社会とのずれ

社会はいろいろな人でできている。

けれど、社会はある「形」の人しか想定していない。
その形は時代によって変わるので、生身の生き物である人間はそれぞれ翻弄される。

自分にとってつらいことでも、もっとつらい人がいるといって我慢してしまう人もいる。
誰でも少しずつ社会とずれている。
そのずれが大きいと妨げになる。その妨げを「症状」と呼んだり、「病気」と呼んだり、「障害」と呼んだりする。

社会とのずれは支援や薬の力によって緩和される。

疲れすぎて休めない時に、どこかが痛くてつらいときに、症状を抑えて、休むことで、対応する力を養うこともできる。

社会とずれがあることを認識したとき、人は考える。

もちろん、考えない人もいる。

社会が悪いとか良いとかそういう部分じゃなくて、何が生きにくい部分なのか特定することで、社会とずれたまま、生きていく場所を見つけることは可能だと思う。

社会とのずれを感じないまま老いてしまうと、自分の一回しかない人生を逃してしまう。

だから、社会とずれることは悪いことじゃない。良いことに変えることができる。

それは、気の持ちようだ、というようなことじゃなくて、価値観を変化させるということ。

良い面を無理やり見て、問題をなかったことにするのではなく、問題を問題として受け止めて、それに対処するということ。

その過程で、発見することがたくさんある。

c71の著書

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