頭にきたので書く
【今日の家人】今日も中1の女の子を連れ去ったと、馬鹿な男が捕まっていたけど、きっかけはネットの出会い系サイトなのよ。中1で男が欲しかったのか、お金が欲しかったのか分からないけど、中1で出会い系サイトで男と知り合う女の子は、もう女の子じゃない。女。しかも、倫理観も貞操観念もない女。
— 小池一夫 (@koikekazuo) February 21, 2016
@lttlleo ネット世代に育った中一の女の子が、出会い系で出会った男が何が目的か知らなかったとでも思うのですか?
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2016, 2月 21
これってどういうことなの?
貞操観念があるかどうか、それが問題なの?
貞操観念がそれほど大事なことなのか?
性犯罪に遭うと、貞操観念がないとみなされるのか、貞操観念がないと、被害者を非難してもいいと思い込んでいるのか両方か。
もちろん、貞操観念があろうとなかろうと、「自己決定権」は侵されるべきじゃない。大人だろうと子供だろうと。
そして、被害者は子供なのだ。
子供に対して貞操観念という言葉を使うおぞましさを感じる。
貞操観念なんて、「男の都合」「処女幻想」の産物でしかない。それは、女性の地位を低くする考え方だ。
どうして地位を低くするかというと、女性の自分の、感覚や、生き方を邪魔するものだからだ。
つまり、これは差別だ。
それは、自己決定権を侵すという意味で、性犯罪者がしたことと同じだ。
子供の自己決定権を、性犯罪者も犯した。
そして、ツイートしている人は、言葉で、被害者の自己決定権を侵した。
純潔であるかどうかは、自分で選ぶことだ。
そして、自分で選べるまで、守るのが大人の役割だ。
自分の身体が自分のものであるという感覚を持ち続けるために、子供も大人の女も守られなくてはならない。
中学生は子供だから、それに対して、「連れ去り」「性的虐待を行う」のは犯罪だ。
それなのに、被害者に対して、「女だ」「子供じゃない」「何が起こるかわかってたはず」「男がほしかったのか」「金がほしかったのか」
と言い募る大人の男。
犯罪者に対しては「馬鹿な男」それだけ。
子どもは見えてないことが多いから、性衝動が強く、危険なこともしてしまう。
だから、前もって、社会でそれを防がないといけない。
金がほしかったのか?と侮蔑することは何も解決にならない。
それなのに、他のツイートで「注意喚起」と言い募っている。
なんて馬鹿な話なんだろう。
性衝動の強い子供を、危険なことがわからない子供を、守る仕組みを作る側である大人が、被害者を断罪するなんて。
たくさんの人が言っているが、二次加害だ。
きっかけがなんであれ、きっかけを自分で作ったのであれ、一線を踏み越えたのは犯罪者だ。
犯罪者は、子どもだと分かってからやめておくことだってできた。
でもそれは「馬鹿」なだけ。
そして、中学生は「女だ」と言われる。
この女の使い方にも、わたしには文句がある。
わたしには性衝動もあるしお金がほしい気持ちもある。
子どもにだってあるだろう。でも、子どもには大人相手にそれをさせてはいけない、そのために社会があるんだ。
社会の意義を踏みにじり、社会の構成員である大人の立場を捨て去って、自分や家族の言うことを「名言」と言ってのける厚顔さ。
被害者を断罪して得るものは何もない。
守られなかった被害者の落ち度をあげつらえば、その被害者に起きたことは、「罪」を犯罪者に「罰せられた」ということなのか。
自業自得ということなのか。中学一年生に向けて使う気持ちなのかそれは。
わたしは子供のころ性衝動が強かった。周りを見てもそういう子供はいた。怖いものがなかった。
怖いものに触れていなかったから。
怖いものに触れなくていいんだよ。子供のうちは。
性被害に遭うと、子供でさえ、「もう子供じゃない、女だから守られなくていい」という意味合いのことを言われる残酷さ。
そもそも、大人の女だって守られないといけない。
あらゆる人が、犯罪から守られないといけない。
それは、性犯罪者の性欲や支配欲、「若い女」に対する妄想などを「守る」、なんてことと次元が違う。
後者を守りたがっている人が多いのだと思い知らされた。
後者を守りたがっていると感じたのは、「犯罪者」が「馬鹿」の一言で済まされている代わりに、被害者に対しての、罵詈雑言が延々と続くからだ。
だから、わたしは頭にきてる。
言葉で人は殺せる。
言葉で虐待はできる。社会的な虐待を、「制裁」のつもりもなくしている。
ただ、性犯罪の被害を受けただけでも残酷なのに、社会的虐待を背負う子供、暴言を吐かれる子供が、確実に今日一人いたのだ。