【女装して一年間暮らしてみました】の裏切り【感想】

ふむふむと読むことができる部分があったけれど、最後に残ったのは落胆だ。

男が女装をするとき、そこには選択肢がある。

女にはない。女は嫌になったからと言ってやめられない。男が女装して女として暮らしても、止めることができる。

わたしたちは、スカートや下着を楽しむことができる一方、それを拘束着としても感じる。

ハイヒールは痛い。したくてするのと、したくないのに、義務や圧力からするのとは違う。目立つと、たたかれる。自分を表現する服装にたどり着くのは難しい。わたしにとって、女の格好をすることは、自由を獲得する行為でもあるが、その一方で、圧力によって装うからだ。

男の服装は、彼の言うようにシンプルだ。ズボンを履いてシャツを着て、ジャケットを着れば事足りる。

女はそうではない。爪が引っかかれば一瞬で破れるストッキングは一枚500円で、それを穿かないとマナー違反だと言われる。

はきたくてはく人もいるだろうが、そうじゃない人もいるのだ。

最後に、女性が変わるべきだと、メッセージを送って、女装をやめたくだりには、失望した。失望、がっかり、一年間してみて、その感想だったのかと。

男が女性に持つ妄想と、女が男に持つ妄想と、どちらがきついかと言えば、男の持つ妄想のほうだ。男は、女の体を扱う時、「女は痛みを感じない」という前提で触れることが多い、わたしはそういう経験をした。

たしかに、女が男を人間として見ないで、「理想」の型にはめることはある。

でも、男だって昼は処女、夜は娼婦みたいな妄想を持つ。どちらが有害か。

彼は、女が男に対する妄想をやめればいいというようなことを言った。そこから男は変わると。男は変わりたがらないからと。

それはとても卑怯だ。彼は、性暴力の被害に遭った。女の姿をしたら、どれだけ暴力にさらされているのかわかったはずなのに、「女に変わることを求めた」。

男は変わる気がないから、変えるとしたら女が変わるべきだと。

では、あなたは男ではないのか。男として、男を変えることができるはずではないのか。女が男を変えるよりも、ずっと楽なはずだ。なにしろ、彼は男の中でもエリートで、男に対する影響力があるから。

女には、男に対する影響力はない。

女装は、女にとって、楽しみである一方、苦しいものでもある。

それを彼はごまかした。

彼の中の女の部分を大切にして、彼が解放感を味わい、本当に生きる実感を得たのは素晴らしいことだと思う。

でも、たった一年間でなにがわかったんだろう。

上澄みだけ。

男が女を人間として扱わない経験を彼はした。男友達は失せ、暴力にあい、軽視された。

男が女を人間として扱わないのに、どうして、女が男を変えることができるんだろう?

こちらが何をいっても、人間がしゃべったと思ってももらえないのに。

生まれてからこのかた、女として扱われることが、どれだけつらいか、彼はたった一年で音をあげたことからもわかるだろう。

彼はそれをわかっているのに、女に変われと語った。欺瞞だ。

彼は、その経験を持って「男」にアプローチするべきだった。

女に語るのではなく。彼はきっと、女に語るほうが負担がなかったのだ。

女の姿をしている間、男に暴力を振るわれたから。それで、簡単なほうを選んだ。

わたしは、だから、読後、騙されたような気分になった。


投稿者: c71

c71の一日 フェミニスト、自閉症スペクトラム、双極性障害(躁鬱)、性暴力サバイバー 最近はフェミニズムの記事が多いです

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