爪の先まで自分を愛す

今日は、散歩に三回出かけた。

一回目はお寺に行き、二回目は、カフェに行って図書館に行った。三回目には、友達とカフェに行って、それから、ドラッグストアで新しいマニュキアと、入浴剤を買った。

昔なら、むだ遣いだと思っていたと思う。
でも、生活には潤いが必要なのっだ。

気持ちを平常に保つには、自分をいたわる必要がある。

爪の先を銀色に塗って、美しいと思った。
爪の先を染める。
わたしの爪は美しい。

何かの力を借りて、自分を愛しやすくすることは、悪いことじゃない。

自分の気に入った服をまとって、自分らしい姿でいること。

そのためには、お金がかかる。人生の楽しみのためにはお金がかかる。

自分を必要としてくれる場所で働く。困りごとを解決した対価をもらう。そのお金で自分を労わる。

夢を育てる。こうありたい、こうしたい、こういうことをしたい。
その続きが、世の中を変えていく。人がわたしを呼び、わたしが人を呼ぶ。

人と人の縁が、わたしを外に連れ出して、違う世界を見せる。

わたしの中で完結はしない。

退屈は消えていく。課題が見えていく。課題が見えるとやるべきことがわかる。

やるべきことがないと、時間がただ過ぎていくばかりで、自分の過去に潜り込んでしまう。

過去は糧にすればこそであって、過去に耽溺してはならない。それは、今を生きることにならない。

今を生きるために、消費していく。そして、巡る。

自分を粗末にするといういみがわからなかった。刺激を求めてさまよっていた。ひりひりするような、生の実感を求めて、自分を傷つけて、確認していた。

わたしは今自分を傷つけることなしに、自分を実感するっ手段を学んだ。
自分を傷つけずに、誰かに助けを求めることもできる。

自分がないと、自分を傷つける。自分を保ちたいと願えばこそ、自分を傷つける。

自分を傷つけたのも悪いことではなかった。
でも、わたしは、もっと楽に生きていたいから、自分を傷つけるのをなるべくやめたい。

痛みは刺激になる。病の床で、自分の生きている実感を求めるのは、難しいことだった。

薄紙をはがすようにして、よくなりつつある。昔に戻りたくないから、わたしはいろいろな工夫をする。

自分を飾ることを馬鹿にする人がいる。自分の中にもそういう内面化された声があった。
自分を飾ることで、「自分はここにいる」と叫ぶことができるなら、自分を傷つけなくてもいいのだ。

世の中にはまだ解き明かされぬ謎があり、わたしはその謎を知りたい。
だから、生きていたい。そのための工夫は自分のためにする。

五感を使わなければ、本当には学ぶことができないのだ。
体がある、そして、心がある、心があって、思考がある。思考がなければ、体の使い方ひとつわからない。
思考を研ぎ澄ますために、学ぶ。
学ぶことで、広い場所にたどり着ける。

広い場所から見ることで、俯瞰することができる。
自分の内部で起きていることが理解できる。そして、対処もできる。

わたしは、細部からできた全体として、生きている。
爪は試行しないけれど、爪がなければ、わたしは成り立たない。
だから、爪のことを愛する。

c71の著書

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