考える人と考えない人

「わからない」といっていつも考えている人は、自分の中の「わからない領域」についてフォーカスが向いている。

「わからないことがない」「わかっている」人は、「わからないこと」に注意が向かないので、わからない領域があること自体を認識できない。

わからないことがあると理解できていると、それについて考えたり調べたりするので、わからないことが減っていく。

けれどわからないことがわかるようになると、新たな問いが見つかるので、考える人は、常に「わからないことがある」と思っている。

わからないことがない、と思っている人は自信にあふれ、ものごとを断定するので人気が出る。断定されると、聞いている側は、安心する。考えることから解放されるからだ。

断定する人は、自信を持ち、人望もあるので、どんどん偉くなっていく。自分は優れていて、えらいのだ、という認識を強める。自分が正しいと信じ切る。そうじゃない可能性は最初に捨てているので、それを揺るがされる状況には陥らない。

考える人は自信がないので、そうした人に付け込まれる。考えない人は謝らない。なぜなら、彼らは自分のことを正しいと思っている。それに謝ったら負けなのだ。謝らなかったら勝ったのも同じ。うそをつき続けていたら、周りもそれを現実とみなしてくれる。うそをついているうちに自分もそれを本当のことだと思ってしまう。妄想を現実に合わせるんじゃなく、現実を妄想に合わせる。

疑問がわくのは賢いからだ。みんなが見逃している事柄から、矛盾や不明点を探し出すのは、賢いからだ。だけど、わからないことがある人のことを愚かだと思う人は多いので、疑問を持つ人はぼこぼこにされてしまう。疑問を持たないことで、力を得ているから、疑問は、力を脅かす存在なのだ。

問いが正しければ、正しい答えを見つけ出せるが、問い自体が間違っていたら、その答えも間違ったものとなる。

考えない人はとても強い。考える人は不安定で弱い。だけど、一歩同質性の外に出れば、考えない人は、そのルールが通用しないので、とても弱くなる。それを避けるために、彼らは、考える人を外に出すこともしない。

(Twitterで見たツイートに影響を受けた記事です)

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