男性が男性の起こす犯罪について考えるべき理由


男性は、「男性の多くは、犯罪を起こさないから、犯罪者のほとんどが男性だとしても、考える必要はない。それに、犯罪被害者の多くは男性なんだよ?」というけれど、犯罪は社会の問題なので、社会が考えるべきことである。

下記ブログがよく引用されるのでそれに付随することについて。

↓こういうのについて思うことを書こう。

そして、加害者に男性が多いなら、男性も、男性を恐れるべきだ。恐れ、考え、傾向と対策を練るべきだ。女たたきに精を出しても、男性が男性による犯罪の被害者になりやすいことには変わりがない。

男性が、「多くの男性は犯罪を犯していないから、犯罪者のほとんどが男性だからと言って、男性問題として考えるのはおかしい」と言っている人はよく見るが、社会の一員として犯罪について考えるべきだ。じゃなかったら、そもそも社会全体の合意の下で、 「犯罪」を「犯罪」として、 規定できないはずじゃないか?

誰もが、自分の権利の下、権利を委託して、立法をほかの人に頼んでいる。つまり、今ある法律は、自分の権利を守るものでもあり、縛るものでもあるってことだ。

だから、考えない理由がない。

また、自分は犯罪を犯していないから関係ない、という立場はどこまでも他人事だ。でも、社会の一員として、社会に参加しなくては、私たちは生きていけないのだから、傍観していてはいけない。傍観は、中立じゃない。犯罪の放置は、犯罪への加担だ。追認と同じ。

男女問わず犯罪だから、「男性」の犯罪だということをことさらにあげつらうべきじゃない、という人もいる。

男女問わず犯罪として罰せられる、法律として男女の別が定められておらず平等だということと、犯罪者が男性に偏っていることとを混同しているのは、本当に理解しがたいんだけど、こういう人もいるようだ。

同じ法律で裁かれることと、男性に犯罪者が多いことって全く階層が違う話なんだ。でも、男性に犯罪者が多いと指摘をするだけで、怒り狂った男性がわらわらと寄ってきて、いろいろなことを言います。

男性は、加害する性として育ってきたことを自分のためにも考えたほうがいい。できたら、人のために考えられるのがいいけれど、利己的に育ってきて、その歴史を乗り越えられないから、自分事として考えることもできないようだから、自分の身を守るためにも、どうして男性は犯罪を行いやすいのか、ちょっと考えたほうがいい。

男性は、暴力を容認されるように、育っているから、ほかの男性が罪を犯しやすいと聞いても、やっぱり容認してしまうんじゃないかと思う。

だけど、社会の成員として、生きていく限り、自分の属性がどのように受け止められているか、ちゃんと考えたほうがいい。考え、実行することが社会への責任を果たすってことだから。

c71の著書

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