散財してしまうこと

今日一日で、一か月分のお小遣いを使い果たしてしまった。
パートナーが稼いで、パートナーがやりくりをしている。
パートナーは自分のものをほとんど買わない。
必要なものでも、迷って買う。

パートナーはわたしを許している。
わたしは、自分を許せないでいる。
でも、散財する。
散財して、その日を生き延びている。
生きていてくれとパートナーは言う。
わたしは、生きることにめげそうになる。めげる。

親と絶縁する前、美容や衣服に関心を向けることが許されなかった。また、元夫が、わたしのお金を使い果たしてしまった。
それで、人に使われる前に自分で使ってしまいたい、自分の人生に対する思い残りを、片付けたい、という気持ちがあるんじゃないか、と自分では思っている。

去年は、生活に支障が出るくらい、買い物をした。
今年は、管理できる範囲で、散財をしている。
少し、ましになったのかもしれない。
わたしが散財するために、パートナーは様々な苦労をしているが、彼はそれを苦労だといったことがない。
わたしといることが幸せだという。
いつも、不思議になる。信じられない、とは思わない。だって、本当にそう思っているみたいだから。
でも、本当に不思議だ。

彼は子育てがしたいという。
でも、彼自身は男だから産むことができない。
わたしは、彼に、子供を育てる経験をプレゼントできることをうれしく思う。
子供はプレゼントじゃないけどね、子供の人生は子どものものだから。
でも、子供にお父さんと呼ばれることや、成長を一緒に見る経験を、彼と共有できることは、わたしができるほとんどすべてのことじゃないかなと思う。
彼は生き物が好きなのだ。

散財も、いつか、落ち着くといいと願っている。
でも、それ以上に、わたしが、生きることに、めげても、寝たきりになっても、死を選ばないことを、一番、がんばりたい。
ゆっくりの歩みで、マイナスから始まって、ゼロに近づくだけなのかもしれないと、立派な人たちを見るたびに思うけれど、わたしは、わたしの体の外に出られない、そして、わたしはわたしの心の外にも出られない、ようは、未来に、わたしが今とは別人になることをほんの少し希望することができるだけだけ。
毎日を積み重ねるというのは、その希望を持てるということでもある。

c71の著書

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