たいていの場合、「勉強しろ」と言われたら、深く傷つく。
大人になってから、自分の意に沿わない意見を持つ人に対して「勉強しろ」と言ってくる人がいる。何をしたらいいのかも教えてくれず、自分で考えろと言わんばかりだ。
そして、勉強した結果、やはり、意見は変わらないので、そういうと、「勉強が足りない」と言われる。とうに相手よりも学んで知識が豊富になっているのに。
そういうことがあると、「勉強しろ」というのは、自分の意見を忖度しろ、以上の意味がないんだろうと思うのだ。
人の意見を全く聞かないことも、全部うのみにすることも、間違っていて、だれが何を言ったのか、何を採用するのか、是々非々で考えて、極端にならないようにしたいものだ。
プライドが傷つくことがあると、どうしても排他的になる。それを恐れて、何もかもにうなずくこともしなくていい。自信をもって、自分の判断を信じたい。
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