キズナアイに対する私見(NHK番組の起用について)

NHKの物理ノーベル賞解説番組のキズナアイ起用についての論点は既に整理されていて、

  • 性的かどうか、性的ならばそれをNHKの子供向けのノーベル賞の解説番組のアイキャッチに使っても妥当か。
  • ジェンダーロールを再生産、強化する危険がないか。

(「大人が傷つくかどうか」「子供が傷つくかどうか」という二点に関して、今回はそれほど触れません。「キズナアイは性的ではない」と主張する人の多くは、批判者が傷つくから問題にしていると考えているようですが、今回はそこはそうではないのだという理由を書いていきます。実際には、感情や気持ち、傷つくかどうかは重要な論点だと思います)

ここでは、どういう人たちが問題にしているのか、なぜ問題にしているか書きます。

前述の論点は、かなりの人が書いているからです。

なぜ、問題にするのか。

それには、規範を内面化するというのは、どういうことか、わたしの経験を書いていきます。

人間は慣れる生き物で、そして、社会にこれだけ萌え絵が蔓延していたら、たぶんたいていの人は慣れているでしょう。

少女漫画を萌え絵が回収したと述べたのは、大塚英志でしたっけ。

だから、少女漫画と萌え絵の技法が似ているのは当然だし、だから、女の子もキズナアイが好きだというのはわかります。

わたしはセーラームーン世代です。大好きだったんですけど、大人になってから「なんであんなミニスカートなんだろう」「なんで戦闘中に服が破れるんだろう」「まもちゃんって、大学生だったの?(うさぎは中学生なのに?)」という気がします。嫌いになるわけじゃないけど、価値観が変わりました。

ジェンダーロールを内面化して、再生産すると言われても、ぴんと来ないかもしれないんですけど、いわば適応です。

たとえば、オタクキモイと言われていじめられていた人は、「オタクってキモイんだな」とインプットして「オタクは封印してきもくない人間になるぞ」といって逆に非オタクになるのも、「オタクはどうせキモイからずっときもくいよう」というのも、どちらも「オタクキモイ」という価値観を内面化しています。

「オタクがキモイ」という価値観を軸や基準にして考えていることを内面化というわけです。

女の人にも同じようなことがあって、わたしの体験を話すと「女の子は数学とか理科とか苦手だよね」「目の保養だね」「スカートはけばいいのに」みたいなことを言われて、「そうか女の子は数学や理科が苦手なんだな」「目の保養ってかわいいってことなのかな」と思いました。その後、「数学や理科が苦手なわけないじゃん、むかつく」「目の保養って、単にかわいいって意味だけじゃなかったんだ、怖いし気持ち悪い、スカートはくのとか、肌出すの怖い」と思いました。

こういうのも内面化です。「女は数学ができないし、目の保養になる」という価値観があると知って、行動がそこを基準にしてしまうんです。

反発するにしろ順応するにしても、自由ではないわけです。不自由です。

わたしの子供のころ、「女芸人は最終的には裸にならないから芸人に向かない」と言われたり、「女の子は愛想よいのが一番!よく話を聞いてちゃんと相槌を打つんだよ、かわいがられるのが一番幸せなんだから」と言われたりしました。

アイドルはダウンタウンに殴られていたし、モー娘。のメンバーはジョンソンととんねるずに言われていました。

わたしは、いまだに「たとえ美人であっても調子に乗ると叩かれる」「いじられるとおいしい」「ダサいのは悪」「かしこぶってると思われるような言葉遣いをしてはいけない」「相手が男の人だったら、根拠があいまいだとしても、実は深い理由があるかもしれないから、荒唐無稽でもうんうんと話を聞かなくてはならない」「礼儀正しい言葉を使わなくてはならない」と思っています。これが内面化です。これは、テレビや新聞や、身近な大人たちが少しずつ刷り込んでいった結果です。

 

で、わたしがそこから自由になるのはそうとう難しいと思います。でも、まだそのようなジェンダーロールに汚染されていない子供(自分の子供でなくても)は、汚染されていないまま育てたいと思うのです。

よく、「親が教育すれば大丈夫」「大人になるってそういうこと」「大人になれば判断がつくから大丈夫」と言いますが、一日親と過ごすのは乳幼児期だけで、四歳になれば保育園か幼稚園に入る子供がほとんどです。学校教育が始まれば、親との接点がどんどん減ります。だから、教育すれば大丈夫ということはありません。こういうことは、質よりも量なのです。大人になるということは、マヒすることではありません。大人になって判断がつくようになっても、わたしは規範から自由になれませんし、そもそも、内面化した規範に気付かない人が大半です。

 

社会が男尊女卑を前提にして構成されている以上、マナーやルールも、男尊女卑を前提にしています。それを少しずつ壊すためには、あらゆることを変えていく必要があります。

 

たとえば、標準語は、人為的に作られた言葉です。明治期に、京ことばを採用するか、東京の書生言葉を採用するか、審議されていました。なよなよしていると困るという理由で、東京の言葉になったんです。そして、女言葉も人為的に作られた言葉です(ブログで取り上げたことがあったような気もする)。

日本語用学会↓

文化は、時に、政策によって、もしくは誰かの思惑によって形作られる場合もあります。

 

そして、子供は、本当に些細なことで、いろいろなことをあきらめます。彼らは順応性や吸収力が高いのです。

「先生が女の子は計算遅いって言った」「男の子は遊んでていいけど女の子は手伝いしろって」「片付けもしないなんて女の子のくせにだらしないな」と言われると、そうじゃないと言われても、「そうなんだな」と先に思ったほうを採用するきらいがあるように思います。

話は変わりますが、ネットフリックスで外国のキッズアニメを観ています。カズープ、ストーリーボット、ヒルダの冒険、ピッパピッグなどが好きです。これらのキャラクターの造形をみてもらうとわかると思うんですけど、ステレオタイプなジェンダーロールがないんです。しいて言うとヒルダだけ、人間の女の子なんですけど、性的な強調もないです。人の話も聞かないです。乱暴な言葉遣いもします。でも、全部のキャラがかわいいです。つまり、人間の女の子の表象を使う必要というのは、必然ではないんです。

 

日本のアニメはステレオタイプなジェンダーロールを継承しているものが多いように思います。だから面白くてもちょっと疲れてしまいます。A.I.C.O.とか。「ひっ」「はっ」というセリフが多くて疲れるのもあるんですけど。コミカルに描いていて、ちょっとメタ的な要素を含んでいる魔法少女俺もジェンダーロールから自由ではありません。(最近観たのをあげました、ほかにも観てるんですけどちょっと思い出せなくて)

 

キズナアイの最初の自己紹介のをさっき観てみたんですけど、かわいいし、好きな人がたくさんいるの、わかる、と思いました。

その一方、中にもちろん人がいて設計して演技させているわけなので、そのすべてが意図的なものだろう、だから、性的な強調の部分も意図的なものだと思いました。それを前提にして議論すべきだと思います。

性的かそうじゃないかで議論が分かれているのですが、たとえば、ピッパピッグと比べたら、性的だと思うんです。カズープのキャラでもなんでもいいんですけど。カズープに出てくるお姉ちゃんはちゃんと人間の女の子なんですけど、だぼっとした服装をしているわけでもないんですが、それと比べても、キズナアイさんは性的な要素を含んでいると思います。(ということを書いていて、いや、俺はあれでも興奮できるとチキンレースを挑んでくる人いるだろうなと思いました。でも、そういう人はきっと長文のブログを読まないだろうということに賭けます)。

キズナアイさんは聡明な方にお見受けしたんですが、その人が「相槌を打つアホの子」の役割をすると、「女の子はどれだけ賢くても男性の話をうんうんと聞くものだ」というメタメッセージが老若男女に伝わり、その考え方を強化してしまいます。その過程で、そのメッセージを受け取った人は、必ずしも傷つきません。

けれど、それを内面化していくと、人生の選択肢を狭めてしまう場合があります。

それが男性なら、女性が自分の話を聞くのは当然だと思い込んでコミュニケーションの失敗を巻き起こすでしょう。女性なら、自信をもって、自分の知っていることを話すことにおじけづいたり、この場合は理系の番組ですから、理系は女の子には難しいから自分は理系には進まない、という選択を招く一因になったりするでしょう。決定的な選択は本人が行いますが、その選択を行う過程で、その子がどういう思想を持っているか、というのは、影響が大きいものです。そして、その影響は大好きなものから来ることも多いのです。

 

キズナアイさんは、誰か人間がデザインして動かしているわけですから、その点を配慮した演出が可能だったはずです。それを怠ったところが、批判の対象になっています。

 

 

 

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キズナアイに対する私見(NHK番組の起用について)」への3件のフィードバック

  1. 拝見してさせていただきました。
    その上でいくつかお尋ねしたいことがあります。お返事頂けると幸いです。
    >>中にもちろん人が〜議論すべきだ
    価値観は時代と共に徐々に変化します。江戸時代の春画と現代の成人向け雑誌の絵柄がかけ離れているように、「性的」という観点も変わっていってると思うんです。今では萌え絵は街中のポスターとしても使われてますし、それに関わる女性も増えてます。事実キズナアイのキャラクターデザインは女性が担当しているそうです。「性的」の価値観は人それぞれです(申し訳ながら「性的な強調」が具体的にどの部分かわかりませんでした)が、デザインを担当された女性は「性的に強調しよう」というより、「かわいいデザインにしよう」という意図だったのではないでしょうか。胸部や臀部のサイズについては、それまでの萌え絵に準じた物だと思いますし、そのサイズが一般化した経緯についても、萌え絵に女性も少なからず関わっている以上、「男性の価値観、理想に従わされた」「男性の求めている像に近づけた」という要因だけではないと思います。
    >>キズナアイさんは聡明な〜来ることも多いのです
    現在、漫画やアニメ、ドラマなどの脚本における女性の性格は実に多様です。男性に対してもズバっと発言する女性や、常に強気な女性といった役柄も多く、そんな女性を主役にしたものも少なくありません。今回のNHKの番組でキズナアイを聞き手に選んだ本意は、「若手に人気なキズナアイを通して、化学やノーベル賞への興味関心を高めて欲しい」という部分だと考えられます。女性という要因は付属しているものに過ぎず、また話し手も男性だから、という選択基準ではないと思います。ですからこの番組が意図した、または番組でキズナアイが聞き手に回ったことが人に与えるジェンダーロール的な要素はごく非常に少ないと考えられます。
    以上二点、長文になりましたがご意見お聞かせいただきたく思います。

    1. 質問っていうか、質問の形をした意見ですよね
      それはそれでいいんですが、質問をもって、やり込めようとしてるのか、本当に聞きたいのか、ちょっと疑問ですが答えます。

      わたしがなぜそう思ったか書いても、「お気持ち」「個人の感じかた」と言われる気がするんで(Twitterでいわれすぎて疑心暗鬼なんです)、客観的にいえば、

      YouTube、キズナアイの体力測定のコメントを見ると、エロい、AVでパクってるのを見た、ずっきする(ぼっきからたてぼうとよこぼうをとったスラング?)というコメントが半分くらいの印象でした。
      少数派ではないですよね?
      わたしは、性的に消費する文化がYouTubeのコメントからもかいまみえるのに、なぜ、「エロではない」とみんながいうのかわからないんです。
      自分はそうではなくても、エロ目線の人がたくさんいるのは見たらわかることなのに、なぜ、なかったことにするんだろうか。

      それと服は、ニットでない限り、胸の布は下に落ちるんです。伸びないので。でも、胸に沿って丸くなり、胸の下に影がありますよね。首が細く腕が細い。
      女性には柔らかなライン、胸の膨らみがあります。 しかし、それを誇張してます。

      女性が描いたかどうかがどうして問題になるのかわかりません。
      なぜなら、技術があれば可能だからです。
      もともと萌え絵は少女漫画の顔に男好みの体をくっつけることで成立しました。だから、ある意味で女性が好むのも当然なんです。

      若手に人気から、別にキズナアイを選ばなくてもかまわないし、公共の場、特にキズナアイのファン以外が見る場面では工夫すべきでしたよね。とも書いたんですが。

      ジェンダーロールの強化になる理由も書きました。
      他の場面で他の女性キャラクターがどう描かれてるかは、免罪の理由にならないですし、関係ないですよね。
      キズナアイの話だから。

      けっこう負担になるので(返信にエネルギーがかかるので、それならもうひとつエントリを書きたい)、これからまたコメントしていただいても承認するとは限りません。
      ご自分のブログで引用していただいて、ご自分の主張なり疑問なり書いていただけたらと思います。

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