腕を切りながら生きながらえる

入院したとき、腕を切り刻んでいる子に出会った。

医者は切るなとは言わなかった。

わたしも、切るのをやめてほしいと思わなかった。

切らないための100の方法を宿題にノートに書く日々を一緒に過ごした。

切るなと言われて切らないなんてできないことをそこにいたみんなが知っていた。

手首を落とすまで切ると不便だからその前にやめられればいいね、という話を笑ってしていた。

 

わたしは作文の書き方を教えた。

自分の気持ちを書くことを毎日した。

ある日、その紙を持って、彼女は家族と医者で話し合った。

家に帰らず、寮生活をすることに決まった。

それから彼女は切る衝動が減った。切ることは続けても、隠さず、消毒してもらいに、ナースステーションに通った。

 

わたしは精神不安定で、筋肉注射を打ってもらうことで、一日生きながらえるような日々だった。

いたくていたくてたまらなかった。

 

依存をして、薬を飲んで、時間を稼いで、問題に向き合うための体力を取り戻すために、休憩していた。

その時間は必要だった。

 

いつまでも、悲しんでいいと言われたら、きっとわたしたちは死んだ。死にたかったのだから。先が見えなかったから。その先が悲しみばかりだったら、生きている価値もないのだ。

 

切りながら、生きるすべを学び、生きるようになって、他に興味が向いて、生きる実感を取り戻して、解離から自分の体にたち戻って、その過程を通して、やっと、わたしたちは生きられた。

 

二度と会わなくても、共通点がなくても同じ日々を過ごした。

 

わたしたちは認められない存在であっても、わからないと言われても、わかりたくないと言われても、確かに存在している。

 

助けたくないなら助けなくてもかまわない。

でも、寄り添うということが、わたしたちには必要だった。

わたしたちは一緒にいることで、補いあい、治療しあい、日常に戻った。

 

自分を切り刻みながら、生きる方法は確かにあるのだ。

切り刻むことを手放す未来も、確かにあった。


暴力に気づかないのは幸せで羨ましいことか

Twitterで、ちらりとみたツイートがあった。

どうして、暴力に気づかないで結婚するのか、気づかないならそれはそれで幸せで羨ましいと書かれていた。

わかる、理解できる、それは暴力だと教えるのはパターナリズムになりかねず、それも暴力になりかねないと。

確かに、支援を真剣にしていると、ぶちあたる壁として、「これが正しいこと」と押し付けた結果、コミュニティを破壊した例にはいとまがない。

しかし、支援とは、そもそもそのような危険性のなかでするもので、だからといって、支援や理解が必要ないということでは全くない。

児童虐待や、老人介護や、そういったことを一つとってもそうじゃないのか?

DVから逃げるときにも、支援は、必要だった。

それが、DVだといってもらうことから始まった。その後逃げるためにたくさんの人の手を借りた。そうして、生き延びた。

それが、上から目線の暴力だったなら、それはそれでいいのだ。わたしはそれでいい。わたしはそれで助かったのだから。

 

わたしは心と体と弱っているとき、つけこまれて、自尊心を破壊されて、逃げられなくなった。

適応するために言うことを鵜呑みにして、受け入れるしかなかった。

そうすることで、生き延びた。

わからないようにしていた。

それが生存のために必要だった。

それは幸せだったか?

羨ましいことか?

鈍さが幸せだというならそうだろう。

鈍くてもそのなかで苦しみがあった。言語化したら死ぬなかで違和感があった。

違和感は言葉にならず、逃げたら殺されると思っていた。だから、逃げられなかった。相手の気に入るように振る舞った。

それはわたしが鈍いからか?

それは暴力だと教えるのは暴力だったか?

わからない人は放っておく、その方が、上から目線の暴力じゃないのか。お前にはそれがふさわしいのだと言われるのに等しい。わたしが鈍かったと、誰にも言わせたくない。

 

 

わたしが愚かだったから、暴力につけこまれたのだとするのなら、理解が甘い。

愚かさはどんなときに生まれるのか。

それは弱っているとき、知識があっても判断力のないとき。それを作り出した相手が、わたしを監禁したのだから、わたしの愚かさは作られたものだ。

 

 

それが幸せだという人がいたなら、わたしに死ねというのと同じだ。

 

殺されかかっても、逃げたら殺されると信じている人に、それを教えることでさえも、暴力であり、パターナリズムであるというならずいぶんときれいな安全な場所にいたのだろう。

人の生の声を聞かず、助ける、支援ということに向き合わず、少し聞いただけのきれいな態度をとってなにもしないのなら、あなたはきれいな場所にいたいだけの汚い人だ。

 

 

命を救うというのは、自分自身の命についてさえ、難しい。

人が人を助けるとき、矛盾があり、混沌がある。

人をコントロールせずに、でも、助ける方法がある。

 

判断力が弱っている状態は、絶対に幸せじゃない。幸せじゃなかった。

羨ましいと言われる筋合いはない。

あなたは幸せなのか。幸せじゃないのか。

 

問いかけられたとき答えられるのか。

 

人を助けるときは自分も汚れる。

でも生きていることが尊いのだ。

 

傷だらけになりながら、生きる方法を学ぶことが無駄ではないと、わたしはずっと言いたい。

 

 

自分を傷つけながら、両立しながら、生きていくこと。

それを教え教えられ学び、いつか地獄は終わるということが、救いになる。

 

 

暴力に気づかないで、鈍くあることが、幸せで羨ましいと言われるのなら、そんなものはけして、許さない。


それ、たまたまだから。運が良くてよかったですね。
話をするのは大事かもしれないが、有害な言説を振りまくのはちっとも大事なことじゃない。
そういう人は勝手に近づいてくる。身構えることもできない。隙を作らないように努力することさえできない。
単純な質問とやらが、どれだけの人を踏みにじるかの想像が足りていない。
想像が完成しないのならば、黙っていろ。もしくは、真摯に学べ。学ぶ気がないのなら、放っておけ。

無知は人を殺す。
現実にだ。

この一言が、どれだけの人を殺していくのか、知りもしないのだろうが、わたしは許さない。


ずっと悲しんでいていいんですよ、と言われたら満足なんか

http://blog.c71.jp/?p=2064

ずっと悲しんでいたらいいですよ、悲しかったですねえ、それを大事にしていてくださいね、なんていえば、満足する人がいるのは知っている。でも、わたしはそういうことを売らない。

わたしは、身近な人に頭蓋骨割られたり、子供を引き離されたり、刺されたり、骨や歯を折られたりしてた人としばらく暮らしていたことがあった。

なんぼ悲しいことがあるにしても、これより苦しくて悲しいことそんなにないやろ、というような集団だった。

でも、悲しかろうが、苦しかろうが、生活していないと食ってけないから、仕方がない。

誰も助けてくれないからね。周りのことは助けてくれても。

人にはそれぞれ悲しいことがあるだろうとも。プロセスや期間は様々だろうとも。悲しみに上下はないだろうとも。

いつまでも思い出すこともあるだろうとも。

でも、わたしは、心と体と頭がついているんだから、ちゃんと生きて、暴れて、失敗して、今困っていることを解決して、自分が生きている、って感じで生きるのがいい感じだと思う。

不幸はありふれていて、見えないところにボロボロになった人たちがいっぱいいる。

でも、それにちゃんと向き合って生きていたら、生きていることに忙しくなるんだよ。

体が動かなくて寝込んだ十年がわたしにもあったし、わたし以外にもそういうひとたくさんいてはる。

動かないもんは動かないんだから仕方がなかろうもん。腕や胃袋やのどやぼろぼろにしながら、自分の体傷つけながら、生き延びている子ら、たくさん見たもん。

でもそういう子らに、ずっと悲しんでいていいんだよ、というか、それとも、生き延びながら、腕やらなんやら傷つけながら死なないように生きていくすべ教えるのかは全く違う。

ずうっと昔に遭った悲しい出来事を、ずっと生活の中心におけるのは、贅沢や。だって、それを上回る出来事が今ない、ということの証左でもあるからや。幸せっていうことじゃ。

ずっと悲しくていいんですよ、って、その場では癒されて、認められても、それを鵜呑みにして、悲しいまま死ぬまで悲しがってて、そんで、死ぬ前に「ああ、楽しく生きたかったなあ」って思っても、誰も責任とってくれまへんのや。悲しい出来事がすべての元凶か?

そうね。悲しい出来事なかったほうがよかったよな。それはそう思うわ。でも、あるんじゃ。

生きてるんだもん。

ひどいことをしたり悲しくなるようなことを言ったりする人が悪い、ちゅうなら、恨んで憎んで、自分のせいじゃない、あいつのせいじゃ、って思ってたらよかろうもん。

幸せになることはほんとに難しくて、失敗ばかりじゃ。

でもそうしたときに、「悲しいのは当たり前だから人それぞれの期間やプロセスがあるんだから、心配せずに悲しんでいたら、いいんですよ」と言われて満足するなら、それは悲しいのが好きだし趣味だし、それが自分の幸せだ、って自分で認めて選択してくれや。わたしを巻き込むな。

わたしは違うねんから。そういうの、サービス外やで。売りもんにしとらんもん。売ってないもんをほしいといわれて断るしかなかろうが。

悲しいことには依存できる。依存してたら、ほかのこと見なくていい。すべての依存はほかのこと見なくていい、風に作用すると思ってる。

だから、依存から逃れるのは、難しいんだ。依存でごまかされていたいろいろなことと、向き合って、つまんない、地獄みたいな、人生見ないといけないもん。依存している間は、それが問題で、人生の中心問題だから、依存をなくすように戦い始めたら、空っぽになる。

空っぽから始めないといけない。依存を治療することは可能でも、依存がなくなった後の空っぽを何とかする魔法はないんで。

合理的な行動や選択じゃないことを取り続けていたり、なにかの思い込みをしてしまうのは過去に問題があるからかもしれん。

じゃあ、その問題を分析して、解決したらよかろうもん。なんで、しないかというと、我々はみんな、弱いからや。

そんでも、いつまでも弱く、悲しくいて、幸せか?

わたしはそんなん、幸せじゃない。

だから、どんだけ、ひどいことがあっても、悲しくても、しゃーないや、って思うようになるまで待つことをしたり、分析したり、あきらめたり、なんやかんやする。どんなに悲しい、恐ろしいことがあっても、自分の心からは逃げられないんだから。

わたしは、悲しみや苦しみを軽んじているわけじゃない。そんなん、忘れて、さっさと次にいけ、いつまでもやってるな、なんて、一言も言ってない。

言ってないが、勝手に読み取る人もいる。そういう人はそういう風に生きてったらいい。

わたしは、書いてないことまで責任とれやしない。

悲しくたってさ、苦しくたってさ、身を切るような苦しみがあったってさ、生きてたら、ああ、悲しくて苦しいな、また、朝が来てしまった、もう死にたい、と思い続けてもさ、でも、息して水飲んで、飯食ったら、生きてしまうもん。

体が生きたがってるんだから、まあ、生きるしかないんだ。

それがわたしのあきらめである。

わたしは欲張りだから、生きるしかないんだったら、心と体と頭でもがいて、自分の幸せ作りたい。誰にも奪われないで済むのは自分の心だけや。洗脳されたかて、逃げられないとしても、最後にはそれが残ると思ってる。

自分を信じてないのは誰なんや。

大事な物を捨てられ壊され、全部失った。そういう人は悲しいまま死ぬか、というと、そうじゃない。生きる人もいる。わたしもそっち側でありたい。

全員がそうあれというつもりはない。

できない人はできない。できる人はできる。できない人でも助けを借りたらできるかもしれない。それも手腕だ。

ずっと、悲しんでいたらいんですよ、と言われたら本当に満足なんか、ほんとにそんな人いるんか、と思うけど、いるねんな。

でも、わたしはそうじゃない。そうじゃないんだから、仕方がない。あきらめろ。

わたしは、あきらめて、次考える。いっぱい失敗する。成功なんて、十回やったうちの一回あるかないか、もっと少ないかもしれん。

でも、ずっと前向いていたいもんな。

わたしは、そうしたい。わたしの考えが気に食わないならそれでいい。

わたしは怒って、暴れて、悲しがって、苦しがって、寝込んで、吐いて、熱出して、歩けなくなって、そういう人生を歩んでいたけど、希望は捨ててない。

だって、それがわたしだから。生まれてからずっとそうや。そうじゃないもん、求める人はほかにあたってくれ。

わたしは神様じゃない。みっともない、人間じゃ。


シスジェンダーだけど性違和がある

Aちゃんと六帖さんと三人で、パーソナルデザイン診断とお買い物同行に行った。

そうして、AちゃんはIラインが似合う人だと診断された。そして服装を着ていったら、女性的なラインが非常に美しい女性として見えた。

でも、Aちゃんはそれがうまく消化できなくて苦しがっていた。凹凸のない体になりたいのに、まっすぐなラインの服を着ると女性的なラインが目立ってしまうから。

それで、家に帰ってから、ずいぶんいろいろな話をした。Aちゃんが笑顔になってほしいから。

Aちゃんが女性的な形をしていることを受け入れようが受け入れまいが、折り合いがつけばいいなあと思った。

わたしは、自分について、女性であることをあきらめられていると思っていた。

でも、そうじゃないことが話している間に、だんだんわかってきた。

わたしはラッキーなことに、小中学生の時から、性規範を押し付けられたら、たとえ専任の前でも主張することができる人間だった。

たとえば、標準服で女生徒がズボンを履けないことについても、全校集会で主張して、結果的に勝ち取った。途中で、教師にいじめられたり、上の学年の人に男女と言われたり、殴られたりなんだりしたけど平気だった。

わたしは、小さいころからアクティビストだった。周りの大人はそういうわたしのことを普通に受け止めてくれていたし、応援もしてくれた。地域の人を巻き込んで、話に行った結果、ズボンを履けないのはおかしいといってくれたし、学校にも言ってくれた。PTAでも話し合いが起きた。母は、わたしをサポートしてくれた。わたしの周りの女の子のグループ全体で、戦って勝ち取ったという成功体験だ。

今では、わたしの母校の生徒は、女生徒たちが好きなズボンを履いたりスカートを履いたり、選べるようになっている。

 

わたしは、性規範が嫌いで、自己主張することで、そのことと折り合いをつけてきたから、楽に生きている。そういうのも、環境に恵まれていて、ラッキーで、運が良かっただけだと思う。

 

 

男の子のだれがかっこいいと話したこともなかった。

中学生の時、子宮を取りたいと思っていた。

小学生高学年の時、胸が大きくなり始めたときは、嫌で、お風呂場で毎日泣いていた。

性器や陰毛が生えてくることもとても嫌で、自分を殺したかった。

でも、死ななかった。

成長するにしたがって、ボディが変わっていった。ボディイメージがコントロールできないことがたいそう苦しかった。

凹凸のない体になりたいと言ったAちゃんと話しているうちにそういうことを思い出した。

わたしは、性規範に対する違和だけじゃなくて、性違和も持っているんだな、とわかった。

一つ賢くなった。

性規範とはけんかできるけれど、ボディとは喧嘩できない。

妊娠してから、体が変わっていく。ホルモンの野郎が、勝手に私を変える。わたしはそれが嫌で嫌でしかたがない。

おなかに赤ちゃんがいるのだからと言われても、体が醜くだぶついていく様子を、「醜い」としか思えない。子供を持つ喜びで、まったく打ち消されることはない。

わたしの趣味は家庭的だと称されるものが多いが、そういう意識は全くなく、どっちかと言いうと手に職をつけることのできる、商売に結び付く趣味だと思っていたけど、人からそう見えないと知ったとき、面食らった。手芸が好きなのだ。

 

自分が持っている苦しさや大変さの一つに、「性違和」という名前絵をつけて呼ぶことができる。だから、わたしはそれを手掛かりにして、考える手綱が一つ増えた。

 

Aちゃんを笑顔にしたいと思って話し始めたことだったけど、自分の問題になって帰ってきた。

問題を解決しようとは思えない。しょうがないと受け入れることもまだできていない。

結果的にしょうがないと思えたらそれはそれで運が良いことだけど、そうじゃなくて、考えて、楽になるときが来るといいと思う。

楽になればそれでいい。

楽にならなくて、わたしが自分の体に違和感を持ち続けていたとしても、それでいいと思ってる。

少しずつ、考えを進めることができるから。

以前に描いたブログで「いつまでも悲しみを中心においているとよくない」ということを書いたら、ずいぶんと反発が来た。

わたしがそう考えていることとは変わらない。わたしは、つらいことと立ち向かうことと、悲しい悲しいと言い続けていることとは違うと思ってる。

違うつもりで書いたのに、「人にはプロセスがあるから、悲しい時はいつまでも悲しめばいい」と言われた。でも、一生悲しみたくない。悲しみたい人は一生やってればいい。

それと、考えていくことと、悲しみを楽しむ人とは違うと思ってる。

大昔に大変なことがあってそれをずっと大変だと思うのは、今現在それ以上に大変なことがないからだ。それは幸せなことだ。

わたしが自分のボディに違和感があるのは、今現在進行形のことで、「今」の話だ。

だから、違う。

今、わたしは、困ってる。

妊娠したから、加齢したから、どんどんボディが変わってく。ボディが憎い。嫌い。受け入れられない。見たくない。消したい。消えたい。

こういう気持ちとどうやって折り合いをつけるか、またはつけないまま生きていくか、どこに着地するのか、見てみたい。

性規範とは戦える。性違和とはどういう風に付き合うんだろう?

これから楽しみだ。

 


アトピーだった

かなり重度のアトピーだった。

眠ると背中の皮膚が、シーツに張り付いて、蛇の脱け殻のように、体の形に皮膚がシーツに残った。

浸出液が止まらず、脱水で、二日に一度点滴をしていた。

二週間、熱が三十八度を下がらないほどの炎症で、血液検査の数値は悪すぎて、手書きだった。普通の機械の桁を越えていたからだ。

死ぬかもしれないと思い、この先生が間違って死んでも構わないと思えるほど、信じたい先生を選んだ。

その先生の治療が間違っていて、死んでも構わないと。

体力は落ち、お風呂に入っても、水圧に負けて、引っ張りあげてもらわないと、お湯から出られなかった。

薬を塗るそばから皮膚が剥離した。
指先から皮膚がずれていった。

手のひらは水疱のなかに水疱ができて何重にもなり、潰れて、真皮が露出した。
箸もなにも握れなかった。

食べ物を食べると、その熱で、炎症が強まり、倒れた。

水が火傷と同じように外側に集まるので、常に寒かった。

歩こうにも、足の裏に皮がなく、痛かった。

髪も抜けた。爪もなかった。

皮膚は、バリアだ。

精神科の先生や、皮膚科の先生が、人から境界線を心の境界線を犯されたとき、悪化すると教えられた。

お母さんはやるべきことをみつけて、生き生きとしていた。

境界線を崩したのはお母さんだけでなく、父や、男や、親戚やいろいろな人だった。妬まれてもいた。

家族に反対されながら、大学にいくために一人暮らしした。

少しずつ改善した。

心の問題がすべてだったとは思わない。

でも、あのころわたしは耐えた。生きてた。

今もだから命がある。
死んでもおかしくなかった。

気の狂うようなかゆみと痛み。
眠れない夜。どんな体勢でもつらかった。
話すと唇が切れた。

内蔵と皮膚は繋がっていたから、内臓にも炎症が起きていた。

治療法はないに等しかった。

寝たきりのわたしを支えていたものがなんだったのか、もう思い出せない。

わたしのからだや顔にはあとが残っている。
シミのような無数のあとが。
普段忘れているけれど、思い出させてくる人もいる。
それはなにか、とか、不摂生したの?こうしたら治るよ、と。

惨めになる一方で、殺してやりたくもある。

これはわたしの戦いの証。

誰にわからなくても。汚いと言われても。

わからない人にはわからない。それでいい。

確かにわたしは今も生きている。

それだけしかわからない。


躁鬱が苦しい

自分の思考が鬱によって歪められている。
考えることが気分に影響されて、現実を歪めて解釈させる。

味方などいないのだと、気分がささやく。

本当はそうでないと理性では知っていても、感情は強力で否定する。

なすすべもない。

誰の言葉も信じられず、届かない。

わたしは治らない。
躁鬱は治らない。

苦しさと同居するだけ。

その中でも何かなしたいと、願っているけど、こんなときには志も無力だ。

激しい波がわたしを押し流す。
津波のようだ。


母は母。わたしはわたし。もう、傷つけられない。

中学生の時、生理痛がひどく、道端で気絶し、銀行に保護された。
救急車で搬送され、点滴を受けていたら、母親に胸ぐらをつかまれ、いくらかかるんだと思っているんだと怒鳴られた。

中学校では、早退を許されず、歩いて移動できなかったので、四つん這いで歩いた。
みじめだったので、生理の日は、学校を休ませてほしいと頼んだが、「生理がばれる。恥ずかしいのはあなた。わたしは這ってでも学校に行った」と言われた。実際に這ったわたしは、そういうの、やりたくなかった。

母は、わたしが成人してからも、家を出るまで、赤ちゃん言葉で話しかけた。風呂を上がろうとすると、脱衣所に来た。

そういうことに折り合いをつけられたのは、自分が大人になり、一緒にいる相手を選べ、もう、自分が傷つけられないとわかったからだ。
会わなければ、もう大人だから、傷つけられない。

会わないという選択肢が、ある。

自分の母との問題が分かってからも、わたしは主治医の前で母の言うことをオウムのように繰り返し続け、ほめたたえていた。
主治医はわたしに、「バリア」を作って、いい言葉だけを自分の中に入れるようにしなさいと言った。

自分の人生を奪われたことが悔しい、若い時代を奪われたことが苦しい、殺してやりたい、といったら、まだ若いのだし、気が付いた時から始めればいいのだといわれた。でも、全然納得ができなかった。

そうして、悔やみながら、もがきながら、過ごした時代は、過去のことを考えていたばかりで、そうしているうちに、現在も未来も、あっという間になくなった。具体的には母のことを考えているだけで、十年が経過した。
そうして、ようやく、母のことを考えること自体が、ばかばかしいのだと気付いた。

その後、父と半年暮らした。父が母を壊したのだった。

だから、もう、関係なく生きようと思った。

もがいている最中の時代を、むだで意味がないと思った。
でも、そうじゃなくて、もがいている最中に出会った人がいたから、人を信じ、愛することを怖がらなくなった。

むだじゃないといえる。
でも、わたしには無駄だった。もっと、いろいろなことをできた。可能性があった。可能性を悔やむ。
可能性を悔やむこと自体が、過去に対して考えることで、その最中にも、今という時間は消えていくのだった。それを主治医に指摘されても、どうにもならなかった。

母がしてくれたことはたくさんある。それでも、もう傷つきたくない。
あのころ、わたしは、たいへんだった。骨折をしても、病院に連れて行ってもらえなかった。

今は自分で行ける。

折り合いはついたのか、というと、ついた、とはっきりいえる。
わたしは今自分を生きている。
自分の選んだ人といる。
尊重されている。

わたしは壊れた親に育てられたが、壊れていない部分もある。壊れた部分があったとしても、それを受け止めてもらえる相手がいる。
その相手を選んだのも、わたしの力だ。
だから、わたしは、もういいんだ。
母のようになる可能性はゼロだ。
だってひとりではないから。もし、母のようになる瞬間があっても、反省して、見つめなおして、修正するだろう。
わたしは、自分を、信頼する。
疑いながら、それをバックアップしてもらえる環境を構築して、防ぐ。
だから、わたしは、過去のことを懐かしく、慕わしく、思い出すけれど、つらいことも、悲しいことも、ひっくるめて、もう、いい。

大人になったから、自分を守れる。
自分を守るのは自分。
もう、わたしは十分にもがいたのだ。


過去の悲しかった出来事に拘泥するのは依存の一種

反発を招くのを承知で書くけれど、そこまで悲惨じゃなかったけど本人にとってつらかった出来事を後生大事に抱えている人たちは、それにしがみついて、現実のたいへんなことから逃避しているように見える。

わたしは客観的にみて、比較的ひどい人生を送ってきたと思うけれど、そのために、いろいろなことを切り捨てられた。
俯瞰して見られるようになったので、もういらないや、と思ってからは忘れないでいるにしても、どうでもいい。

でも、どうでもよくないと、ずっと、抱えているのって、お酒で現在のつらさをごまかすのと同じで、過去のつらさで、今のつらさを見ないでごまかしているように見える。

わたしがつらかったから、ほかの人のつらさはたいしたことないとマッチョなことを言いたいわけじゃないんだけど。結果としてマッチョになるかもしれないんだけど。

すごく小さなころに「おまえがいなければ」と言われたことをたとえばずっと抱えていたとして、わたしだったら、じゃあ、そんな親、捨てちゃえば?と思う。

それをしないで、悲しい、心の傷、って言ってるのは、結構楽しいんじゃないかと思う。

わたしにも心の傷はないわけじゃなくて、PTSDの結果、できなくなったことは多々ある。
でもそれはそれとして、結構幸せに生きている。できる範囲でね。

目安として十年くらい悲しんだら、あきらめて、手放してもいいんじゃないかと思う。

わたしは、傲慢だから、以前は、わかりにくい苦しみについて、理解がなかった。今は結構あると思ってる。

でも、それにしても、親から受けた悲しさを、ずっと抱えているままなのは、もったいないと思ってる。
もったいないというか今を生きていない、というか。

うまくいえないけどさ。

こうしてほしかった、と思うのは、思うけど、でもないわけだから、あきらめたらいいじゃん。ってどうしてもやっぱり思う。

わたしはひどい目に遭ったから入院もできて、父親の屑さも目の当たりにできて、もうどうでもいいやと思えたから、ラッキーだった。

自慢みたいだね?

どうしても、過去の小さなこと(それはわたしから見ての話だけど)を後生大事に抱えていつまでも苦しがっているのは趣味みたいに見える。

それで、いいならいいんだけど、趣味だと割り切らないで、悲しがっている人はあまり好きじゃない。

みんな、さっさとあきらめればいいのに。できる範囲のことをすればいいのに。と思う。

過去の悲しいことをずっと考えているのは、やっぱりアディクションの一種なんじゃないかな。ちょっと気持ちいいし。悲しいこと考えているのって。

でも、そうして、過去に生きている間に時間は進むし、時間が進んだことに気が付いた時、それも、誰かのせいだってしていたら、まあ、誰かのせいかもしれないんだけど、結局人生の時間を減らして、後悔するのは自分なんだから、不都合な人間関係を捨てて、物理的な距離置けばいいのに、と老婆心ながら思ったりする。

(悲しみの必要なプロセスだとフォローしてるかたに指摘してもらいました。
わたしもそのプロセスは踏んでます。
プロセスの時間も長くてその時間がなければと悔しく思う。でもいつか終わらせなくてはならないとも思う)


妊婦になっても幸せにはならないよ

妊婦になってから自分をコントロールできないので、自尊心がごりごり削られていく。
体調の悪さもそうだけど、体重の増加、体形の変化、そういうもので、プライドが痛む。

パートナーに代わりに生んでくれ、と何度言ったことか。

人生の設計ミスだ。
なのに、身ごもっただけで、母親という別人格になれという圧力よ。
検診、穏やかさを求められる。毒舌なわたしは、妊婦のくせに「かわいそう」とか言われるよ。
毒舌なのはもともとだ。それに、それがわたしの独自性だ。わたしは自分の独自性を情報として売っているので、商売の役に立っているのだ。そういうの削らないでくれよな。

わたしは、かわいそうだよ。妊婦なんかになっちゃって。
好きで妊娠したけどさ。だからといって、苦痛ウエルカムになるわけない。

だってさ、仕事で大変な人って自分から就職したくせに、って言われたら苦しいでしょうが。
自分から選んでも苦しいことってたくさんあるんだよ。

そういう妄想殺していきたい。

幸せになるために子供を産むわけじゃない。子供は別人格だから、わたしを幸せにするアクセサリーじゃない。
道具でもない。
勝手に産みたいんだ。その動機を忖度されるのはプライバシーの侵害だ。

しんどいのは想像していても、リアルタイムのしんどさが緩和されるわけじゃない。
文句言うな、っていうのは、自分が見たくないものを見たくないってわがままじゃないか。

社会的な問題について、問題だというと、怒る人たちは、個人的に思った、ということにしろとうるさい。
でもさ、社会的な設計のミスで苦しいんだから怒るのは当たり前だ。矮小化するなよって。
自分の苦境は自分のせいだ、と思うのは勝手だけど傲慢だよ。

自分のもろさを認められない人は、生きている感じが減ると思う。わたしの場合は、自分のもろさを感じて、それをなんとかしようとするとき、生きていると実感するよ。

子供を産むと幸せになるというイメージは全然ない。やりたいことは制限される。そういうイメージだから、不幸に近づくと思ってる。わたしは、やりたいこと多いんだ。
時間的なリミットと、好奇心で生むことにしたものの、マタニティーブルーは勝手にやってくる。

暇だから何かやりたいけど、できない。気力がわかない。ていうか、起き上がれない。でも暇。

PTSDがあるから、受動的な趣味の代表である映像作品を見ることも叶わない。

わたしには悪趣味があって、男向けのエロ漫画を読む。

そういうのには「中出しされると女は絶頂に達する」「支給校を自分の意思で占めることによって、受精を拒める。ただし快感が強い場合にはそれができない」「中だしは女にとっても気持ちがいい」「精液は子宮に直接入る」などのドリームがたくさんある。

そういうの、信じている人いるはず。

ノンフィクションとフィクションの間は、結構あいまいで、ノンフィクションと銘打たれていても、わかりやすく整理するために虚構は絶対にある。でも、そのことも知らない人は多い。

何度も同じものを見ているうちに、現実とは違っていても、それが本当だと信じる人もたくさんいる。

どぎついエロ漫画やポルノに影響軟化されないよ、という人いるけれども、刺激を求めてそうやっているうちに、そうじゃないと満足できないのって、すでに、フィクションが現実に作用している。そういうの、なしにして、区別ついていると言い張るのはおかしいよ。

妊婦に関する妄想もそれと同じで、妄想を言い続けているうちに、本当のことだと思い込んで、現実の人に押し付けているのって同じ構造だと思うよ。

そういうのを許している空気、て、社会的なものだから、個人的に言えばいいじゃないか、ってやっぱり変だし抗っていきたい。


性嫌悪やその他を妊婦や子連れにぶつけないでおくれ

新聞の投書で、二十三歳女性が、新聞に投書した内容が、「お店で授乳はおかしいという意見を知ってくれ」のがあった。

おっぱいは、性的なものだから、隠してほしい、という願いがあるように感じた。
それって、性嫌悪だったり、自分の羞恥心だったりするんだろうけど、それは、子連れの多い店でバイトをするのをやめるなり、見て見ぬふりをして解決をして、他人に何かを求めず自己解決してくれと思った。

他人を変えるのが難しい、という話もあるけど、それ以上に、子供を妊娠した時点で、何もかもままならない。

わたしは、つわりでも結構食べられるほうだけど、一日に四回くらいは吐くし、吐いてもすっきりしないし、食べても胃が痛いし、食べなくても胃が痛い。
おっぱいはわけわからないくらいに膨らむ。骨盤もゆるゆるになって、不都合出まくり。

妊娠する人が、全員セクシャリティに納得しているわけじゃないんだ!
ちんこをまんこに入れたら自動的にこどもはできるので、「わたしは女であるぞ。だから、すべてのことを受け入れられるぞ」という人ばかりじゃない。それは、普通の人たちのセクシャリティがばらばらなのと同じ割合で、それぞれの「母」になった人も同じだ。
母になったらいきなり全部受け入れられる超人にメタルフォーゼするわけじゃないんだぜ。

違和感も不快感もありつつ、我慢しているだけだ。

で、自分のちょっとの我慢も耐えられず、「母」の属性を持つ人に、甘えるのは「子供」であるが、「お前を産んだ覚えはない」と言いたい。
(まだ何も生んでないけど)

葛藤がありつつ、でも、子供いたら面白いし、子供増やすためには自分の子宮を使うしかないんだ。それでもって、「女」という属性すべてを受け入れて受け止めて、メジャーな感じになるわけじゃないのだ。

変わってもらえないから仕方がないのだ。

性嫌悪があるなら、それは自分で何とかするか、仲間内で何とかするかして、見知らぬ「母親」に対処を願うのは「甘え」だ。
その甘えはいい甘えじゃない。人の自由を制限する甘えだ。

ただの個人が勝手に思うならいざ知らず、子連れ歓迎のお店にいて、その店員がそういう風にいると、「安住の地はない」と思うし、その店にはいきたくないが、どの店がそういう方針なのかわからん。店員がそういう風に言う以上、ある程度、その店ではその価値観が普遍性を帯びているのだろうと思うのだった。

母親だからって他人の要望や欲望を受け入れられるようになるどころか、どんどんぎりぎりになって狭量になるんだくらいに思ってもらわないと困る。

どうして、子供は社会の宝だと思えないのかな。
それも、よくわからない。

別に子供をリアルに好きになれとは言わないが、子供いたほうがいいじゃないか。
日本が滅ぼうと何しようとどうでもいいけど、世の中に生まれた子供ができるだけいい感じに育つように応援することが、自分の苦しみを減らすことになると思うんだけどいかがか。
自分が得られなかったものを、次の世代が得られるならそんな素晴らしいやり直しはないじゃないか。

性嫌悪でも、常識でもいいし、そういうのは、自分の内部で解決してくれ。
誰も、自分が産んだ人以外の母親にはなれないんだよ。
自分を産んだ母だって何もかもは受け入れられないんだから、甘えるのもいい加減にしろと思ったのだった。