やりたいことがない、って人は、好き嫌いもぼんやりしている。
周りにおぜん立てされて、いい風にしてもらえることに慣れていて、足りないものを感じることがない。
その時の思い付きで、「これをやってみたい」と思うけれど、そのやってみたいことの道のりを考えて、逆算して、じゃあ、今はこれをしておかないとそれができるようにはならない、たどり着かない、と考える発想がない。発想がないから、「今しないとできるようにならないよ」と言っても、「なんとかなりませんかね、がんばったら」という。でも、頑張るって何だろう?
「頑張るって何を?」と聞いても、「わかんないですけど」みたいにいう。
頑張る頑張ると口では言うけど別に具体的に何か行動を起こすわけじゃない。誰かが何とかしてくれるのを待っている。
「こうなるのは絶対ヤダ」と思っている人はそれを避けるために行動をするだろう。考えて、避ける。そうしているうちに、これはいやだけど、あれはいいかもしれない、と思うようになる。いやなものを避けていくと、力が付く。
もちろん、食わず嫌いで、イメージであれは嫌いと思っていたら世界は狭いままだ。たとえば、学校のカリキュラムは、本人が「その時点で」興味がないものに強制的に触れさせるという意味で優れている。嫌いなものを理解しようとすることも大切だ。そうすることで世界も広がる場合もある。
でも、それも、「嫌いだ」「嫌だ」ということがはっきりしているからできることであって、嫌いだとか嫌だとか、いわゆる世間で「負の感情」とされているものにふたをしていたら、何もわからないまま終わる。
誰かに何とかしてほしいなと思いながら年を取ってしまう。
嫌だ、というのは、「自由」への扉だ。提示されたものを否定するのは楽しいことだ。提示されたことを拒否する、拒否しない、その選択権があるということが自由というものである。
周りにお膳されるというのは、周りの都合に流されるということだ。
それに慣れると、周りの「あなたのためにしていること」という言葉をそのまま受け取って、でも、心の中の違和感に気が付けなくなる。
自分の人生を生きるためには、嫌だ、嫌いだ、拒否する、ということが大切になる。
それが前向きであり自由である。いい人、「都合のいい人」「言いなりになる人」は、結局、自分を生きることができない。
拒否することを恐れないでほしい。
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こんばんは。
夜分遅くのコメント失礼します。
わたしは男性の犯罪率について疑問に思うことがあり調べていたら当ブログに行き着き、拝見させて頂きました。
男性の犯罪率(これがどの学問に当てはめられるのかも分からないまま)について学ぶ場所にも属していない為、お恥ずかしながら付随するフェミニズムについての智見すら全く持ち合わせていません。
わたしは、所謂世間でいうftm(Female to Male)に属する人種と認識されています。これは世間が認識する属性なのでわたし自身の機微基づくものとは全く別の話だと思って生きてきました。
ただ世間の所謂を受け入れ、主張は抑え、あたかもそこの住人のように、または場合により主張し、わたしは違うと振る舞いながら、それでもどこか落とし所がないかと考えていました。
けれど、このブログを読み進めるにつれて、わたしは否応なく女性なんだという事に気づかされました。
どんなに声高に叫んでも主張しても、わたしは女として生まれてきた。この事実は、ち◯こを中心に備え付けても変わらぬ事実。
ならばこの身体で、脳味噌で、人としてどう生きよう。そんな事を改めて考えさせて頂きました。
この先の未来に、もしもわたしが何かを橋渡し出来ることがあるならば、この今わたしが感じた、蔑ろにされてはならない機微を伝えられればと思いました。
なんだか脈略の無い文ですし一方的で主観ですみません…只々、わたしのシナプス後細胞を活性化して頂きありがとうございます、という事を伝えたかったのです(の割にこいつ自分語りすげえ、という事はどうか目を瞑って頂き、、、)
こんばんは
わたしも独学で調べております。
一人で勝手にいろいろ言ってるだけです。わたしも自分語りですか、今回のトランス問題でフェミニズムに感じていた輝きは薄れてきました。わたしのフェミニズムは、正しいフェミニズムではなかったようです。
もちろんお分かりと思いますがわたしはトランスジェンダーの人を嫌っておりません。
トランス女性がトランスした経験、サバイブした経験と、ノントランスが生きている経験とは違うと言ってるだけで、トランスすることで生き延びた経験は大切なことだと思っています。ただ、違うだけ。
FTM とわたしの生きてきた時に経験したことはかなり近いと思っています。つまり、女とは、「どう扱われてきたか」が問題になるからです。
男は「どう扱うか」を問題とします。
女として生まれてきたあとどのように生きるかは選べることと思います。ただ、女として生まれてきたことは消せないのです。誰も。そこが問題でもあります。
一部のひとがその事実を消せる、消せ、なかったことにしろ、と主張してることは受け入れがたく。
コメントありがとうございます。
たまたま目が覚めていたので、うれしかったです。