マサキチトセさんの講演会「働くLGBTのホンネ」に行った

なかなかない機会なので、マサキチトセさんの講演会に行った。
最近個人的に「マイノリティは人を成長するために存在しない」ということをもうちょっと煮詰めて考えたいなと思っている機会だった。

楽しかった。知らないことや基本を教えてもらえて、気分がすっきりした。

ダイバーシティとは、取り組むものじゃなくて、取り戻すもの。
わたしたちは、集団で社会を作っている。
その中に、「徴」をつけられるもの、つけられずに済むものが分けられる。
複数のしるしをつけられる者もいる。そういう人たちは複合マイノリティという。
数で言えば、有徴の数のほうが多く、無徴の者の数は少ない。
マイノリティという言葉は、数の多寡ではなく、力を持っているかどうか、で分けられる。
有徴の者は、周縁、つまり、集団の恥に寄せられる。

ダイバーシティとは、優しくして受け入れることではない。
すでに、ダイバーシティはどこにでも存在している。しかし、すでに存在しているものを、見えなくして、端に追いやる力が働いている。

それが、ノーマティビィティである。
nomativityとは、nomal、規範から来た言葉である。規範とは、普通じゃないものを周縁に追いやることである。
ノーマティビィティは、減点、脱落方式。だから、少し何かあればノーマルではなく、有徴だ、ということにする。

ノーマティビィティの表れ方の一つとして、履歴書がある。名前で、性別民族人種が分かる。
写真で美醜が分かる。若さもわかる。
ノーマルから引き離される。それが生きづらさを産む。

LGBTとはLGB/Tなのだ、という話を聞いた。
前者は、性的指向である。性的指向とは、他者に向かう欲望である。それは、相手の自認や体に関わらない。

Tは性自認である。自分に向かう認識のことである。

ところで、同性愛、両性愛、無性愛、全性愛、非性愛、班性愛、など分類やカテゴライズに限界が出てきている。
これは、わたしも疑問に思っていたところだ。

人は、カテゴライズされるために生きてはいないから、その中間、さらに中間、というように、スペクトラムが存在する。
だから、カテゴライズには、問題があると思っている。また、カテゴライズというのは、一般的に、「権力を持つ側」がするものであるから、そのことにも問題があると思っていた。

それにも、触れてもらえた。

無徴の人が、有徴を名づけていた。だから、無徴にも名をつけた。無徴も、当事者だということだ。そうして、シスジェンダー、ヘテロセクシャル、という言葉が生まれた。分類には、誰もが入ることを示した。

同性愛、という言葉が生まれた背景には、結婚、家庭、生殖をパッケージ化した、1830-1860年ころに起きた、近代化の動きがあるそうだ。
差別を求めて、「あの人たちはおかしい」ということを示すためにできた言葉だそうだ。
それまでも、もちろん、男好きの男や、女好きの女、いろいろいただろうけれど、はっきりと分けられていなかったそうだ。
性的な欲求が、人間としての、大きな特徴とされた。
本当は、人間の一部分にすぎないのに。

LGBTは、流行の枠組みというだけで、人の生を理解するには、限界がある。LGBTは特に目立って、差別を受けてきたカテゴリーだから、歴史や時代によって変化しうる。

マイノリティでも、嫌っていい。それは、ある人が嫌いだとして、そのある人がマイノリティだから、嫌ってはいけないか、ということじゃないという意味。
ただ、差別心がゼロじゃないか、疑うこと。

トランスは中小企業に多い。転職も多い。トランス女性は、転職が16%高い。

心のありようだけじゃなくて、社会の問題でもある。

LGBTを知った人も、サポートを必要としている。ただの無知、バカと切り捨ててはいけない。
(わたしは切り捨てているので、ちょっと反省。でも、知る気もない、知ろうともしないで、勝手に危害を与えてくる人のことをどうすればいいのかわからない。今のところ、バカだから理解できないのだ、と切り捨てることで、わたしはわたしを保っている)

嫌がらせの内容が、理由とずれているときがある。
それは、「ゲイだから気持ち悪い」と言っている人でも、実際にはほかのことで、その人を嫌だと思っていて、「ゲイだから」という言い方になっている場合もあるということだ。
だから、簡単にはいかない。

イメージが凝り固まっていて、見落としがある。知識はいつも不足している。現場の当事者も、わからないことはたくさんある。
知らないからダメ、ではなく、知らない自分を受け入れる、知識を埋めることが大切。だが、勉強だけではなく、一人一人の信頼関係と対話が大切。

信頼関係がなければ、打ち明けられることもない。周囲に、マイノリティがいない、そんな人はいない、と言っている人は、単に打ち明けられるほど信頼されていない可能性がある。

1967年、ゲイ、トランス女性、セックスワーカーのライツ運動があった。
1972年、進展した。
だんだん、ゲイ男性が私物化し、メイン化した。

そもそも、女、男しか、カテゴリーがないのは?

トランスジェンダーとトランスセクシャルの違い。
トランスジェンダーのほうが、いろいろ含んだ、大きな概念であり、枠組みである。

GID,性同一障害との違い。
これはトランスジェンダーとは、性が自分の生まれたときの性別と違うという「状態」であるのに対し、GIDは「疾患」であるということ。
これは、医療従事者に対して、理解してもらうための手段であった。
法律上、対処してもらう時に、便利だった、ということ。

質問タイムの時に出た話。
語らせられる暴力、というものがある。マイノリティの利用。語りたい部分もあるが、どうして、当事者が負担しないといけないのか、という問題がある。

かといって、ほかの分野についての当事者の話を自分自身も聞きたい。そして、何もしないわけにもいかない。
(そうだなーと思った。よくこれは思う。なんで、説明しなきゃいけない?と思うこともあるし、言いたい!って思う時がある)

プライドパレードについては、お金がいるから、商業化はやむを得ない部分もある。加害者でもある(これ、なんでだったかわ忘れました)。パレードの恩恵もある。

差別を見たとき、笑って流せるのは特権。差別されたとき、見逃してしまうと、同じ属性の人に影響がある。
流せるとしたら、その属性じゃない、だから、逃れられるため。逃れられる、ということは、それ自体が特権である。

一番核心だと思った質問は「人はなぜ差別するのか?」
差別される理由は考えなくてもいい、という意見。

わたしはアイデンティティの確立のために、やっているのではないか、という意見を出した。
理由はない、ということに落ち着いた。
でも、本当になぜ?と思う。

楽しい講演会でした。

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投稿者: c71

c71の一日 フェミニスト、自閉症スペクトラム、双極性障害(躁鬱)、性暴力サバイバーhttp://www.vesii.jp/ ベシー占い 占いをしています。 http://blog.c71.jp/ お仕事情報はこちら

“マサキチトセさんの講演会「働くLGBTのホンネ」に行った” への 5 件のフィードバック

  1. 講演会で最後の質問をしたものです。

    ツイッターを見て、c71さんだったことに気づきました。(3年くらい前からずっとブログ読んでます!ファンです。)なんといえばいいかわからないのですが、記憶に残る講演会でした。
    ありがとうございました!
    またどこかでお目にかかれたらいいなあと思います。

    1. こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      あの質問は素晴らしかったです。三年前から読んでくださっているとのことでびっくりです。
      こちらも、連絡しようとしていたのですが、うまくいかず。だから、連絡くださって嬉しいです。
      また、お会いしてみたいです。

      1. ありがとうございます!
        暑い日が続くので、どうぞお身体に気をつけてお過ごし下さい。そして、c71さんに快いことががたくさん訪れますように!

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