世の中の秘密

心と体と頭がすべて強い人はいない。

でも、世の中に適応するためにはすべてがあたかも強いふりをしないと適応できない。

弱いところは強いところでもある。

世渡りがうまい人は、自分の弱さを認める強さがない。
だから、問題に気付かず、本質的なところにたどり着けない。
社会的には強いけれど、本質を見るためには弱い。

社会的に適合できない人は、自分の弱さを認められる。

自分のわからないこと、困っていることにフォーカスする機会があるからだ。

困っていなければ考える機会もない。

世の中はいろいろな人でできている。だから、本当は弱い人を排除しては、世の中の秘密にたどり着けない。

変わり者だとか、挫折した人だとか、「普通」じゃない人が、世の中を陰で動かす。
それは、世界の秘密にアクセスする動機があるからだ。

世渡りがうまい人が行き詰まるのは、自分自身について精査する機会も動機も持たなかったので、それをやる練習が欠けているからだ。


社会とのずれ

社会はいろいろな人でできている。

けれど、社会はある「形」の人しか想定していない。
その形は時代によって変わるので、生身の生き物である人間はそれぞれ翻弄される。

自分にとってつらいことでも、もっとつらい人がいるといって我慢してしまう人もいる。
誰でも少しずつ社会とずれている。
そのずれが大きいと妨げになる。その妨げを「症状」と呼んだり、「病気」と呼んだり、「障害」と呼んだりする。

社会とのずれは支援や薬の力によって緩和される。

疲れすぎて休めない時に、どこかが痛くてつらいときに、症状を抑えて、休むことで、対応する力を養うこともできる。

社会とずれがあることを認識したとき、人は考える。

もちろん、考えない人もいる。

社会が悪いとか良いとかそういう部分じゃなくて、何が生きにくい部分なのか特定することで、社会とずれたまま、生きていく場所を見つけることは可能だと思う。

社会とのずれを感じないまま老いてしまうと、自分の一回しかない人生を逃してしまう。

だから、社会とずれることは悪いことじゃない。良いことに変えることができる。

それは、気の持ちようだ、というようなことじゃなくて、価値観を変化させるということ。

良い面を無理やり見て、問題をなかったことにするのではなく、問題を問題として受け止めて、それに対処するということ。

その過程で、発見することがたくさんある。


雨のように人災は降る

おとといの親からのメールの一件で、睡眠サイクルも、体調も、精神状態も狂ってしまった。

雨が降るように人災はやってくる。

ずぶぬれになるか、傘を持てるのかは運しだい。
雨が降っていても、出かけないといけない日があるように、人災があっても、生きていないといけない。

天気予報があるから、雨は、傘を持って出かけられる。
でも、人災には、予報なんてないものね。前兆もない。

わたしが、あのメール一本で、どれだけ、生活に困るか、なんの想像力もなく、そして、実際に起きたわたしの今困った状態をなんとかする力のない人をこれからは絶対に避けないといけない。

人災予報はないから。

今日初めて、自分のしていることが、言語性チックだと知って、社会とかかわるための、チューニングなんだろうなと知った。

社会とわたしとはずれがあるから、自分側でチューニングしないといけない。
ストレスのかかり方が高い。だから、そういう「普通」の人と違うやり方がいる。

言語性チックはうるさいだけで、人を傷つけもしないし、自分も傷つけない。だから、存分にしたほうがいいんだと思う。

人災は、障害のあるなしにかかわりなく、ただ、やってくる。

人災を起こした張本人は、責任をとれない。でも、人災を起こす。

困ったものだと思う。コントロールできないことが起きると、わたしはパニックになり、変調をきたす。
困りごとを全部ひとりで解決しないといけなかったころよりも、状況はよいけれど、変調自体の苦しみは自分で引き受けなくてはいけない。
つまり、今のわたしはずぶぬれになり、その結果風邪をひきそう。

理解できないなら、放っておくという簡単なことさえできない人がいるのは仕方がない。
人と人とは違うから。

そう納得はしているけれど、雨にはよい面がある。人災にはない。教訓もない。自分でひねり出してみようとも思えない。

今は耐えて、時間が過ぎるのを待つだけだ。

でも、本当に最近は睡眠サイクルがうまくいき始めたばかりだったから、本当にがっかりする。

人災を起こす人は自分をかわいそうがって、被害者ぶる。
つらいこともあるのだろうけれど、わたしにぶつけた時点で加害者だ。

そういっても、わたしが悪いといわれるのが分かるから、何も言えないけれど。理解する気のない人に何か言っても仕方がない。本人は、理解したいと思っていたみたいなことを言っていたけど、自分の都合の範囲での理解なんて、わたしはしてもらっても、利益がない。
そういうのは自己満足だと思う。

自己満足の雨が降る。
わたしはずぶぬれになる。

雨に濡れてずぶぬれになるのは楽しい場合があるけれど、人に何かされても、気分良くなることって本当に少ないよ。


苦痛をポジティブに受け入れないでいい

苦痛をポジティブに受け入れないと未熟かのように言う人がいる。
そうした人は、他人の苦痛を受け入れる度量がない。
苦しんでいる人を見たくないから、見ないようにするために、苦しんでいる人にさらなる負担を押し付ける人だ。

だから、そんな人の戯言を聞く必要はない。

たまたま、苦痛から勝手に自分自身で何買えることがあったとしても、やろうと思ってすることじゃない。

苦痛に耐えるだけで、たいていは精いっぱいだ。
それが分からない人が、自分の見たくないことを見たくないといっているだけだ。
真に受けなくていい。

苦痛は苦痛だ。
社会的なずれや、身体的なずれ、考えることと実際のずれが、苦痛の中心になるかと思う。

そこから何か学ばなくていい。

たまたま学ぶことができれば、運が良い。

苦しいことは経験しないほうがいいけれど、苦しみは勝手にやってくる。

それを受け入れられなくて未熟じゃない。損もしていない。

ポジティブにとらえないと損をすると何度もいろいろな人に言われた。
でも、どう考えても、ポジティブに受け入れられないことのほうが多い。

だから、ポジティブという言葉は胡散臭いと思っている。

人を追い詰める。

人を追い詰める言葉はシャットアウトしていい。苦痛だけで、それに耐えているだけで、尊いのだから。

苦痛がない人は運が良い人だ。
運が良い人はなかなかいない。誰でも何かしら苦痛を背負っている。
背負っているけれどそれをないことにしたい人がポジティブに受け入れるという言葉を使う。

でも、病気で何年も無駄にすることの意味を考えても、その間経験できたかもしれないことは、頭をよぎる。
そういう絶望に向き合うことだけが、生きる中でできることだ。

絶望と向き合ないで済むならそうしたほうがいい。
でも、それを人に押し付けるのは愚の骨頂だ。

わたしは障害特性から、社会からずれ、身体的な病から、社会からずれている。

でも、社会という大きな制度からずれても、生きていくすべはある。

ずれというのは、主張だ。
生きている、それだけで一つの主張だ。世界に多様性があることを示せる機会だ。

社会は多様性を飲み込むにはまだ未熟なようだ。
世界がわたしに追い付いていないのだと理解している。

苦痛を抱えている人に、優しくするのは、自分にやさしくするのと同じだ。
いつか、誰でも病気になるのだから。様々な困難から逃れることはできないから。老いるとはそういうことだから。

苦痛と折り合いをつけるスキルは、人の役に立つ。
それをポジティブに受け入れると言い換えることもできなくはないけれど、苦痛を苦痛のまま、誰かに投げかけることは悪いことじゃない。
それを個人に対してしてしまうと、相手が折れてしまうことが多いけれど、不特定多数に、海にボトルを投げるように、分け与えることには意味がある。
受け取るべき人が受け取るから。勝手に。意図せず。

苦痛を背負った人はとても多い。だから、助け合うことができる。
ポジティブに受け入れてしまえば、助け合うこともできない。そうすると、経験が個人の中でとどまってしまう。

苦痛は、消えない。
消すことは不可能だ。
それを受け入れるだけでも、大仕事だ。
生きているだけで、受け入れているも同然だ。
わたしは、苦痛から学ぶなんてまっぴらだと思っている。

苦痛は苦痛だ。それ以上の意味はない。
人を生きにくくする。生きにくくなったそのときから、何か考えることができる人は一握りだ。耐えることだけで、精一杯で当たり前だ。
わたしだってそうだ。

幸運な、そして、未熟な人に合わせて、自分の苦痛をないかのようにふるまう必要は何もない。
未熟な人は放っておけばいい。その人もいつか困るのだから。ポジティブに受け入れるなんて戯言がどれだけばからしいか、わかるときが来るか、来ないかはわからないけれど、そういう言説が、結局本人の首を絞める。

だから、苦痛を背負っている人は、ありのままでいてほしい。
苦痛を背負って、みっともなく、生き抜いてほしい。
わたしは、ずれたまま、生きていく。
生きていることに意味なんてとても見いだせない。
でも、わたしは死を選ばなかった。そこに理由はなく、ただ、タイミングがあっただけ。

人は人。
理解できる人とできない人がいる。
自分の目に見えるものを信じるしかない。信じるという言葉はあいまいだけれど、世界を見る目は信じる力から生まれる。
世界を認識するのは自分だ。自分が認識した世界が、よかれ悪かれすべてだ。

世界を広げれるために、ひとりよがりではいられない。
ひとりよがりでいたら、世界はいつまでも狭いままで、世間という名の内面化された、実在しない概念が、自分をさばき続ける。
苦痛を背負っているだけで大変なのだから、自分をさばいて、負荷を増やすことは、現に慎まなくてはならない。

生きることが尊いのかなんて、わたしにはわからない。

でも、生きていなければ、苦痛も幸せもない。
可能性がない。

ポジティブにとらえなくても、可能性はやってくる。可能性は現実になる。現実が変わっていく。そのときを、自分なりにあがきながら、待つことだけが、唯一できることだ。


生きているならそれでいい

生きていることに何の意味があるのか、考え続けていた。

雨宮まみさんが亡くなって、ショックを受けていた。
考え方は違えど、誠実な人だと、本を読んで思っていた。

わたしは、殺されかけたことがある。パートナーの六帖さんも、文字通り、死ぬ寸前まで元家族に追い詰められていた。
わたしは、回復の途中で何度死を願ったかわからない。
死は、苦痛から解放してくれるのだと感じていた。
真っ暗な中に光がさすように、「死ぬこと」が光に思えたのだ。

わたしは、回復しなかった。回復しないけれど、薬によって、リズムを調整することができた。
過眠をして、一日二十時間近く眠る日もあれば、今日のようにずっと目が覚めてしまう日もある。
それは変わらないけれど、波が穏やかになったことで、生きることが楽になった。

これは、回復とは言えない。

けれど、痛みを紛らわせることによって、生きることを続けられるようになった。

六帖さんは稀有な存在だ。
生きているもの、命を全肯定する。
わたしも全肯定される。

わたしと六帖さんが出会ったこと、六帖さんが死ななかったことは奇跡に思える。

六帖さんは働きながら、家事を全部する。わたしの不安定な生を支えてくれる。

チックが出ようと、具合が悪かろうと、いつもそばにいて、できることを探してくれている。すべてをわたしにささげてくれている。

返せるものは何もないけれど、わたしが生きているだけで幸せだといってくれる。
わたしが何をして、何をしなくても、どちらでもよいのだといってくれる。

男だから男のひどい面を今まであまり知らなかったはずなのに、わたしのフェミニズム的な話を完全に理解してくれる。

理解者がいるだけで、こんなにも生きることが楽しくなるのかと知らなかった。

出会う前にわたしが死んでいたら、わたしはこんな幸せも知らなかった。

回復することだけを目指していた。
回復はしなかった。
でも、回復しない中にも幸せがあった。

回復すれば幸せになるのだと信じていた。
でも、回復しなかった。
だから、幸せになれないのだと思っていた。

けれど、生きているだけでそれでいいといってくれる人がいるだけで、回復するかどうかは問題じゃないのだとわかった。

回復してから幸せになろうとしていたけれど、回復は遠かったから、幸せも遠いのだと信じていたけれど、それは間違いだった。

病気のままでも、みっともなくても、生きているだけで、幸せになりたいと願った瞬間から、幸せは近づいてきていた。

六帖さんがやってきたとき、わたしは意味もなく彼を受け入れた。理由なんて一つもなかった。
でも、わたしがいなければ、彼は死ぬだろうと思った。それくらいの理由だった。

生きていれば年を取る。ばばあという人もいるだろう。もっと年を取れば、女として価値がなくなると思っている人もいるだろう。
でも、たった一人、生きているだけでそれでいいといってくれる人がいれば、加齢に伴うあれこれ、病気によるあれこれは、受け入れられるのだと知った。

わたしは誠実でありたい。公平でありたい。そう願っている。
そう願ってきた。
そうしていたら、人が集まった。
害をなす人は去り、わたしを尊重する人だけが残った。
別れを手放すことで、新しい出会いがたくさんあった。
わたしが年を重ねたからこそ、わたしが良いといってくれる人がたくさんいる。

わたしの苦闘のあとを、わたしは文章に残す。

そうすることで、誰かがそれを読む。
読んで、役に立てたり、立てなかったりする。それでいい、それがうれしい。

わたしが生きている証は、文章だったり、仕事だったりを通して残る。

それは幸せなことだ。

寝てばかりの時期には、わたしが生きている理由を見失いそうになる。

社会に溶け込みにくい特性を持っているから、居場所なんてないと思っていた。

でも、居場所のほうがわたしを呼んでくれた。

新しい職場は、多様な境遇の人がいる。すべての人が対等だ。できることをする。
そして、契約通りの仕事をする。それ以外のことは求められない。

わたしのユニークさ、それは負の面も正の面も含めて、必要とされている。
わたしが判断することじゃなかった。何が私の良いところで、悪いところなのかは、判断する人によった。

世渡りが下手なことも、相手の状況が読めないことも、正直さや実直さと受け取る人もいる。
受け取り方による。

性被害に遭ったと大人に訴えたとき、プラスに考えないと損だといわれて憤慨した。
これは、間違ったポジティブさだと今でも思う。それは絶対に覆らない。
被害に遭ったことをポジティブにとらえる必要はない。病気だってそうだ。

でも、人格にかかわる部分や技能にかかわる部分、障害特性について、周りが、わたしを判断するにあたって、ポジティブに理解してくれる人と出会えば、いいのだ。

わたしがポジティブに物事を考える必要なんてどこにもない。
つらいことはつらい、そのままでいい。
つらさは意味がない。意味がないと絶望したままでいい。

絶望したわたしのまま受け入れてくれる人がいる。それが人生のポジティブな面だ。
苦しいことを無理に、ポジティブに自分が判断しなくていい。

いい風に考えないと損をする、といった人がいたけれど、それは間違いだ。
つらいことはつらいままでいい。

つらいことを抱えたまま生きるわたしを受け入れる人と出会うことができさえすれば、わたしは変わらなくてもいいし、変わってもいい。
自由を尊重されるというのはそういうことだ。

生きている。生きていればそれでいい。死んでしまえば、楽になる。
楽になるけれど、幸せも苦痛も同じようになくなる。

だから、生きていてよかった。
苦痛なんてないほうがいい。そんなのは当たり前だ。それを変えるつもりはないけれど、解釈を、自分自身がするよりも、周りにゆだねることで、幸せになれるのだと知った。

自己分析なんて意味がない。
わたしを幸せにするのはわたしでもない。

周りが、わたしを幸せにしてくれる。そういう人を選ぶことだけが、わたしにできるすべてだ。


人間は無力な生き物

人間は無力な生き物だ。所詮、食べたものと気候に左右される。
気分も体調も、自分でコントロールすることはできない。
せいぜい、気を付けることで、ましにするくらいのものだ。

気候に対抗することは不可能だから、気候に合わせた体を作りたいと願って、食べ物や生活に気を付ける。
体が痛いとメンタルがやられ、メンタルがやられると、体が痛くなる。悪循環だ。

養生したくても、できない状況の時のほうが多い。
仕事が忙しければ不可能だ。

工夫することはできるけれど、悪循環のサイクルに巻き込まれたら、体の不調をごまかすためにハイカロリーの食べ物や刺激でごまかして、自分をマヒさせることで、仕事に合わせて自分の体を動かす。

それをずっとやっていると、具合が悪くなる。一度具合が悪くなると、直すことは不可能に近い。
壊れた体は治らない。
壊れないように心がけても体は壊れる。
治ったと思っても、元の状態にはならない。
それは、残酷な真実だけれど、今まで生きてきた経験から受け入れなければならなかった。
どうあがいても、元に戻らないのだ。
希望を抱いていた時もあった。けれど、希望は必ず深い絶望を呼び寄せる。

治らないのだと開き直って、治らないなりに生きていくしかないと気が付いた時、わたしは泣き続けた。

普通の暮らしはあきらめないといけない。普通の人のような楽しみをあきらめなくてはいけない。
そう思った。

でも、今のわたしは、楽しいことばかりだ。無理をしない生活を選び、その中で楽しいことをしている。
楽しいことをするために全力を尽くせば、可能になる。
やる気の問題だけとは言わないけれど、望みを持たなければ、誰も自分のために動いてくれない。自分の欲することをかなえるのは自分なのだ。

具合が悪くても、世界は広いということが分かる。
疑問を持ち、真実を探索することによって、見える世界は広がる。

病気を言い訳にすることはちっとも悪いことじゃない。生きるために必要なのだ。
でも、病気に閉じこもっていても、やっぱり年月は経っていく。
相反するようだけど、病気の体でも無理をしてでも、自分の望むとおりに行動することで、自分を生きることになる。

健康になるために、全力を傾けていてもよくない。無理をし続けてもよくない。
病気なりに無理をしてでも、自分が経験したいことを求めていくことが、今のわたしには大切なことだ。


言語性チックが出た

わたしは、今まで自分でも気づかなかったけれど、言語性チックがある。

言語性チックは無意味な言葉を連呼することだ。ストレスが高まると卑猥な言葉を連呼することもある。

そのときわたしが何を考えているかというと、自分を必死て保とうと思っている。

現実から遊離しそうな感覚を音によって現世に戻している感じ。
言葉自体に意味はなく、リズムやいう時の心地よさや解放感を味わっている。

言語性チックに限らず、疲れてくると、体を揺らしたり、踊ったり、ぶらぶら動いたりする。

周りからは陽気な人に見えるみたいだ。そういう風に工夫してきたんだろう。

今まで変な歌をいつも歌っているのはなんでだろうと、われながら不思議だったけれど、緊張を緩めようとしていたみたいだ。

言語性チックが今日はひどかったので、気が付いた。
歌いたいというわけじゃないのに、自然と出る。
家にいるとずっとそうだ。

わたしは、一見自閉症っぽく見えない。わたし自身も疑うことがあるけれど、それなりに重いんだなと思った。

現実に対応するために、たくさんの努力をして、言語性チックも受け入れやすい形に工夫して、今もそれは健在だ。
言語性チックを無理に抑えようとすると、具合が悪くなるから、抑えないほうがいいと六帖さんも言っていた。

言語性チックを行っているときのわたしの気持ちは無に近い。
ただ、今歩くことを頑張ろうだとか、今人といることを頑張ろうだとか、限界でも何かしないといけない場合によく出る。
だから、そのときは、必死になって、現実に合わせようとしている。
現実に合わせようとしているけれど、言語性チックは現実の人に許されにくいので、現実と適合するのは大変だ。
自閉症スペクトラムって結構大変だな、と自分のことながら改めて思った。
自分でもそれが自閉症由来の動きだとわかっていなかったから、驚いた。

だから、自分に合ったタイプの人とだけ接するということを今は選んでいる。
言語性チックを気にしない人といる。


お父さんと二番目のお母さんへ

二番目のお母さんは十年間の不倫の末、わたしの父を略奪婚した。
十年の間に、一緒に暮らして、子供も作った。

わたしの母は、弁護士を通してくれたらすぐにでも離婚するといっていたのに、父は、結婚している間柄なのだから、といって、弁護士を立てなかった。
それでいて、共通の知り合いに、わたしの母が離婚に応じてくれない、ひどいといって、悪口を言って回ったそうだ。
それは、悪口を言われた側の人から直接聞いたことだ。
母は、そういうことや、父を悪く言うことはしなかった。

事件に巻き込まれて、頼る人がいない時、父を頼った。
裁判になったのだが、わたしにも責任があるといって、裁判費用を半分出せと言ってきた。
母がためてくれた貯金があると、わたしがうっかり言ってしまったから。

でも、あのときは、わたしは被害者だったから、被害者の責任とは何だろうと思った。

その後、父が訴訟を起こされたときも、わたしの責任だから、責任をとることを覚えるために、あなたのために、父の訴訟費用を半額負担しろとも言われた。

父は、子供のころのわたしをつけまわして、車で尾行して、いきなり話しかけるようなこともした。わたしはそのたびに高熱を出した。

出ていったのに関わらず、ときどき家に来てみたり、僕ですといって電話を掛けてくることもストレスで、わたしは学校にいけなくなった。

それほどストレスだった。父から接触があると、子供のわたしは高熱を出した。アトピーも悪化した。

なのに、父はわたしの母がわたしに会わせないといって文句をいった。

わたしの事情なんて興味もなかったんだ。

わたしは父のせいで健康を害して十数年棒に降った。

二番目のお母さんは不倫時代、父と暮らしているとき貧乏だったとわたしに言った。

それは自分で選んだことだろう、わたしに言うことじゃないと思った。

五十万の美顔器を買う余裕のある貧乏をわたしはわからない。

しばらく、一緒に暮らした期間、母との確執のせいで、苦しんだと彼女に話したら、「物理的にしばられていたわけじゃないんだから、逃げればよかったじゃない。逃げなかったのは自分のせい。自分で選んだことでしょ」というようなことを言った。

わたしにどこに、居場所があったと言うのか。

学校で父が不倫で家出したことを隠す子供時代を送った。
その惨めさをあなたがたは知らない。

異母姉妹は自分の出生を知らされず、守られて暮らしていたようだ。わたしが家にいくときはじめて話したそうだ。

二番目のお母さんは、苦労したといっていたけど、それこそ、自分で選んだことだ。

異母姉妹が不登校になったり、情緒不安定になったのも、知り合いに幼い頃、泊まりがけでしょっちゅう預けてあそんでいたせいだと聞いている。

その結果、異母姉妹は具合が悪くなったと。

それこそ、自分で招いた結果ではないのか。

自分のことは棚にあげてわたしの責任ばかり言う人はいやだ。

わたしが父と同じ職業になる夢をあきらめたのも、彼女の行動のせいだ。
異母姉妹が、その職業を目指すと決めたとき、わたしは泣いた。
「目指したかったならなればよかったでしょ。自分の選択でしょ」と二番目のお母さんは言った。
不倫相手のいる職場で働けるわけがないじゃないか。
二番目の母のせいで、わたしは夢をあきらめた。

その人にこんなこと言われたくないと思った。

中絶して、精神病院に入院している一か月にお見舞いに来たのも一回か二回だった。
迎えに来るのも、忙しいといってなかなか来なかった。

金銭的な援助はしてもらったけれど、退院してから数か月で、家を出された。
収入はほとんどなかったから、食パンにオリーブオイルをかけて食べて過ごした。

家賃は負担してもらっていたけれど、それだけじゃ足りなかったので、少ない貯金を切り崩した。
でも、父は貯金しないとだめだといった。
会うたびに、「太ったね、痩せないと」と言ってくるので、わたしは病んだ。

二番目のお母さんには「あなたと会うと動悸がするから家に来ないで」と言われたので、行かないようにした。
ラインも全部ブロックした。
わたしは、自分の貸していた荷物を取りに行きたかっただけなのに。

会社にいじめられて体を壊して退職するタイミングで、父に電話した。
電話に出てもらえなかった。
忙しかったのかなと思い、事情をメールで送ると、「会社に迷惑はかけなかったのか。結婚したのか。メールでのやり取りのみにしたい」と言ってきたので、わたしは父をあきらめた。

おめでとうも、からだの心配も、お金の心配もなかった。

ただ、迷惑をかけなかったのか、とだけだ。
自分が大変だということだけが書かれていた。

パワハラで体を壊したわたしには何もなかった。

お金の催促だけはしてきた。メールでは、体の心配もお金の心配も全くしてこず、ただ自分の都合を書いたメールだった。
自分がいま大変だとかそういうことが書かれたメールだったので、わたしは父と連絡を取るのをやめた。

子供のころ、通学路で、車でつけられて、いきなり話しかけられたら、父だった。すごい恐怖だった。
母は父が家出をする理由を父に言わせなかった。今思うと、それを父が話せば、わたしの心が壊れたからだと思う。
でも、父は母が悪いといった。自分は話したかったのに話させてもらえなかったと。
そして、母の悪口を言った。
部屋が汚い、寝てばかり、そういうことだ。食事を作るのだけはうまかったというが、毎日料理ノートをつけないことを責めていた。

わたしは、父に子供のころ、見てもらったときに、階段から落ちたり、ブランコから落ちて歯を折ったりして、大けがが続いた。
そのため、母は父に子供を見ることを頼むのをやめたといっていた。
でも、父は自分の責任をわたしのせいにして、母がわたしを遠ざけたと受け取っていた。ブランコから手を放したのが悪かったといってきた。
どちらがまともなのか。

電話をかけるなというから、連絡を絶ったけれど、督促状の話はしてくる。

第二の母は今日「世間体のために引き取ったわけじゃないことだけは言いたい」と言ってきた。
自己保身だ。
わたしは、世間体なんて何も思っていなかった。親切な人だと思っていた。

ただ、その後、いきさつから、人を見て、言動が気持ち悪いから距離を取ったのに、自分は悪くないということを言ってくる。
そして、りんごとラフランスを送るといってきた。
果物は腐るから、段ボールいっぱいもらっても困るので断ることにした。
結婚祝いもくれず、プレゼントと言えば、着なくなった、着古したセーターばかりよこす人に期待はしないけれど。
結婚祝いがほしかったわけじゃないけれど、父はおめでとうも言わなかった。

彼女は関係性からわたしが嫌な感情を持つのは仕方がないといってきたけど、わたしはさらの状態で接してきたつもりだ。

しかし彼女の言動から人柄に嫌気が差したのだ。

彼女が私にいったこと、したことから、判断して、今がある。

関係性からわたしが嫌いになったと言うのは、私にたいして失礼だ。

言い訳ばかりで自分を省みないメールをもらえば眠れなくなる。

精神障害手帳にも、ヘルパーにも反対して、自分で何とかしろといってきたのも忘れていない。

わたしは困っていたから、自分で解決する手段として、選択をした。

大人として尊重されてないのが、障害をもってるからだとしたら、その障害が困りごとだとわかるだろう。

障害に関係なく、大人として尊重しないならただの考えなしだ。

そういう人には関わりたくない。

嫌な人から逃げることを主治医には勧められている。

わたしのために、ブログを読んでいる、といいうことも言ってきた。頼んでないのに。
でも、なにかにつけ、自分のための都合の発言でも、あなたのためというんだよね。

中絶後、路上に放り出されたときも迎えに来たのは忙しいと言う理由で、一週間後だった。

軽い認知症の母と、高校生の送り迎えで忙しいのだといっていた。

それでもあのとき、むかえにきてくれたことにわたしは感謝していたよ。

だから、これも監視されているんだと思う。読んでいるなら読んでくれ。

わたしは、関わりたくない。私が困ったときに、助けてもらったことには感謝している。
でも、わたしは、今、迷惑に思っている。

体を壊してやめたのに、迷惑を会社に描けなかったのか、しか、言えない人とかかわりたくない。
それがたとえ、血のつながった人だろうと、関係がない。

第二の母は、父の言い方とタイミングが悪かったというけれど、そういう問題じゃない。
言い方もタイミングも関係なく、人としてかかわりたくない。
それは、第二の母についても同じだ。

不倫状態で、父の実家に行って、入れてもらえなかったといってきた。わたしのおばさんは冷たいといった。
わたしがお世話になったおばさんなのに。
そういうのも非常識だ。

こういう風に書いても伝わらないだろうけれど、わたしはメールをもらったことによって、具合が悪くなり、アトピーが悪化し、精神状態がピンチになった。

安心してほしい。こういう風に書いても、あなたの名前は特定されないから。
それが心配なんだろうと知ってます。


爪の先まで自分を愛す

今日は、散歩に三回出かけた。

一回目はお寺に行き、二回目は、カフェに行って図書館に行った。三回目には、友達とカフェに行って、それから、ドラッグストアで新しいマニュキアと、入浴剤を買った。

昔なら、むだ遣いだと思っていたと思う。
でも、生活には潤いが必要なのっだ。

気持ちを平常に保つには、自分をいたわる必要がある。

爪の先を銀色に塗って、美しいと思った。
爪の先を染める。
わたしの爪は美しい。

何かの力を借りて、自分を愛しやすくすることは、悪いことじゃない。

自分の気に入った服をまとって、自分らしい姿でいること。

そのためには、お金がかかる。人生の楽しみのためにはお金がかかる。

自分を必要としてくれる場所で働く。困りごとを解決した対価をもらう。そのお金で自分を労わる。

夢を育てる。こうありたい、こうしたい、こういうことをしたい。
その続きが、世の中を変えていく。人がわたしを呼び、わたしが人を呼ぶ。

人と人の縁が、わたしを外に連れ出して、違う世界を見せる。

わたしの中で完結はしない。

退屈は消えていく。課題が見えていく。課題が見えるとやるべきことがわかる。

やるべきことがないと、時間がただ過ぎていくばかりで、自分の過去に潜り込んでしまう。

過去は糧にすればこそであって、過去に耽溺してはならない。それは、今を生きることにならない。

今を生きるために、消費していく。そして、巡る。

自分を粗末にするといういみがわからなかった。刺激を求めてさまよっていた。ひりひりするような、生の実感を求めて、自分を傷つけて、確認していた。

わたしは今自分を傷つけることなしに、自分を実感するっ手段を学んだ。
自分を傷つけずに、誰かに助けを求めることもできる。

自分がないと、自分を傷つける。自分を保ちたいと願えばこそ、自分を傷つける。

自分を傷つけたのも悪いことではなかった。
でも、わたしは、もっと楽に生きていたいから、自分を傷つけるのをなるべくやめたい。

痛みは刺激になる。病の床で、自分の生きている実感を求めるのは、難しいことだった。

薄紙をはがすようにして、よくなりつつある。昔に戻りたくないから、わたしはいろいろな工夫をする。

自分を飾ることを馬鹿にする人がいる。自分の中にもそういう内面化された声があった。
自分を飾ることで、「自分はここにいる」と叫ぶことができるなら、自分を傷つけなくてもいいのだ。

世の中にはまだ解き明かされぬ謎があり、わたしはその謎を知りたい。
だから、生きていたい。そのための工夫は自分のためにする。

五感を使わなければ、本当には学ぶことができないのだ。
体がある、そして、心がある、心があって、思考がある。思考がなければ、体の使い方ひとつわからない。
思考を研ぎ澄ますために、学ぶ。
学ぶことで、広い場所にたどり着ける。

広い場所から見ることで、俯瞰することができる。
自分の内部で起きていることが理解できる。そして、対処もできる。

わたしは、細部からできた全体として、生きている。
爪は試行しないけれど、爪がなければ、わたしは成り立たない。
だから、爪のことを愛する。


状況を変えて、人と出会う

自分のいる場所を変えると、状況が変わる。
状況が変わると、境遇が変わる。

いろいろな場所に行って、いろいろな景色を見るのは、お金を減らすだけだと思っていた。
でも、そうじゃない。

今、体が動いて、感受性が豊かなうちに、気力や体力があるうちに、様々な場所に出歩いて、景色を見るだけでも、意識が変わる。豊かになる。
肌の色の違う人、食べ物が違う、機構が違う場所に行くことは、それが短期間であろうと、わたしの世界を豊かにする。

世界が豊かになると、昔「つらい出来事」に変換していたことに対して、見る目が変わるから「楽しいこと」「有意義な経験」という風に変えて、経験しなおすことができる。

わたしは、よく人を拾ってくるのだけど、そういう人が家に来ると、今まで慣れ親しんでいた町の顔が変わる。

素通りしていた店に、入るきっかけが生まれる。

今までこの辺に住んでいなかった人には好奇心があるから、どんどんいろんなところに行きたがる。わたしは、それについていくだけなのだけど、お店には人がいて、人と出会える。

今、お店として、生き残っているところは、モノだけじゃなくて、人柄や、情報や、夢を共有させてくれる。

八百屋さんは、安くておいしい野菜を売って、お客さんを健康に、幸せにしようと思っている。
献立も一緒に考えてくれる。

今、行きたい飲食店は、ライフヒストリーに魅力がある店主さんのお店だ。
店主さんと話して、楽しかったら、また、行きたくなる。

ブックカフェに行ってきた。
そこでは出版社もやっている。明日持ち込みに行く。こういう出会いも、生徒さんに教えてもらったお店に行ったからだ。
店主さんはお店を愛していて、本を愛している。
話しているだけで楽しい。

お金を使うということは、生活に必要なものを単純に買うだけじゃなくて、売り手の夢を買うことなのだと思う。

ただ消費活動をするだけで、誰かの夢を一緒に見られる。

場所を変えると、視点が変わる。出会う人が変わる。増えていく。

それは私の幸せにつながる。
むだなことなんて一つもないといわれていたころ、わたしは病気だったから、病気も無駄じゃないんだといわれた気がして、つらかった。
病気はしないほうがいいと思っていたから。

病気はしないほうがいいと思う。
でも、なってしまったら、苦しかったら、避けられないことなら、あとから、よくなってから、見直して、生きなおすことが可能なのだと思う。

新しい解釈を付け加えることで、人生の色が変わる。つらいことも、利用できる。

新しい解釈を、手に入れるためには、様々なところに出かけて、多様な価値観を身に着けることがどうしても必要なのだ。

だから、わたしはたくさん遊ぶ。
そうして、つらいことを塗り替えていくのだ。