先日のネットラジオ配信について、ブログ上のログに追記をしました。https://t.co/AVbICqZh3y
この問題をご指摘くださった方々に心から感謝します。 pic.twitter.com/Rn6nBL7bR7— マサキチトセ@《エロくない性の話》毎週水曜or木曜午後9時〜 (@GimmeAQueerEye) 2018年4月5日
このラジオが発端になって、非常に混乱している、精神的に危機的な状況でもある。自殺衝動は高く、抑うつ状態で、うまく手足を動かすことができず、音に反応して、動揺し、頭の中で叫ぶ声に耐えられない。持っている中で、一番強い薬を飲んで、何とか飛び降りたり、切りつけないようにしている。夜は眠れない。悪夢を見る。
マサキ氏自体への批判はこちら
DMでやりとりをしたが、あり得ない。
リプライなら証拠にすることができたのにと後悔している。
このラジオの問題は大きく分けて、
「フランス語を履修したのに女性の心得を教えられた」という実体験に対して、それを差別だと認識せず、その認識を最後まで改めなかったやか氏。(この実体験を書いた方は、「エイプリルフールのゲイカップルのアウティングネタの何が悪いのかとっさにわからなかったので、学びたいと思って参加した」旨書いていた方です。だから、なおさらつらいと思いました。)
「シス女性のトランスフォビアがなくなれば、フェミニズムでも女性同士共闘できるはず」「女性にはミソジニーがあるため、男性という特権階級から女性に降りたトランス女性を許せないのだろう」というトマト氏の発言。
もちろん、その場を作ったマサキ氏に責任は帰属する。
わたしは、Twitterに書く前、このブログを書く前にマサキ氏とやり取りをした。
その際に「友人だから、差別を止めにくいという無意識の判断が働いた可能性がある」ということをおっしゃって、わたしは
「わたしは友人ではないから、差別を放置されていてもかまわない存在なのだ」という風に受け取った。
(そのあと、意図的な行為ではないが、絶対にそうではないと言い切れないからそういう風に言ったとのこと)
マサキ氏は、「友人だから批判しにくかったという可能性を捨てきれないけれど自分としては、不十分とはいえ、教育の差別について突っ込みを入れた」という趣旨のことを言っていた。
それは理解している。ただ、本人も言うように、決定的に不十分なのだ。
わたしは、トランス女性の「男性ジェンダーロール的ふるまい」「男性特権についての構造を理解していない」ということが大きな問題であると告発するものである。
もちろん、女性差別は、女性も男性も、セクシャルマイノリティも行う。
トランス女性は少数派の中の少数派だから批判が向きやすい。だから、批判をしないほうがいいのではないかという葛藤もあった。
わたしは、自分の感情を把握するのに数日かかる。その間にも体調は悪化し、日常生活を送れなくなる。差別というのはそういうものだ。
あのラジオを聴いていた人たちは、複合的差別を受けている人が多かっただろう。そして、自分が差別者として人を抑圧したくないから、トランス女性の声を聴いて学びたいという思いで参加していた人も多かっただろう。
しかし、わたしは、裏切られたと感じた。
わたしは理解したいと思っていたが、彼女たちは、それを怠っているように見えた。
わたしは、その人が「女性だ」と名乗れば、女性だと認識する。
見た目がどうであっても、身体がどうであっても、関係なく、女性だと名乗られたら、女性だと理解する。そして、女性として扱う。
しかし、シス女性同士がそうであるように、経験の差異はあり、その差異による認識の違いはある。
シス女性は、また、女性として扱われて育った人たち、トランス男性も含めて、わたしたちが共有していることを、トランス女性たちは、「男性として扱われて育っていたので」共有できていない。それは、知ろうと思えば知ることができることである。実際、フェミニズムについて親和的な男性たちは、教育格差について、理解している人もいるのだから。
「育ち」による、「価値観」の影響は誰も逃れることができない。けれど、それは学ぶことによって修正できる。しかし、やか氏はそれを怠った。
- 男性特権について
わたしの考える男性のジェンダーロールの一つに「人の話を理解しない」「人の話を聞かない」というものがある。人の話を無視することを許されるのが、男性特権の一つである。やか氏は、男性特権を、身体的な強さとして語っていた。それは不勉強だ。不勉強自体は罪ではないが、男性性を感じ取られて、忌避される原因になるだろう。
やか氏は「ホモソーシャルにいて、排斥されると暴力を受けるが、女性はそうではない」ということを言っていた。
これは端的に間違っている。社会全体がホモソーシャルの文化下にいるため、男性は、男性らしさを誇示するために「弱者」を殴る。
その弱者は誰でもいい。男性が男性だけを殴るわけじゃない。
男性は、女性を殴り、子供を殴り、障害者を殴り、老人を殴る。わたし自身、中学生時代には、男子生徒が、男らしさや強さをアピールするために、毎日殴られていた。理由はない。そこにわたしがいて、殴りやすかったからだ。そして、彼らはホモソーシャル内の地位を維持していた。
ホモソーシャルの維持には、女性が不可欠だ。その認識がやか氏にはなかった。
やか氏は、「個別に見ることが大切」だということを別の話題で言っていたが、個別で見ることで、構造的な問題を「なかったことにしてしまう」作用について、もっと考えてほしい。
- 教育格差について
わたしの仕事は、女の子相手に、勉強を教える仕事だ。必然的に、その親御さんは教育熱心で、貧困ではない。そういう相手の仕事をしている。
ある女の子は、目が悪くて、黒板の文字が見えず、三年間、授業の内容が分からなかった。そして、バカだと言われ続けて、自分でもバカだと言っていた。
その保護者が眼鏡を買わなかった理由は「女の子だから眼鏡はみっともない」という理由だ。
それで、彼女は自尊心をはぎ取られ、教育機会を逃した。
教科書を全部燃やされた子もいる。
「女の子なのに片づけないならいらない」という理由だ。
学校で毎日男子に殴られている子もいる。
教師や、男子生徒に、服に手を入れられている子もいる。
盗撮された子もいる。行く先々をつけまわされ、自転車のステッカーで居場所を把握され、いろんな場所をつけられた。
計算が早ければ「お前がそんなに早いはずがない、どうせ間違っている」と言われ、成績優秀ならば、「男子に譲れ」と言われる。
計算が苦手だとすると「女だからな、女はしょうがない」と言われる。
女らしくないから数学をしないように仕向けられる。バカにされる。殴られる。笑われる。目立つなと言われる。支援すれば乗り越えられるものを乗り越えることができないようにする。そして「やっぱり女だね」と言われ、肯定される。
進学率が問題なのではない。進学を、勉強を、理系の学問を、「自発的に」あきらめさせる「過程」が残酷なのだ。
長い時間をかけて、女性から選択肢を奪う。そして、自分から選択肢がないからと、選ぶことをあきらめる。
お兄ちゃんは浪人して県外の大学を受けていいのに、妹は、高卒か短大。県内が当然。理系に進みたくても薬学部か、看護しか許されない。
理系に進む、といえば、あらゆる説得を受ける。それを跳ね返して、物理や化学を履修するのは、精神的な支援が必要だが、ほとんどはない。
そして、「女の子は文系だよね」という既成事実が作られて、「女の子は文系」という偏見は再生産される。
同じ程度に優秀な子を比べたら、女性のつきやすい仕事の中で、看護師は給料が高いと言っても、男性が就ける職業よりもずっと安い。
進路を選ぶときにも「女の子だから」手に職をつけてやめても復帰できる資格をと求められる。
もしくは「女らしい学校」にいって「女らしい」職業に就くことを求められ、その前提で、勉強をする。
わたしの知っている女たちは、子供時代、お風呂場で声を立てずに泣いたと言っていた。泣いたことを知られないように。
家から出るなと言われる。仕事に就くなら家から通える範囲で、介護を手伝いながらと言われる。それが今なお女性の現実だ。
(プライバシーを守るために、いろいろな場合を混ぜています)
- トランス女性におびえる女性は存在する
トランス女性におびえる女性は悪だろうか。正直なところ、わたしは、トマト氏の「共闘」について、雑だと感じた。
シス女性同士でも、価値観が違い、立場が違うので、共闘できず、連帯できず、それを求めながら実現できない現実にのたうち回っている。
女性たちがトランス女性を怖がる理由は、トランスフォビアだけが理由ではない。
たとえば、やか氏は上記の女性の教育格差について実感がない。
高専で世界史の授業なのに、中国史を学ばされたということと、フランス語を履修しているのに教えられなかったということを同じだと思っていた。
女性は、高専に入ることが難しい。
まず、受験させてもらえない。受験したいと言ったら「男ばかりだぞ」「お前に物理ができるのか、数学や化学や物理ばかりだぞ」と言われる。
高専に入ると、恵まれた就職や、高度な教育、安価な授業料という恩恵を受けられる。でも、現実に、女性は、その選択肢をふさがれている。
高専には入れた、ということだけで、「理系の勉強をすることを邪魔されていない」「願書を学校が用意した」ということがわかる。それは、女性たちが喉から手が出るほどほしがっているものだ。しかし、それを彼女は知らない。
知らないで済むというのは特権である。わたしは、ラジオで「構造が違う」とコメントしたが、彼女はそれを理解しなかった。わたしの話を聞こうとしなかった。そういう風に見えた。それは、「男性的な行動」だ。話をなかったことにする態度は、男性的だ。それが男性特権だ。高専には入れたことも、差別の構造を理解しないで済むことも、それで泣いたことがないのも、特権だ。
また、トランス女性は、女性規範を内面化するあまり、女性に対して、攻撃的な言動をする場面を見る。まるで、男性に認められたいがためのように。男性に女性だとお墨付きをもらいたいかのように。それは、ホモソーシャルの再現のように映る。それで、わたしは、トランス女性について、難しい気持ちになる。
もし、世の中に、女性規範がなければ、彼女たちが内面化することはないだろう。だから、究極的には、トランス女性が、攻撃的なくらい、「名誉男性」と化すのは、世の中のせいだ。トランス女性のゴールが、「女性になる」ことならば、それは納得できる。納得できるが、わたしの批判の対象になる。
やか氏の「高専の話を通して差別がないことになった」流れの後のトマト氏の「トランスフォビア」「女性はミソジニーだから、男性であるのに女性に降りたトランス女性を憎む」という内容のコメント(別の文脈だし正確な引用ではないので、実際のラジオのコメント欄を見てください)で、わたしは本当にがっくりした。
わたしの指摘は、トランスフォビアによるものではない。わたしは、共闘できないと思った。なぜなら、彼女たちは、女性として扱われる困難の歴史を知ろうとしなかったから。そして、教育格差の話を、いったんはとりあげたのに、それをそのままにして「シス女性のトランスフォビアがなければ共闘できる」という風に言ったから。とりあげておいて、やっぱりやめることができるのは、それが彼女たちにとって、切実な問題ではないからだ。
わたしにとっては切実だ。そこの差異がどうやっても存在するのに、トマト氏は連帯できる、と言った。わたしは、できない、と言いたい。
責任の所在が、シス女性にのみ帰せられるのはフェアだろうか。シス女性は、トランス女性に、男性として扱われて育った、その価値観の残滓を感じ取る。トランス女性にはその価値観の残滓を少なくとも見つめてほしい。わたしたちは同じ世界に住むが、別の経験をし、別の目で見てきたから。
それをトランスフォビアと名付けるのは、正確ではない。シス女性の恐れの内容を精査せず、トランスフォビアで片づけられたら、批判も徒労だ。批判が、トランスフォビアに回収されるのだとしたら、こんな苦しいことはない。わたしは共闘も連帯もしない。できない。
ホモソーシャルの被害者は、主に女性だ。
男性ではない。男性として扱われていた、もしくは、ふるまっていたころの話をするのならば、ホモソーシャルの犠牲になった女性たちの話も聞くべきだ。少なくともわたしは彼女の話を聞いたのだから。
その構造を理解してもらえないならば共闘はない。
共闘できると、言えるトマト氏に、わたしは、言いようのない、断絶を感じた。
トランス女性は、女性であるのだろう。だけど、持っている価値観がわたしとは違う。わたしは違いを理解したいと思った。わたしは、トランス女性に対して、抑圧する立場の、マジョリティだから、知りたいと思った。自分が侵しているかもしれない過ちを正したいと思った。
でも、トランス女性たちは、その育った過程で言えば、男性として扱われてきたのだから、シス女性に対しての「抑圧者」である。その一部が漏れ出てきたラジオだった。
- 責任の所在
責任の所在は、もちろん、マサキチトセ氏にある。
彼が始めたことだからだ。彼は、あのラジオをコントロールする責任がある。
TwitterのDMに書かれたことが、わたしは今でも信じられない。
執筆をして、講演会をするような人が、一見正しくて、でも、わたしにはどうしてなのか、言語化できないけれど、わたしから力を奪うような言動をとったこと、また、とり続けていることが、どうしても理解できない。
ゲストが、差別的な、不正義を行ったら、時間を割いて、それは間違っているとしっかりと、説明してほしい。少なくとも、聞いている側の人間が、孤立しないようにすることはできたはずだ。あのラジオでは、差別を垂れ流されて、そして、放置され、孤立して、学びたいと思った気持ちを踏みにじられた。差別をやめろと言ってほしかった。やめさせることも納得させることも長い時間をかけなければできないのかもしれないが、やめろと言ってほしかった。あのラジオを聴く人たちは複合的差別を受けている人が多かっただろうから。
「このような気持ちになっているのは自分だけなのかもしれないが、同じような気持ちになっている人のために、声をあげなくては」とわたしは思った。それは、本来はリスナーの仕事ではないと思う。でも、わたしは連帯のために、残り続けて、今もこうして書いている。これが連帯だ。トマト氏のいう連帯とは何かわたしには全く理解できない。トマト氏が、シス女性と連帯できると思うならば、一緒に、「それは差別だ」というべきじゃなかったのか。
やか氏が長々と高専の話をしたのは、差別の肯定だった。差別なんてないというメッセージだった。フランス語は植民地と関係があるから、しかたがない、ドイツ語なら違ったかもしれないというのは詭弁だ。それもフランス語を教えてもらえないというのは仕方がないという差別の肯定だ。それならば、英語はどうなのか?
連帯できるとトマト氏が言うならば、やか氏に「差別の肯定をやめろ」というべきだった。そうでないのに、連帯できる、「シス女性がトランスフォビアをやめれば」という条件付きの連帯が実現できるとは思えない。
彼女はあの場で何をしたのか?連帯できると感じさせるようなことをしたのか?
できることはあった。「差別の肯定をやめろ」というべきだ。連帯できるというならば。連帯できない現状の理由を女性のトランスフォビアだというのなら。
わたしは今後、あのラジオを聴くだろうか?
また、自殺衝動の高まりと、抑うつの波、自己否定、この世にいないほうがいいという覆いかぶさる影、わたしなんていないほうがいい、いなければこんなつらい思いはしなかった、わたしは醜い愚かな生き物で、差別的な言動一つ止めることができないという無力感で苦しむのかと思う。
- 女性は貧困である
教育格差は、貧困に直結する。進学するなという言葉以外にも、女性は、勉強の時間を削られたり、少しでもつまずいたら、女だからできないのだと言われて、支援を受けることもできず、勉強でのつまずきや、「自分にはできない」というどうしようもない感覚を克服することができないまま、自分から選択肢をなくす。そして、選んだ人生の結果を自己責任だと言われる。そう仕向けられてきても、誰も助けてはくれない。
貧困も自己責任だと言われる。教育格差は、生存に直結する。
わたしは、大学に行くことができた。学校推薦で受けた企業二つに「なんで、あなた女性なの?」と言われた。「女性にできる仕事はない」とはっきり言われた。
「出産するでしょ?」「結婚するでしょ?」「家族構成は?片親なの?」「家から通えないんじゃねえ」「うちの職場は男性エンジニアしかいないから」いろいろある。
給与の高い仕事に就いた同期に「理系メーカーは女性が志望しないから女性が少ないんだよね」と言われた。
わたしは、貧しかった時、一つのキャベツを一か月かけて食べ、病気で自炊が難しいけれどカロリーをとるために、食パンにオリーブオイルをかけて食べて、髪を自分で切っていた。
教育格差や、男性に給与の高い職業が独占されていること、それで、生きることが難しいこと、そもそも、子供時代の「社会的虐待」によって、女性たちの精神が、どうしようもなく傷つけられて、十分な教育を受けるために戦う気力も奪われている現実を知ってほしい。貧困に陥っても相談先がない人もたくさんいる。それは、相談先を知る機会を奪われていたこと、相談するための気力を、「育つ過程」で奪われてきたからでもある。
女性が、数学や物理、化学をあきらめないとしたら、それだけでも戦った結果なのだ。
周囲の無理解や嘲笑に負けなかった精神力が、誰にも評価されず「女性が理系に就かないから駄目なのだ」という言葉をあちこちで聞くとき、大人になっても、子供のころの傷をえぐられる。
わたしは、今でも「数学を教わるなら男性の先生がいい」と言われる。「男性の先生」に数学の授業を振られて、古典ばかりがまわってくる。
そして、給与は減る。生活が貧しくなる。
子供の時、男として育てられたのか、女として育てられたのか、それによる価値観の形成を清算しない限り、共闘はない。
同じ女性同士ですら難しいことを簡単に言えることも、わたしには苦しい。
差別をなくしたいと願って聞いたラジオから流れた差別的な言葉が、最後まで流れ続けたから、わたしはとても苦しい。
追記 4・7 午前三時
下記のことを書くのはわたしにとって苦痛だ。なぜなら、わたしはマサキ氏を尊敬しているし、講演会にも行った。執筆を頼まれるような、そんな聡明な人が、どうしてなのか。わたしは、わたしの勘違いだ、認識違いだと言われることも恐れているから、とても書きにくい。
ただ、あの場を用意した彼の存在と責任を透明化するわけにはいかない。
わたしには、彼が、自己保身的に見える。そして、最初、教育格差の深刻さを知らなかったから、不十分な対応に終始してしまったとしても、その後のやりとりでわたしに言った「理解してほしい」という内容が、「全く何もしなかったわけではない」と要約ができる内容のことを念押ししたことが、本当に重要なことなのか、理解できない。わたしは、彼が言っていることについて「理解した」けれど、どうして、それを言ったのかは「理解していない」。マサキチトセのエロくない性の話批判続き
マサキチトセ氏の差別的放送後の抗議の記録《エロくない性の話》批判
DMなど彼の語り方についての批判は上記記事
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