刺激がないと食べてしまう。
食べてしまわないと刺激を求めて、自傷してしまう。
自傷の代わりに、いやな言葉や嫌いなものを求めてネットサーフィンしてしまう。
それくらいなら、からだを動かして、いろいろなものを見て、経験することが素敵だ。
移動にはお金がかかるけれど、一日のほとんどを寝て過ごすわたしは、ときどき、出かけないと刺激が足りなくなる。
知らない場所に行くと高揚する。たくさんの情報で目がチカチカするけれど、人ごみで混乱するのとは違って、自然の情報が多い分には混乱しないようだ。気持ちが解放される。人に気を使わなくていいのは素敵な感じがする。
食べ過ぎると、太って、自分が嫌いになる。
自傷をすると、あとから、悲しくなる。
だけど、旅行をすると、自分のからだで感じることが素敵だと思える。自分のからだが動くうちに、たくさん動かしたくなる。
スポーツが嫌いだったけれど、学校の体育が嫌いだっただけだった。
からだを使うのは快いことだ。
からだを使って、移動をして、たくさんのものを見て、風を受けて、太陽の痛みを感じることは、生きていることを言葉じゃなく感じる。
海の生暖かさ、シャワーの粒のひとつひとつの感じ、皮膚に受ける温度の変化、空気のカーテンのようなもの、目に塵が入って涙が出ること、わたしのからだが機能している証拠だから、何もかもが愛おしい。
刺激がないと苦しくなる。何かに追い立てられるように、逃げ場がなくて買い物をして散財して、自分の首を絞めてしまうことがある。
お金を貯めて、本当に欲しいもの、自分が良いと思うものを後ろ暗さを感じないように、手にすることができたら、散財も自分を傷つけることも減るという予感がある。
刺激で集中を喚起したり、痛みによって、生きている苦痛から逃れることはできればやめたい。
からだに、生きることは楽しいとしみ込ませて行き渡らせて、教育したい。
自分のために、何かすることの初心者で、お金の使い方も下手だし、分配の仕方も下手だ。
でも、わたしは今自分で生きていて、失敗も成功も自分の手の中にある。
そういうのはとても楽しい。
わたしにとって、良いことという感じがする。
以前なら、自分が楽しいことをして、何の意味があるの、と思っていたけれど、その瞬間を楽しむことがすべてなのだとわかった。
それは、考えたことじゃなくて、感じたこと。
生きているからだを持っているから、感じられること。
素敵だ。
石垣島にはこれをもって行った。
読書をするカフェがなかったけれど、宿で休むときに読んでいた。
はじめて便利だと思った。
これひとつで、何冊分にもなる。
すごい。