろうか。

独楽を回すときに、テーブルがないと、独楽が回ることはできない。
テーブルには摩擦力がある。
摩擦力が、独楽の回る力を奪う。しかし、独楽が回る前提には、テーブルの張力が必要だ。

宇宙も回転している。ビッグバンの時点から、質量保存の法則から、宇宙全体の質量は変わっていない。
宇宙は膨張している。ということは、その外に、何か他の概念による、「空間」「時間」に相当する概念の何かがあるはずだ。
しかし、わたしたちは、それを認識することも、名づけることもできない。

回っている独楽が、テーブルのことを認識できないように。

わたしたちの宇宙を回し始めた瞬間をビッグパンと呼ぶとすると、独楽を回し始めた手があるはずだ。
その手の持ち主のいる場所では、テーブルの持つ平面が必要だったのだろう。
平面がなければ、独楽が回らないように、宇宙が回り始めるためには、何かが必要だった。
テーブルに、摩擦力が存在するために、独楽は必ず泊まる。
独楽が回るために、必要なテーブルが独楽を止める。
それと同じことが、宇宙にも起きていて、宇宙を回すために必要な前提が、宇宙にある物体を崩壊せしめるのだ。
だから、崩壊に向かう法則、秩序が失われる現象、エントロピーは、我々の世界のルールから来たのではなく、宇宙の外の都合によるものだという仮説がある。

このことについて、議論している時間がとても楽しかった。


察するなんて錯覚じゃないのか

察するという言葉をよく聞く。
察してしまうから困る、ということも聞いたことがある。
自動的にそうしてしまう、ということらしい。

でも、人によって経験も脳も、脳の機能も、手続きも、ルールも違うから、察したとしても、答え合わせができない。
間違っていたとしても、わからない。
間違いを間違いとして認識できないということは、それは錯覚じゃないかと思う。

同じルールで生きている人の中では、ありうるのかもしれないけれど。

わたしも、「察してもらった」ことがたくさんあるけれど、どれもわたしの気持ちと外れていた。
だから、「察してもらった」ことに合わせた反応をした。察せられたことを察したわけだ。
それが正解だったかはわからない。でも、察した側が、わたしの正解じゃなかったことは確かだ。
察する文化の人の正解に合わせるほかなかった。だって、その人は、自分の正解を、世界を疑っていなかったから。

わたしをかわいそうに思って、わたしに助言することで、自分を保っている人もいる。

わたしが物事を察せないことをかわいそうだと思っている人もいる。

でも、わたしは結構だいじょうぶに生きているので、かわいそうじゃない。

それでも、その人が「かわいそう」だから、かわいそうなふりをして、「察してもらって」いた。

本当はその人だってかわいそうじゃない。でも、かわいそうだと思わないと、わたしの気持ちのつり合いが取れなかった。

自分を保つために、わたしを供物にして、そうすることで、自分の精神を保てるのならいいのかなと思った。

それだって、わたしなりの「察した」ことだけど、正解だとは限らない。

今は不正解だったと思っている。自分にとって、それは幸せなことではなかったから。
マウンティングの一種だと思う。

助言や、察してもらうことは、わたしが求めたときだけだ。言葉によって。
態度によって、「こうだ」と思われることは、たいてい正解じゃない。脳のルールが違いすぎるから。

察する、というのは、「自分と他人が違わない」という前提に立った時にだけ、機能する。
相手が違いすぎていたら、察することはできないはずだ。
しかしそれでは、相互理解は進まない。
相手と自分が同じような人間だと思い続けて、訂正が利かない。

わたしをわかりたいと思う人は、わたしの言葉に耳を傾けてくれる。言葉も完全ではないから、誤解はある。でも、言葉同士の誤解は、比較的に、修正しやすい。

わたしにはできることがたくさんある。
それは、定型だとか非定型だと関係なく、わたしにできることだ。

わたしの能力を恵まれているという人もいる。わたしをかわいそうな人だという人もいる。

でも、わたしには、その評価は関係ない。私に関係あるのは自分が下した評価ですらない。

わたしができること、できないこと、今後できるようになることだけが関係がある。

察する、というのは、現状のルールに甘えているということだ。
錯覚を、その錯覚のまま、温存してくれるものに頼るということだ。

察することをやめられないという人もいた。でも、やりたくないなら、きっとやめられる。
やりたいから、やめられない。錯覚を信じていたいのだ、とわたしは解釈する。

わたしが、コミュニケーションができない頃から、あきらめないで、コミュニケーションをとれるようになったのだから、同じような分量の苦痛で、やめることはきっと可能なのだと思う。

でも、やめたくないのだ。便利だから。錯覚同士の世界でやり取りしているほうが早いから。不都合がないから。

わたしにも、察するという錯覚は、薄いけれど、ある。でも、一人一人が違うと信じているから、錯覚だと断ずる。

わたしの世界を他人は共有できない。そういう前提に立っている。

その認識の中で、それでもわたしに近づいてくる人、知りたがっている人に、言葉が届けばそれでいい。

わたしは、かわいそうでも、うらやましい存在でもない。ただのわたしだ。ずっと、いつも、自分を改良し続けたいと願っているわたしだ。
わたしのことを、本当にわかる人はいない。わたし自身を含めて、わたしのことは、だれにもわからない。
それでいい。

知りたい秘密が多ければ多いほど、生きる動機になるから。察する、という文化は、その秘密すら、ないことにしてしまう。

だから、わたしの世界には、察するという錯覚はいらない。


コミュニケーションと非定型のわたし

わたしは、最近コミュニケーションがかなりできるようになったと思う。
だから、もしかして、実は定型なのかなと思って六帖さんに聞いた。
「やり方が違うから非定型だと思うよ」と言われた。
「すごく頑張って練習して違うパターンで身に着けた感じだから、やっぱり、定型の人とは違う。疲れてるし」とのことだった。

「非定型でも身に着けられるんだけど、すごく頑張らないといけないし、でこぼこはやっぱりある」
という話をした。

六帖さんも自閉症なので、わたしと六帖さんの間でコミュニケーションで困ることはあまりない、と言いたいところだけど、同じ自閉症でも違うので、やっぱり難しい。
六帖さんは主語を省略して話すけれど、自分がされると、違う。
言葉通りに取るので、頼みごとをするのにも、細かく何をどうすればいいのか話さないといけない。
よく、そういう齟齬が起こる。

そういうものだ、とお互い了承しているけれど疲れているときは、わたしもしんどい。

わたしは、言語能力が高いので、それで何もかも補っている。
でも、音が「言葉」として話しているときに、入ってこないので、何度も聞き返すことはよくある。
音は聞こえるのに、相手が何を言っているのかわからない。
音と言葉はずれている。
わたしは、その部分を補えないから、耳が遠いのでということにしている。

話の筋を追っていればだいたい何とかなるけれど、突発的に話しかけられた時には、何を言われているのかわからないことも多い。
状況から脈絡がないとお手上げだ。

生徒が何を言っているのかは、勉強をしているときに限られるから大丈夫だ。
でも、そうじゃないときには、よくわからないことも多い。

だから、人と話した後はすごく疲れる。疲れるけれど、人と話したいという欲求はある。

コミュニケーションというものが、なんなのか、考えるけれど、意思の疎通以外のものを含んで、世の中の人は話しているような気がする。

相手の気持ちを察する、だとか、相手の要求を先回りする、だとか。

でも、先回りしなくても、伝えあってから、何かするのでも、いいような気がする。

自動的にしてしまうんだよ、と言われたことがあるけれど、そういう人の苦しみはわからない。

わたしの苦しみはわたし自身が発信するから、誰かにはわかってもらえるけれど、他人の苦しみまではわからない。

コミュニケーションにはいろいろな姿がある。
わたしには、言語がある。


非定型の世界と誤解

定型の人からすると「非定型」の人はわかりにくいかもしれません。
わたしはというと、非定型ですが、定型の人のことも、非定型の人のこともわかりません。
定型の人が、「提携の人のことならわかる」というのは、幻想ではないかと思います。

「非定型」の非は、「定型」ではない、という意味です。定型を基準にして、その基準からあふれた人のことを「非定型」と呼んでいるわけです。

でも、定型同士でもわかり合っているとは思えません。わかり合っているならば、困りごとも生じないわけですから。

非定型の人は、なおさら、世の中から弾かれます。

難しいと言われている生徒さんの中にも、医者ではないですから診断はしないですが、非定型かな?と思う人がいます。

そうした生徒さんに合わせるのは、苦痛ではありません。

そうした生徒さんを伸ばすためには、その子の好奇心の内容にフォーカスすることが大切です。
どんな題材からでも、歴史、地理、数学、国語、英語は必要になってきます。
背景を学ぶことで、その先があるのだと示せます。

コミュニケーションの仕方が、「我々」は異なっています。
異なっていますが、それは、当たり前のことです。定型の人たちが「当たり前のように共有している」と幻想を持っていることを、はがした状態が私たちなのだと思っています。

表情や、言外の意味、そういったことが読み取れないことは、今の世界ではハードルかもしれません。
でも、そのハードルは、越えなくても、くぐれます。
越えなくてはいけない、というのも思い込みです。

表情でやり取りするのは、瞬時にやり取りするのには便利かもしれません。でも、誤解も多く生みます。

わたしたちは、言葉で誠実にやり取りすることも可能です。言葉が足りなくて誤解を生むこともありますが、それは、定型の人たちと同じくらいのリスクです。

言外のやり取りで誤解を生むのは非効率に見えます。
表情がなくても、コミュニケーションができる、文字の世界がわたしにはあります。

わたしに、言葉の世界があるように、ほかの非定型の人にも、音楽や、絵画、いろいろな手段があるはずです。
世界にコミットすることが、わたしは、怖くないです。怖くないし、やりたいと思っています。

非定型な人は、必ずしも、全員が、人とかかわることが嫌いなわけじゃないです。
関わることが嫌いだとしても、なんの、そしられる理由にもなりません。

わたしたちは、やり方が違います。定型の人たちも、本当は一人一人やり方が違うはずです。でも、その際をないことにして、均一化しようとして、それが挫折したのが、今の世の中の苦しみを生んでいるような気がします。

定型の人たちも、非定型のわたしたちと同じように、細かく、考えて、観察して、自分のことをよく把握することが大切だと思います。

わたしたちは、少人数です。だから、差異と向き合わざるを得ません。向き合わなくてもよい環境は便利かもしれませんが、幸せとは限らないと思います。


塾講師という「困りごとを解消する」仕事

塾講師というのは、人の困りごとを解消する手伝いをする仕事だと思っています。

生徒は困っているから、塾に来ます。その状態をいくらかでも「まし」にする手伝いをするのが塾講師だと思います。
塾講師は学校の教師とは立ち位置が違います。
全体を教えるのが学校だとすると、一人一人に合わせて、その子にチューニングするのが塾講師だと思います。

予備校の先生は、勉強させた気にして帰すのが仕事になってしまう場合が多そうです。
わたしは、マンツーマン、少人数制なので、勉強させた気にすることで満足度を上げることには興味がなく、本質に触れて、きちんと基礎をわかって帰すのが仕事だと思っています。

なんのためにそれをするのか、先にはどういう世界が広がるのか。
それを教えたら、子供は興味を持つので、勉強への苦痛を軽減できると考えています。

勉強に対して苦痛を感じていることも、困りごとの一つです。
だから、その苦痛を軽減する、その結果、勉強ができるようになる、自分でも知りたいと思って勉強するようになる、というのが、理想の形だと思います。

短い時間しか一緒にいられないので、自分自身でどれだけ努力できるようになるのか、努力と思わず勉強できるようになるか、それを支援するのが肝だと思っています。

勉強すると、人生が開けます。勉強する習慣が持てれば、資格も取れます。

わたしは、子供に、生きる力を持ってほしいと思います。
誰かが死ぬのは本当にもううんざりです。
天寿を全うするまで、あらゆる困難に折り合いをつけられるような、力を持てるような支援をできたらいいなと願っています。

実際には、完ぺきな人間ではないので、「まし」な状況を作れればいいなと願いながら働いています。


双極性の症状のサイクルと世界の小さな謎と影と光

今はうつ状態で、一日のほとんどを眠って暮らしています。
わたしのサイクルは、三日から一週間で躁鬱が変わります。

躁状態になると、「自分を抑えなくてはならない」というプレッシャーがかかって、より、苦しくなります。
鬱状態の時は、焦りつつも、眠っていればいいので、案外楽です。
体を動かしたり、お風呂に入って体を温めたりという対処方法が読めてきたので、なんとかなります。
でも、躁状態の時は思い付きで何をするのかわからないという怖さがあるので、慎重になります。
飛び出したい気持ちを「抑える」」力が必要になるので、とても疲れます。

過剰に集中したり、過剰に活動したりするので、鬱の時に反動が出て、疲れからぐったりしやすい。
波を小さくするために、いかに躁状態の時の「やりたいこと」を我慢するかによって、鬱状態の落ち込み具合が変わります。
それがわかっているので、いろいろやりたくなる気持ちをぐっと抑えなくてはいけません。
その、「抑える」ということがとてもつらいです。

今はうつ状態なのでなにも我慢しなくていいです。
でも、「自分は醜い」「自分は太っている」という声が自分の中からします。

「こうあらねばならない」というのは、世の中のピラミッドの頂上にいる人たちが、自分のサイズの箱を作って勝手に決めたものだから、自分がその箱に納まる必要はありません。

でも、自分の中で、どこかに「その箱に入って収まらないといけない」という気持ちがあります。
ピラミッドの上の人以外は、誰だって、箱に入りきらず、はみ出るというのに。

みんな、箱があると安心します。その箱に入れれば、見ないでよいことがたくさんあるから。
世の中になじめていると錯覚できるから。

しかし、大切なのは箱に入って「世の中になじむ」ことよりも、自分が幸せになることです。

世の中になじんだところで、幸せは保証されません。世の中に殺される人がたくさんいます。

わたしは病気だから、はみ出し具合が自覚しやすいです。だから、あきらめることもできます。

しかし、箱に入る条件が整っていると見える人は、年齢だったり、仕事上の成功だったり、そういう目に見える簡単なことに騙されます。
年齢なんて、誰かが決めた勝手なことだから、それに合わせる必要は一つもないし、仕事の成功も、狭い世界のことです。

勉強をしていると、世界でわかっていないことがたくさんあるとわかります。
それをわかりやすくして、わかったふりをしていても、何の意味がないとわかります。

わからないからこそ、面白いです。もっと知りたくなります。わたしは、世界の謎を解き明かすことなく死ぬと思いますが、自分の謎を一つ一つ、ほんの少しでもわかりたいと思って生きています。

世界の不思議に比べて、人間の世界の謎は小さいです。
小さい謎に苦しんだり、殺されたりします。

小さい謎から逃げることが大切です。

わたしは、人の気持ちもわからないし、世間もわかりません。
わからないなりに、あがいて、逃げて、折り合いをつけています。

人の気持ちがわかる人なんて本当にはいません。いるのは、人の気持ちをわかろうとあがいている人だけです。

わたしは、自分の狭い能力の中でそれを目指していきたいと思っています。

わたしが分かる可能性があるのは、自分の病気とともに揺れ動く感情だけです。

けれど、この可能性を書き続けていったら、誰かの小さな謎を解き明かすヒントになるかもしれないと思うのです。

わたしの心の中で動く、躁うつ病という不思議な波は、わたしに様々な経験をさせます。
それは、誰かと交換できません。

誰の人生も交換できないのと同じように。

誠実であればあるほど、暗闇を見てしまいますが、それと同時に、美しい光も同じくらい見られるはずです。

影からは逃げられません。

わたしは病気という形で持って、影と向き合い、光を探したいと思います。


「自分にやさしくする収納」出版しました。

今日、自分にやさしくする収納を出版しました。
具体的なことは書かれていないです。
ただ、わたしが収納に関して感じたことを短く書いた本です。
自分を追い詰めないように、それでいて、家を片付けるということが、わたしにとって難しいことでした。

収納について、学んだことがなかったので、とても苦労しました。
ヘルパーさんに一つ一つ学んで、考え方を変えていきました。
こうしなければならない、という凝り固まった考えを一つ一つ捨てることで、自分に合った、自分らしい収納にたどり着きました。
良かったら読んでみてください。