「萌え絵が性的である」と言ったときのよくある反論について

キズナアイを例にとって書きます。

それは、

があるからです。

個人的には質問の形をとった反論だと思います。それはおいておくとしてコメントでも答えましたが、

  1. キズナアイが性的かどうか
  2. ジェンダーロールの与える影響は少ないはず
  3. 女性が描いている

1については、わたしが性的か判断するかどうかは本論で書きました。このコメントでわたしが大切だと思ったことは、キズナアイはやっぱり萌え絵なんだなということです。

でも、上記の記事で、わたしは「エロいからダメだ。嫌いだ」とは、言っていないんですよね

「性的に誇張されたキャラクターならば、NHKの子供向け番組にはふさわしくない。また、番組内の役割からいっても相応しくない。なぜならばジェンダーロールを強化するから」と言っているんですよね。

なぜ、キズナアイを好きな人たちは、キズナアイが性的ではない、ということを前提に主張するのか不思議です。残念でもあります。

2についてですが、コメントした人も認めている通り、ジェンダーロールへの影響はあります(影響は少ないと思いますというのは、つまり、あるかないかでいえばあるってことです)。そして、その影響が少ないか多いか判断するのは、誰が適切か、ということです。

答えは誰も適切ではない、です。

影響が少ないと思う人もいるし、多いと思う人もいます。

わたしは多いと思う人です。だから、その根拠を書きました。「多様な描かれ方をした女性キャラクターは多いから、影響が少ない」わけはないと思うんですよね。本当に多様化しているのか、という検証はなされていません。検証するなら、「多様化したキャラクター」という定義をしなくてはいけません。

また、コメント主さんも検証したわけではないと思います。影響が少ないという検証も難しいです。

この世の中から女性差別が完全になくなったら、「少ない」と言えるかもしれませんが、そうではないんです。女性差別はあります。

余談ですが、女性差別がある、という現実を認めない人は多く、データを出せ、と言われることが多いです。民法一つとっても、義理の父母の介護をしていた「嫁」の遺産相続がゼロ、とか、再婚期間に制限があるとか、ほかにもたくさんあります。もしくは、日本の女性の睡眠時間が一番短い、日本男性が家事をする時間が世界有数で短い、日本男性が育休を取るのは、3.6%で、しかも日数は六日だけだとか、いろいろあります。(質問の形で意見を言われるのも、女性はよくされることで、相手に差別の意識がなくても、うんざりしている人は多いです)

でも、差別の結果は、データで出ることも多いのですが、差別されている人間は、データを取ることのできる立場に登れないんですよね。それが差別の形の一つです。表に現れないように隠ぺいすることができるんです。

わたし自身は、「日本で作られた、ジェンダーロール規範から自由になった女性キャラクター」を実は一つも知りません。必ず、何かしらのジェンダー規範に沿って描かれています。まあ、実際無理なんですよね。無理なんだけど、意識して、それに抗うように描かれているキャラクターというのは作ることができるんだと思います。正直に言って、世界中のだれもが性的規範を内面化しています。内面化というのは、

上記の記事にも書きました。

内面化している以上、自由にキャラクターや物語を作ることはできないんです。でも、意識して、規範を再生産しないように、または、規範に対して批判的に描くことはできる、ということだと思っています。

 

3については、萌え絵は絵ですから、描く技術があれば、女性だろうと誰だろうとあらゆるジェンダー、セックスの人が描けます。

女性が描いているから、

≫「男性の価値観、理想に従わされた」「男性の求めている像に近づけた」

わけではない、というのは苦しいですよね。女性ならば性的に誇張した絵を描かない、というのも、ジェンダーロールを内面化した結果です。

もちろん、エロくてフェミニズム的である、というものもあります。

かわいい、という言葉に幼いものをめでるという意味が多分に含まれている以上、かわいい=幼いものにエロスを感じるのも、歪んでいると思います。幼いものはたいてい無力で非力ですから、それにエロスを感じるというのは、支配する喜びが付随すると考えられます。

 

 

 

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