時間が戻らない、と言われたときの絶望を覚えている。
そのころわたしは過去を悔いて、過去だけじゃなくて「今」の時間も失いつつあった。
過去は過去、と思えれば、人生がまた始まるのだと思ったのだが、失われた時間や経験はあまりにも多く、悲嘆にくれずにいられなかった。
どのポイントで、切り替えられるようになったのか、良く思い出せない。
お金を使うようになってから、過食するようになってから、そこから抜け出せたように思う。
過食をやめたいと思いつつも、過食が過去に引き戻される自分を引き止めたのも確かなことだ。
わたしをどうでもよく扱う人のことは、わたしもどうでもよく扱うようになった。
昔はどうでもよく扱ってくる人に対して、警戒心がなく、鈍かったので、良いように利用されていた。
その人が良い人ぶりたかったり、踏み台にしてかしこぶりたがったり、そういうことにも利用されたし、他にもいろいろな利用のされ方があった。
子どもというのは、圧倒的に弱くて、大人が正しいのだと思っていた。
だから、忠告も説教も鵜呑みにしていた。かわすことなんて思いもよらず、正直に反発するか、飲み込んでいた。
わたしは今だって躱せていないが、いやだ、とか、どうでもいい、と言えるようになった。
言われる方はたまったものじゃないのかもしれないが、ずさんに扱われたら、ずさんに扱い返す、ということをすると、精神衛生上健やかだ。
時間は戻らないから、人に対して良い顔ばかりしていない。
いやなことをする人の内心は知らない。いやなものはいやだ。
その都度言えていたら、過去を悔やんでさらに時間を無駄にすることはなかった。
だけど、その状況が異常だと教えてくれる人もいなかったし、そもそも情報を操作されていたから、自分がたいへんな事態に巻き込まれていることも知覚できなかった。
ただ、苦しかった。
今は、苦しかったり、腹が立ったりしたら、何よりもそのことを優先させる。
そのことで、人間関係が円滑にいかなくてもかまわない。
自分の気持ちを犠牲にしないと成り立たない人間関係は人生に必要ない。
人生は確かに一度きりだ。時間は戻らない。だからこれ以上利用されない。