二番目のお母さんは十年間の不倫の末、わたしの父を略奪婚した。
十年の間に、一緒に暮らして、子供も作った。
わたしの母は、弁護士を通してくれたらすぐにでも離婚するといっていたのに、父は、結婚している間柄なのだから、といって、弁護士を立てなかった。
それでいて、共通の知り合いに、わたしの母が離婚に応じてくれない、ひどいといって、悪口を言って回ったそうだ。
それは、悪口を言われた側の人から直接聞いたことだ。
母は、そういうことや、父を悪く言うことはしなかった。
事件に巻き込まれて、頼る人がいない時、父を頼った。
裁判になったのだが、わたしにも責任があるといって、裁判費用を半分出せと言ってきた。
母がためてくれた貯金があると、わたしがうっかり言ってしまったから。
でも、あのときは、わたしは被害者だったから、被害者の責任とは何だろうと思った。
その後、父が訴訟を起こされたときも、わたしの責任だから、責任をとることを覚えるために、あなたのために、父の訴訟費用を半額負担しろとも言われた。
父は、子供のころのわたしをつけまわして、車で尾行して、いきなり話しかけるようなこともした。わたしはそのたびに高熱を出した。
出ていったのに関わらず、ときどき家に来てみたり、僕ですといって電話を掛けてくることもストレスで、わたしは学校にいけなくなった。
それほどストレスだった。父から接触があると、子供のわたしは高熱を出した。アトピーも悪化した。
なのに、父はわたしの母がわたしに会わせないといって文句をいった。
わたしの事情なんて興味もなかったんだ。
わたしは父のせいで健康を害して十数年棒に降った。
二番目のお母さんは不倫時代、父と暮らしているとき貧乏だったとわたしに言った。
それは自分で選んだことだろう、わたしに言うことじゃないと思った。
五十万の美顔器を買う余裕のある貧乏をわたしはわからない。
しばらく、一緒に暮らした期間、母との確執のせいで、苦しんだと彼女に話したら、「物理的にしばられていたわけじゃないんだから、逃げればよかったじゃない。逃げなかったのは自分のせい。自分で選んだことでしょ」というようなことを言った。
わたしにどこに、居場所があったと言うのか。
学校で父が不倫で家出したことを隠す子供時代を送った。
その惨めさをあなたがたは知らない。
異母姉妹は自分の出生を知らされず、守られて暮らしていたようだ。わたしが家にいくときはじめて話したそうだ。
二番目のお母さんは、苦労したといっていたけど、それこそ、自分で選んだことだ。
異母姉妹が不登校になったり、情緒不安定になったのも、知り合いに幼い頃、泊まりがけでしょっちゅう預けてあそんでいたせいだと聞いている。
その結果、異母姉妹は具合が悪くなったと。
それこそ、自分で招いた結果ではないのか。
自分のことは棚にあげてわたしの責任ばかり言う人はいやだ。
わたしが父と同じ職業になる夢をあきらめたのも、彼女の行動のせいだ。
異母姉妹が、その職業を目指すと決めたとき、わたしは泣いた。
「目指したかったならなればよかったでしょ。自分の選択でしょ」と二番目のお母さんは言った。
不倫相手のいる職場で働けるわけがないじゃないか。
二番目の母のせいで、わたしは夢をあきらめた。
その人にこんなこと言われたくないと思った。
中絶して、精神病院に入院している一か月にお見舞いに来たのも一回か二回だった。
迎えに来るのも、忙しいといってなかなか来なかった。
金銭的な援助はしてもらったけれど、退院してから数か月で、家を出された。
収入はほとんどなかったから、食パンにオリーブオイルをかけて食べて過ごした。
家賃は負担してもらっていたけれど、それだけじゃ足りなかったので、少ない貯金を切り崩した。
でも、父は貯金しないとだめだといった。
会うたびに、「太ったね、痩せないと」と言ってくるので、わたしは病んだ。
二番目のお母さんには「あなたと会うと動悸がするから家に来ないで」と言われたので、行かないようにした。
ラインも全部ブロックした。
わたしは、自分の貸していた荷物を取りに行きたかっただけなのに。
会社にいじめられて体を壊して退職するタイミングで、父に電話した。
電話に出てもらえなかった。
忙しかったのかなと思い、事情をメールで送ると、「会社に迷惑はかけなかったのか。結婚したのか。メールでのやり取りのみにしたい」と言ってきたので、わたしは父をあきらめた。
おめでとうも、からだの心配も、お金の心配もなかった。
ただ、迷惑をかけなかったのか、とだけだ。
自分が大変だということだけが書かれていた。
パワハラで体を壊したわたしには何もなかった。
お金の催促だけはしてきた。メールでは、体の心配もお金の心配も全くしてこず、ただ自分の都合を書いたメールだった。
自分がいま大変だとかそういうことが書かれたメールだったので、わたしは父と連絡を取るのをやめた。
子供のころ、通学路で、車でつけられて、いきなり話しかけられたら、父だった。すごい恐怖だった。
母は父が家出をする理由を父に言わせなかった。今思うと、それを父が話せば、わたしの心が壊れたからだと思う。
でも、父は母が悪いといった。自分は話したかったのに話させてもらえなかったと。
そして、母の悪口を言った。
部屋が汚い、寝てばかり、そういうことだ。食事を作るのだけはうまかったというが、毎日料理ノートをつけないことを責めていた。
わたしは、父に子供のころ、見てもらったときに、階段から落ちたり、ブランコから落ちて歯を折ったりして、大けがが続いた。
そのため、母は父に子供を見ることを頼むのをやめたといっていた。
でも、父は自分の責任をわたしのせいにして、母がわたしを遠ざけたと受け取っていた。ブランコから手を放したのが悪かったといってきた。
どちらがまともなのか。
電話をかけるなというから、連絡を絶ったけれど、督促状の話はしてくる。
第二の母は今日「世間体のために引き取ったわけじゃないことだけは言いたい」と言ってきた。
自己保身だ。
わたしは、世間体なんて何も思っていなかった。親切な人だと思っていた。
ただ、その後、いきさつから、人を見て、言動が気持ち悪いから距離を取ったのに、自分は悪くないということを言ってくる。
そして、りんごとラフランスを送るといってきた。
果物は腐るから、段ボールいっぱいもらっても困るので断ることにした。
結婚祝いもくれず、プレゼントと言えば、着なくなった、着古したセーターばかりよこす人に期待はしないけれど。
結婚祝いがほしかったわけじゃないけれど、父はおめでとうも言わなかった。
彼女は関係性からわたしが嫌な感情を持つのは仕方がないといってきたけど、わたしはさらの状態で接してきたつもりだ。
しかし彼女の言動から人柄に嫌気が差したのだ。
彼女が私にいったこと、したことから、判断して、今がある。
関係性からわたしが嫌いになったと言うのは、私にたいして失礼だ。
言い訳ばかりで自分を省みないメールをもらえば眠れなくなる。
精神障害手帳にも、ヘルパーにも反対して、自分で何とかしろといってきたのも忘れていない。
わたしは困っていたから、自分で解決する手段として、選択をした。
大人として尊重されてないのが、障害をもってるからだとしたら、その障害が困りごとだとわかるだろう。
障害に関係なく、大人として尊重しないならただの考えなしだ。
そういう人には関わりたくない。
嫌な人から逃げることを主治医には勧められている。
わたしのために、ブログを読んでいる、といいうことも言ってきた。頼んでないのに。
でも、なにかにつけ、自分のための都合の発言でも、あなたのためというんだよね。
中絶後、路上に放り出されたときも迎えに来たのは忙しいと言う理由で、一週間後だった。
軽い認知症の母と、高校生の送り迎えで忙しいのだといっていた。
それでもあのとき、むかえにきてくれたことにわたしは感謝していたよ。
だから、これも監視されているんだと思う。読んでいるなら読んでくれ。
わたしは、関わりたくない。私が困ったときに、助けてもらったことには感謝している。
でも、わたしは、今、迷惑に思っている。
体を壊してやめたのに、迷惑を会社に描けなかったのか、しか、言えない人とかかわりたくない。
それがたとえ、血のつながった人だろうと、関係がない。
第二の母は、父の言い方とタイミングが悪かったというけれど、そういう問題じゃない。
言い方もタイミングも関係なく、人としてかかわりたくない。
それは、第二の母についても同じだ。
不倫状態で、父の実家に行って、入れてもらえなかったといってきた。わたしのおばさんは冷たいといった。
わたしがお世話になったおばさんなのに。
そういうのも非常識だ。
こういう風に書いても伝わらないだろうけれど、わたしはメールをもらったことによって、具合が悪くなり、アトピーが悪化し、精神状態がピンチになった。
安心してほしい。こういう風に書いても、あなたの名前は特定されないから。
それが心配なんだろうと知ってます。