不登校について、見てきたこと

最初に断っておくけれど、わたしが知っている不登校の生徒は、少なくとも、親御さんがお金を出すことができる家庭に限られる。教育に理解があり、ある程度裕福な家庭だ。
だから、わたしがこれから書くことは、一地域の、限られた属性の人たちのことだ。
でも、大人になった人たちが、自分の子供のころを思い出して、自分の経験だけをもとに、子供に対して話すと、必ずしも適切とは言えないアドバイスになると思うので、これからプライバシーを守れる範囲で書きたい。

わたしが持つ生徒のうち、年に少なくとも二人以上の生徒は不登校だ。
最初、普通に通っている子供が、途中から「学校に行かない」と言って、実際に行かなくなることもある。
そうしたときには、わたしは「そうか、わかったー」という。
止めることもない。そのまま、受け止める。

十年ひと昔というが、今、不登校の子供はとても多い。そして、長期にまたがる不登校になる生徒は、少ない。
だいたい、半年、長くても一年で復帰する。一日中学級で授業を受けられなくても、保健室登校を始める。
案外、けろっとして登校し始めることもよくある。親御さんも昔と違って、無理やり行かせる、というおうちはかなり少ない。

生徒たちは、半年くらい休息した後、新学期や、新年度を機に、学校に戻っていく。そういうケースがほとんどだ。
この場合、勉強に関して、困ることはほとんどない。
中学生の場合、カリキュラムはゆっくりなので、半年程度の遅れなら、すぐに取り戻せる。

だから、わたしは、ことさらに「不登校にはデメリットがある」という話をしない。

ただ、不登校になると、たとえば、自営業のおうちで、一日親御さんと一緒に過ごせている環境だったり、シフト制で家にいる時間がとれるご家庭でも、生徒さんの生活リズムは、ずれていく。
生活リズムが崩れて、夜型になることが、一概に悪いとは言えないけれど。

不登校になる生徒さんは、様々な理由で学校を休む。精神的につらい、肉体的につらい、疲れた、休みたい、もしくは何となく行きたくない、学校の方針になじめない、理由はない、いろいろだ。
友達がたくさんいて、人気者であっても、行かなくなる時は行かなくなる。
勉強ができても、できなくても、どんなタイプの子供でも、行かない時には行かない。

いじめというのも、だいぶ様変わりして、表立ったいじめはほとんど聞いたことがない。押された、とか、こづかれた、とか、そっけない態度を取られた、とか、一番ひどい例でそんな感じ。
たいていのいざこざは、ラインやネット上で行われるから、高校生などは、スマホのない時代に生まれたかった、という。

子供と普段接していないと、中学生を大人だと思いたかったり、大人扱いすることがいいと思っている人がいるようだ。
でも、子ども扱いしつつ、意思を尊重することが大事だ。
なぜなら、子供には判断力がないから。
だから、大人は子供を保護する必要がある。

子供に、独学を期待するのは、難しい。
中学生に限っても、きっと、平方根の概念で躓くだろうな、二次方程式や因数分解が分からないだろうな、二次関数になるとお手上げだろうな、英語の単語を覚えることや、英文を覚えること、英訳が正しいかどうか確かめること、漢字練習をすることが難しいだろうなと思う。
理科は暗記科目だと思われているけど、今のカリキュラムだと、考えさせる問題がほとんどだから、たとえば実験を経験していないと、何を目的とした操作で、何を確かめるのか理解しないままだと、学習も、テストもわからなくなる。
漢字の書き取りを自発的にする生徒も見たことがない。
社会も、今や暗記科目ではない。意味もなく覚えることは苦痛だから、ほとんどの生徒は、意味が分からないままだと、社会を勉強できない。

高校生になっても、教科書の大事な部分を読まないとか、参考書を読んでも、大事なところを大事だと気付かないだとか、難しい問題に取り組んで、何時間もぼんやりした挙句、教科ごと嫌いになるとか、そういう不合理なことをよくする。

わたしの知っている中学生は、勉強がどんなにできても、独学をすることができない。
偏差値がほとんどの科目で70前後の生徒を教えたこともあるけれど、その子だって宿題以外はしなかった。

勉強しないことのデメリットは、ほとんどの子供が、子供なりに分かっている。でも、ほとんどの子供は勉強を自発的にはしない。

学校から長期的に離れている生徒を教えたことも、何度もある。
そうした場合、当日のキャンセルが非常に多くなる。当日、具合が悪いことがわかるからだ。
こちらも、日程変更に応じられることもあるが、できないこともある。
相手も、気まずくなるらしく、結局塾をやめてしまう。
塾を転々としたり、学校を転々としたりする生徒にとって、新しい先生に会うことは、負担になる。
だから、そうした生徒は、塾もあきらめていく。

中学生向けの塾を、大きく三つに分けると、集団塾、少人数体制の塾、一対一の塾および家庭教師になる。
集団塾は、学校で一度習ったことを前提に勉強をする。質問をする時間もほとんどない。たいていは、学校の授業をまねしたものだ。
少人数体制の塾の多くは、パーテーションで区切った机に子供を座らせて、一度に三人くらい見ながら、先生が巡回するスタイルだ。
つきっきりで教えてくれるわけじゃない。
だから、一対一の塾や、家庭教師を選ぶ家庭が多い。
ただ、そういう塾は値段が高い。
たとえば、安い家庭教師を見つけられたとしても、時給は二千円くらいだ。
二時間で四千円。
週一だったら、一万六千円。
二時間で中学生の科目を教えられるのは、詰めても三教科までだ。でも、演習、先週の復習をする余裕はない。
そして、三教科しかできないから、ほかの教科をする時間がない。
週二に増やしたら、三万二千円。少し、払うにはきつい額だ。
頼んだとしても、前述したように、長期に不登校を続けている生徒は、その週二の授業を休まずにすることが難しい。

高校に行かないとなると、なおさら、話は難しくなる。
高認は高校に一年でも通った生徒にとっては、とても簡単だけど、そうじゃない人には難しい。
高校の数学だけとっても、独学で連立不等式や、判別式のつかいかたなどで、学年で言うと高1の五月あたりでつまずく生徒がとても多い。
もし、独学がたやすいのだったら、わたしとしては、とてもありがたい話だけど、実際にはそうじゃない。
偏差値が高い生徒でも、難しいと感じる人は多い。
高校生の教科を一から教えられる講師は非常に少ない。
予備校も今では減少している。
また、予備校は、一から教える場所でもない。
かといって、家庭教師で、高校生の複数の教科を教えられる人も少ない。
いたとしても、値段が高い。
値段が高くなくても、複数の教科にまたがって教えるとなると、やっぱりそれなりの値段になる。
そのうえで、普段の生活をリズムよく過ごしながら、自律して、勉強を進めることで、やっと、学習できるかどうか。

勉強は、単に知識を与えるだけじゃなくて、脳を使うことで、脳の能力を広げる目的もある。
教えているとそれが分かる。
知識が増えるだけじゃなくて、理解力や想像力が上がるのだ。

また、独学はモチベーションの維持が難しい。
どういう風に使われるのか、どういう面白さがあるのか、語ってもらったり、フィードバッグがあったり、同世代と切磋琢磨することが、モチベーションになる場合が多い。

私が見ている世界では、中学生が毎日自発的に、まんべんなく、好き嫌いなく勉強をし、正しい知識の身に着け方をし、モチベーションを持ち続ける、ということができそうな子にはまだ、出会ったことがない。
どんなに勉強ができる生徒にも、やっぱりそれは難しい。
未成年は、まだ自律ができないのだ。

わたしは、生徒が学校に行かない、と言っても、止めたことはない。困ったことがあったら、職務の中で、できるだけのことはしてきたつもりだ。

それは、本人と親御さんと、学校の先生、医者が決めることで、わたしが口を出すことじゃないからだ。

二次障害が、致死的なものだ、という言説には反対だ。
鬱や躁鬱、統合失調症、パニック障害、不安障害、そういうものにかかると、必ず死ぬというのは、それは、スティグマを新たに作り上げることにつながるし、脅しとしても機能するからだ。
治療やサポートを受けなければ、死に至る場合もあるだろう。でも、二次障害、という言葉を使う場合、すでに医者にかかっていることが前提だから、死ぬということは考えにくい。
わたしは医師に、病気や障害を言い訳にして、それに逃げて、チャレンジをしないことを厳しく止められている。
たとえ、失敗したとしても、いろいろな経験を積むこと、失敗も経験のうちだといわれている。

不登校を選ぶことは失敗じゃない。もちろん。
でも、長期的な不登校となると、チャレンジや経験を恐れやすい心理状況になる場合が多い。見た範囲では。

二次障害を避けることができるならどんなにいいだろう。でも、避けられない。無理をしないことで、避けられるのだ、ということが確実ならば、そうする人もいるのかもしれないが、それで、人生が制限されていくことが、よいとはやはり思えない。
病気には、なるときには、なる。ならないときには、ならない。
二次障害の知識があっても、二次障害になるときにはなる。

わたしが持つ、二次障害への考えが、気に入らない人もいるだろう。
でも、実際、一人の力では何もかもできない。
仮に、信頼関係を築いてある、子供が、わたしに「死にたい」と言ってきたとき、わたしができるのは、親御さんに伝えることだけだ。それも、直接伝えるのではなくて、上司を介して伝えるだろう。
親御さんの気持ちを考えると、直接伝えるのは、適切ではないからだ。

家族の領域を侵害しない。子供への距離を詰めすぎない。距離を詰めたり話したりすることは、子供を不安定にする。
家庭の決定は尊重する。それくらいしか、わたしにはできない。それ以上のことをするのは、子供をかえって危険にさらす。

わたしは、死にたいと訴える人に、選択を迫ること自体が、避けるべきことだと思う。
大きな決断をするのは、少し元気を取り戻してからのことだ。
デメリットや、メリットを伝えるのは、そのあとでもいい。元気を取り戻したら、デメリットやメリットを伝える必要自体が、たいていの場合、消失している。

家族が閉鎖的になるのは、もっとも避けるべきことだ。
長期的な不登校を選ぶ場合、家庭が閉鎖的になる。
そうなると、子供自体に学校以外の別の負担と、親御さんにとっての負担が非常に増える。
学校に少しでもかかわっていると、子供自体が、福祉につながる可能性が生まれる。養護の先生は保健師さんだ。
保健師さんは、支援につなげる役割と知識を持つ。

親御さんの立場になってみると、というか、わたしの知っている親御さんが、もし、自分の子供が、ネット上の知らない男性に相談したということを知ったら、非常に不安になり、心配になるだろう。
そして、できれば、それはやめてくれ、というだろう。

見ず知らずの人に、子供が自分で頼んだとしても、そのあとの影響を引き受けるのは、家庭だから、家庭はそれを嫌がるだろう。

子供の訴え、というのは、デリケートなものだから、距離の遠い人間は、見守りながら、関わりを自粛しないといけない。
人を巻き込めば巻き込むほどいいというわけじゃない。
訓練を積んだ専門家、親御さん、子供、医療関係者、そうした人がコアになって、もしもできることがあれば、言ってもらうのを待つ以上のことは、たいていの場合できない。もしも、そこに無理やり押し入ってしまうと、それは、コアメンバーの連帯を壊すことになる。

c71の著書

スポンサーリンク
広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください