体中にシミがある

わたしには、シミがたくさんある。
以前、ネットに自撮りをアップしたとき、生活習慣が悪いから、あんなに肌が汚いのだ、と書かれた。

父も、わたしに会うたび、肌のシミのことを指摘した。
隠すように、日に当たらないように、毎日言ってきた。

一部の人は、病気や、身体的な、悪いとされる特徴を持つ人について、「何か悪いことをしたから、そうなったのだ」と思う傾向がある。そして、実際にそれを口に出す。
また、スピリチュアルな商売をしている人(もちろん、全員じゃないけど、例えばヨガのインストラクターだとか、自然食品の人だとか)は、商売のチャンスとばかり「これをしたら治る」と言ってくる。
わたしは、たくさんのマルチや偽医療に勧誘されてきた。
(余談だが、マルチに騙されている人が、わたしに「なんで騙されるの?ふつうわかるでしょう」と言ってきたことがある。騙されている人は気づかないのだ)

父とのかかわりは短く、十歳の時まで一緒に暮らしたのと、トラブルがあって身を寄せていた二年間だけだった。

総合病院で、わたしのシミは、「遺伝的なもの」と言われた。非常に少ない症例で、その先生も何度も見たわけじゃないけれど、シミの形から言って、たしかだと。
そして、それは、人に気にされにくい形のシミだとも言われた。
人間は、病気だと感じるものを警戒するので、皮膚病に見えないものが、どんなにたくさんあっても、意識に上らないそうだ。
わたしのシミは、ランダムな形をして、重なり合っている。
日焼けでできたシミとは違うけれど、そういう風にも見える。
肌はもともと白いから、若い時に日焼けしすぎました、っていえばいいよ、と医者は言った。
レーザーで取ることができないと思う、広範囲すぎるから、と言われた。
また、重度のアトピーの後遺症もあるから、どの原因のシミか、限定できないから、レーザーの種類を決めるのも難しいといわれた。

カメラマンの知人に相談した。
「シミって、風合いでしょう」と彼女は言った。
「海外の一流モデルは、アウトドアが好きだから、シミだらけだよ。でも、それが素敵なの。日本のモデルは、肌をきれいに保つために、外にも出ない、それだと、ギャラガ何桁も違うの。
シミって、好きだよ、味というか、風合いだよね。風合いがない肌よりも、風合いがある肌のほうが、モデルの世界だと高い値段が付くんだよ。それに、写真にとってもきれいだしね」
と、言ってくれた。
精神科の主治医は、「傷や、シミを、戦いの勲章だと思えない人とは付き合わなくていいよ。それを評価するくらいの人とだけ付き合いなさい」と言った。

無垢なものを尊ぶ文化の中で、年を取るというのは、結構きついものだ。
年を取ると、肌を見せるな、体形が崩れているから、と言われる。
でも、年を取ったから増える魅力があるはずだ。
むやみに露出するということじゃなく、自分が素敵に見えるから、という理由で、肌を出すことも、外に出て、日焼けをすることも、その結果、シミができたりしわができたとしても、それがなんだというのだろう?

悪いことをしたから、体に欠陥があるのだ、という考え方は、人を追い詰める。
生きていたら、なにかしら起きる。
全部正しく生きられない。正しいこととされていることも、時代で変わる。
時代で、また、人の気まぐれで変わる評価よりも、自分が楽しくて素敵で美しいと思えることを大事にしたい。

わたしは、まだ、わたしの加齢やシミを愛せない。
でも、最近は自分の顔立ちを愛せるようになってきた。
体形も、妊娠してから大きく変わった。戸惑って、追い詰められて、妊娠しなければよかったと思ったこともあったけれど、変わりゆく体に慣れてきた。
目的によって、体も変わる。
生きているって、変わることだ。

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