タイトルがすべてなんですが、以下述べていきます。
萌え絵はそもそも少女漫画の顔に男好みの体をくっつけたキメラ的な技法のもとで描かれています。
少女漫画の顔に大人の体、というキメラ的な描き方をしている、と指摘したのは大塚英志だったかと思います。
1990年代に萌え絵が発生しだしたと思うんですが、そのとき、リアルタイムで萌えキャラそのものに注目して文章にしていた人はかなり少なくて、大塚英志と東浩紀と斎藤美奈子くらいだったと思います。
わたしの実感ともそれはあっていて、萌えキャラは、はじめにときめきメモリアル、同級生というようなギャルゲーのタイトルを経て、その後エロゲーに発展していきました。
男好みの体、というと、わかりにくいかもしれませんが、ほっそりした華奢な体に、誇張された胸部が描かれている、という風に読んでください。
以前は、萌え絵が少女漫画のキャラの技法上にあること、そして、それにも関わらず、性的なニュアンスを加えていることについて、ある程度の合意が取れていたように思います。
今は、萌え絵には性的なニュアンスがない、という意見の人、強い言葉で言う人は「フェミは性的ではないものから性的なものを探し出している」という風に言います。
しかし、わざわざ、「少女漫画のキャラクター」と違う技法で描く理由があるはずです。意図や判断、好み、と言ってもいいかもしれません。
それは、「性的に誇張したいから」という理由ではないんだろうか。
(少女漫画や、子供向けのキャラに萌え絵が逆輸入されていることも今はあると思います)
萌え絵の歴史的な経緯を書きます。
わたしが初めて萌え絵というものを認識したのは、二十年前です。「はじめてのおるすばん」というえぐいエロゲーのキャラを見せられたのです。顔がすごくかわいいな、と思ったと同時に、その場の雰囲気を含めて異様な感じがしました。相手は同級生だったのですが、わたしの反応を楽しんでいる様子でした。なんだろう、良く知っているもの、つまり、少女漫画のキャラみたいな感じなのに、すごく変な感じがする、と思ったのを思っています。これがセクハラなのは明らかですが話が変わってしまうので。
あのキャラっていわゆるロリもので、公式上は十八歳以上ということになっていることも知っていますが、「はじめてのおつかい」を意識したタイトルから「幼い」キャラに何事かする、というゲームなのは明らかで、それは暗黙の了解ですよね。欺瞞なのは、ユーザーも知っていました。
必要とされているのが、「かわいい」だけなら、少女漫画でいいんですよね。
でも、「萌え絵」なんですよね。萌え絵がいい。そういう人がとても多い。そして、萌え絵のほうが公共の場に多く露出している。
それは、萌え絵が男性向けにカスタマイズされているからだと思います。男性に受けるものは、公共の場に出やすいです。それは、意思決定をする人、つまり、組織の上部が男性で構成されているからだと思います。
「かわいい」という言葉は、たくさんの研究がされていますが、一つの結論で、かわいいというのは「幼い」という特徴だと言われています。
萌え絵は、「かわいい顔に大人のボディがついている」というは、かわいいを幼いに置き換えると、つまり「幼い顔に大人のボディがついている」ということになります。
みんなも見慣れて感覚が変わったから大丈夫なのだ、という人もいます。でも、わたしは価値観が変わってしまった、ということを問題にしています。
萌え絵の出発点が、「男性に向けた性的なニュアンスがあるもの」なんです。少女漫画にもエロティックな描き方はあります。でも、それは、あまり表には出てこない。エロティックな描き方の少女漫画のカットが広告に使われることもほぼない。
もちろん、社会は変わったから、萌え絵=エロゲーのキャラ、という感覚が古いのはよくわかります。絵柄自体も大きく変わりました。使われる場面も変わりました。
でも、今の萌え絵の描き方のコードが、あまり変わらないように思うのです。古い例ばかりですみませんが、十年前のゲームの、ラブプラスも、こするとゲージが上がって、ハートが出て頬を赤らめてくっついたり、キスをしたり、というのも、やっぱり「エロ」ではあるんですよね。全年齢対象なのは知っていますが。
あれも、やっぱり「愛でる」行為だと、身近にゲームをしていた人がいるのは知っていたんですが、その「愛でる」の内容は、「エロ」も含まれているのではないかと。
わたしはとても疑問です。エロいと評価し楽しんでいたものに、「エロいですね」と言われると、どうして「エロくはない」というんだろうかと。テンションが上がって、「わー」となる、かわいい、楽しい、ってなる気持ちを否定したいわけではありません。わたしもそういう気持ちになるキャラはいます。
誰かがエロいものとして楽しんでいないとしても、エロい文脈で楽しんでいる人がいて、そういう文化がある、ということは、ファンならば特に目につくことでしょう。
話は変わりますが、わたしが疑問なのは、「エロ」として楽しんでいたものなのに、「エロ」だね、と指摘されると「エロじゃない」というのは、なぜなんだろうということです。
萌え絵はかわいいから、というのだったら、別に少女漫画の絵でもいいはずです。顔は同じ技法をもとに描かれていますものね(今の少女漫画ではなく、わたしの感覚だと、90年代から00年代の絵柄を発展させたものだと感じます)。
愛好家たちも、萌え絵と少女漫画のキャラクターの違いは、たぶん見てすぐわかってるんじゃないかと思います。ほかの人も言っていましたが、それが微かにエロティックであるか、とても露骨にエロいという差はあるし、軽重の差も重要だとは思います。
その愛好家や、愛好家じゃない人間にもわかる「違い」の部分は「エロ」「客体化、モノ化して、消費している」点に立脚すると思います。
なぜ「好きなのは、性的に誇張されていて、エロいから、それはとてもいい、だから好きなんだ」と言わないんだろうかと思います。
エロはダメだと思ってるんだろうか。
わたしの立場では、女性や、女性の表彰をモチーフとしたキャラクターにエロティックなものを背負わせて、モノ化し、客体化し、「女とはエロティックなものだ」という無自覚な価値観や、ジェンダーロールを強化することは、ダメだというしかないけれど。
Twitterでも見かけた意見ですが、エロは好きじゃないから嫌だ、という意見も当然です。
結論としては、歴史的な経緯から言っても、萌え絵が性的なニュアンスを含まない、性的な誇張がない、というのは難しいのではないかと思います。
(事実誤認に基づく記事を公開してしまったので、大幅に変えました。ご迷惑をおかけしまして申し訳ございません)
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いつもブログやツイッター拝見しいろいろ参考にさせていただいてます。
ところでココでの萌え絵の定義「幼い顔に大人のボディがついている」という言い回しが私のこの記事の表現とすごく似ておりびっくりしました。http://karamandarine.hatenadiary.jp/entry/old-mania
男女ひっくり返すとそのまま「いわゆるヲタ」というものになってしまうのではないか、という自分の中での発見があって、いまちょっといろんな意味で腑に落ちているところです。
私が最近よく取り上げてるテーマに共通してるのは「自分だってかつてはあなた達の仲間だったはずなのになぜ今こんなにも考えが離れてしまったのか」というところです。自分も非モテでヲタだったが、今の彼らのことを自分と同じとは思えません。それは自分が変わったのもあるのでしょうけど、おそらく実は昔から私と彼らの間には深い溝があったのでしょうね。それを見ないふりしてた。そんな感じだったのではないかと思いました。
それではまたです。
こんにちは
はてなブログの時に何回か引用していただいたので、ブログは読んだことがあります。
わたしもびっくり仰天しました。
なんとなんと。
無意識に盗用したかなと心配になったんですが、読んだことはなかったのが分かり、ちょっとほっとしました。とはいえ、気を付けているんですが、なんとなく覚えていたのを無意識に使っちゃうこともあり、そうだったら申し訳ないなーと思いました。昔はそういうことにも無頓着だったんですが。該当の記事は、面白かったです。
似たようなことを考えているんですね。
ひっくりかえすと、って、最初わからなかったんですが、オタクが子供大人ってことですね。
わたしも、彼我の違いに、驚きを感じます。特に、萌えかつ児童虐待ものに対する態度はぞっとします。
昔からなじめなかったんじゃないでしょうか。maicouさんは。
適応するしかなかったというか。
ありがとうございます。
「大きいお友達」という言葉の意味が、真に理解できた感がありますね。さながらこういう文化は「大きいお友達」が「大きい幼女」に萌える文化ということなのかも知れません。
この辺たどっていくと自分的には80年代の闇に繋がっていきます。おっしゃる通り、当時から彼らに自分が馴染めてなかった、というのは正しい気がします。
http://h.hatena.ne.jp/maicou/81810698065840941
この件、まだココでメモしてる段階ですが、また近いうちまとめようと思ってます。
そうですね。平和な男オタクのひともいるんでしょうが、とにかく目立たなくて、男オタクはみんな話が通じない、無知でいることで無敵を誇っているんじゃないかと思ってしまいます。
わたしの周りは、男性には、オタクが多かったです。オタクじゃない人が珍しかった気がします。
なじめていなかったけど、なじもうと無理をしていたなと思います。自分はオタクじゃなかったのになぜ無理をしたのか今ではそれも「女性は人の話をきくものだ」という教育のせいかなと思います。
オタクは加害しない、というのは、嘘だと思っています。加害だと思ってないだけでけっこうしている。わたしはされたなーって。
こんにちは。ブルデュー多様性です。
読ませていただきました。
意見を述べてよろしいでしょうか。
同じ女性として、本名を出して批判します。私はビアン寄りのバイです。
TGism批判の部分については賛同します。そもそも今の萌え絵は吾妻ひでおが1979年に出した同人誌『シベール』が起源ですよ。
そもそも、「萌え絵が性的」と言う根拠に個人的な経験をソースにするのは無理があると思います。
Christina Hoff Sommers(以下ソマーズ)は、自著の『Who Stole Feminism?:How Women Have Betrayd Women(仮訳:誰がフェミニズムを盗んだか? 女はなぜ女を裏切るのか)』で、男性性を攻撃し、なくそうとする現代フェミニズムの風潮を「ジェンダーフェミニズム」と名付けており、それを批判しています。
日本語訳はされていませんが、名著なのでぜひ読んでみてください。
萌え絵が性的であるかどうかは、性的であるかないかで言えば、性的と看做す人も居るでしょう。ただ、疑問を抱くのは、あなたが「生物学的性別はある」という立場を取るなら、それこそ萌え絵を描いているイラストレーターさんや漫画家、出版社、ゲーム会社の中の人、様々な人にインタビューを行い、確りと分析したほうがいいと思います。
萌え絵クリエイターには女性の方も多いです。男性向けのクリエイターも、女性も相当数います。
成人向けで活躍するクリエイターですら、はましま薫夫さんや、チキコさん、知るかバカうどんさん、岡田コウさん、雪雨こんさんなど枚挙に暇がありません。
萌え絵を「男性のもの」と断じるのは、萌え絵を好む女性ファンや(現実問題、知るかバカうどんさんは女性ファンも多いです)、生物学的女性、レズビアンやバイセクシュアルの女性、トランス男性に対する抑圧ではないかと私は思うんです。
勿論、萌え絵に苦手意識を持つのは理解出来ます。然し、個人のTwitterならともかく、このようにブログ記事として書くなら、ちゃんと資料は当たっておくべきだと思います。
ただでさえインターネット記事は玉石混交ですから、この手の荒れる話題について言及するなら、尚更です。
萬田杏実夏