わたしは、今まで自分でも気づかなかったけれど、言語性チックがある。
言語性チックは無意味な言葉を連呼することだ。ストレスが高まると卑猥な言葉を連呼することもある。
そのときわたしが何を考えているかというと、自分を必死て保とうと思っている。
現実から遊離しそうな感覚を音によって現世に戻している感じ。
言葉自体に意味はなく、リズムやいう時の心地よさや解放感を味わっている。
言語性チックに限らず、疲れてくると、体を揺らしたり、踊ったり、ぶらぶら動いたりする。
周りからは陽気な人に見えるみたいだ。そういう風に工夫してきたんだろう。
今まで変な歌をいつも歌っているのはなんでだろうと、われながら不思議だったけれど、緊張を緩めようとしていたみたいだ。
言語性チックが今日はひどかったので、気が付いた。
歌いたいというわけじゃないのに、自然と出る。
家にいるとずっとそうだ。
わたしは、一見自閉症っぽく見えない。わたし自身も疑うことがあるけれど、それなりに重いんだなと思った。
現実に対応するために、たくさんの努力をして、言語性チックも受け入れやすい形に工夫して、今もそれは健在だ。
言語性チックを無理に抑えようとすると、具合が悪くなるから、抑えないほうがいいと六帖さんも言っていた。
言語性チックを行っているときのわたしの気持ちは無に近い。
ただ、今歩くことを頑張ろうだとか、今人といることを頑張ろうだとか、限界でも何かしないといけない場合によく出る。
だから、そのときは、必死になって、現実に合わせようとしている。
現実に合わせようとしているけれど、言語性チックは現実の人に許されにくいので、現実と適合するのは大変だ。
自閉症スペクトラムって結構大変だな、と自分のことながら改めて思った。
自分でもそれが自閉症由来の動きだとわかっていなかったから、驚いた。
だから、自分に合ったタイプの人とだけ接するということを今は選んでいる。
言語性チックを気にしない人といる。