病気になることで、生き延びる

これを読んで、とても興味深かった。
自分語りをしようと思う。

過食症の方は対人関係に苦手意識があり、自己評価が低い方が多いです。ストレスを溜め、それが上手く発散できない傾向があります。すると嫌な気分になって、無性に何か食べたくなる。この時、脳が喜ぶ甘いもの脂っこいものを食べます。過食の最中だけ嫌なことを考えない解放感があります。

こういう時期があった。
過食症だから、死なないという自覚があった。いつか収まるだろうと、放っておいた。
お金はかかったし、からだも重たくなった。
今思うと、わたしは自己評価が低かった。夜になると不安になり、眠れなかった。だから、食べた。

一人暮らしをし始めてから、過食が始まった。収まったのは、仕事で自信が付き始めたころだった。
その代わり、買い物依存症気味になった。

過食症などの依存症に限らず、病気をしている間は、人生に向き合わなくてもいい。
向き合わないでいいというと語弊があるけれど、病気のことを考えることで、逃避できる。
解決することができない問題を目前としたとき、できることは、少ない。
病気を無意識に選んだんだと今では思っている。
わたしは親に支配されていることがつらかった。
自分の価値観とは違うことを強いられ、戦おうとしても、すべてを読まれているから撃沈した。
逃げる力も奪われていた。わたしが生まれてからずっと知っている相手に、わたしの気をくじくことはたやすい。

本人がなりたくてなった病気ではないこと、頑張った結果なってしまったことを説明します。

そう、なりたくて病気になったわけじゃない。病気でいることは苦しい。人生をエンジョイしている同年代を見ると、嫉妬と、恨みと、どうしようもない焦りが生まれ、親に対する怒りがピークに達する。
その怒りがわたしにとって重要だった。怒りを自分に向けている間は、わたしは治らなかった。親に向けて、逃げ出すことができて、初めて、そのエネルギーが、自分以外に向いた。それをするには、いろいろな人の助けが必要だった。

ストレスから、心身に重大な症状、例えばアレルギー皮膚炎などが出ても、それでも、親は変わらなかった。
だから、どんどん、病気が増えていった。病気をしている間、人生は保留になった。
それが、つらかった。しかし、それが救いでもあった。

病気が治りさえすれば、どんなこともうまくいくと思っていたが、そんなわけはなかった。
でも、病気よりつらいことはなかった。
あれよりつらいことはないから耐えられると考えると、不幸になる、と言われたこともあったし、それ以上につらいことだってある、と言われたけれど、今のところ、そういうことはない。健康であることが一番幸せだ。
だから、不健康になることは徹底的に避けることにしている。すぐに身体的に症状が出るから、サインを読むのはたやすい。
不便だけれども。

意志が弱いのではなく、あまりにも意志の力を信じ、自分をコントロールすることにとらわれてしまうのがアディクションなのです。

また、「アディクション」には心理的鎮痛効果、つまり心の痛みを感じなくしたり和らげたりする効果があるといわれています。アルコールやギャンブル、薬物、買物依存などと同様に、摂食障害の行動にも同じく鎮痛効果があると考えられます。

理不尽なことが、家庭内で、ずっと続くと、コントロールできるのは、自分だけになる。
しかし、それを続けることで、自分の体もコントロールできなくなる。

それが苦しかった。

何かにアディクトしている間は、そのことに集中していられる。アディクションだけでなく、病気の間も、病気の苦しさに集中していられる。心理的な葛藤が、原因だけど、心理的な葛藤を、肉体的な苦痛に置き換えて、シャットアウトできる。

それは確かにメリットなのだ。

親は、わたしに治ってほしい、と言いながら、看護というすることができて、生き生きとしていた。
それでいて、疲れると、わたしに当たり散らすこともできた。
優しくすることも、つらく当たることも、どちらも正当化できた様子だった。
だから、わたしがよくなりかけると、そのタイミングで、悪化するようなことを仕掛けてくるのだった。
それは、母だけでなく、離婚した父も同様だった。

わたしは、強いコントロール下にあった。
病気はそれに対する反応だった。しかし、病気は、コントロールから外れることを望んでいたのに、コントロールを強化した。
なぜなら、一人で暮らすことを妨げる格好の理由となったからだ。
頼むから就職しないでくれ、と言われたことも忘れられない。

生きづらさ」という表現もあまり好きではないんです。たとえば親や家族が喧嘩をしてる。その中で生きる子ども時代ってやっぱり本当に苦しいし、それが自然だと思います。それを「生きづらさ」と言っていいのか疑問なんです。そんな中で人間らしく生きようとしたら、たまたま痩せたり食べたりする行為になってしまった。

わたしの家は、高度に葛藤した場所だった。父は、わたしが小学校低学年の時に、家を出て、愛人と暮らしていた。
父は、一か月に一回、わたしたちに会いに来た。そして、家族のまねごとを強いた。

父がいないことを、わたしは、祖父母にさえ、秘密にしなければいけなかった。
同級生にも秘密だったので、家に友達を招くことができなかった。玄関に男の靴がないことを知られると、家に父がいないことがばれるから、玄関先にも入れるなと言われた。それは、友達を作るうえでも、世間話をするうえでも大きな妨げとなった。いつも、秘密を抱えていることが、とても苦しかった。
父方の祖母は、わたしをいじめた。
わたしたちが、悪いから、父が家を出たのだと考えているようだった。

わたしは、「こじらせている人」「生きづらい人」と言われたことがある。こじらせているのは、わたしの親であって、わたしは正常な反応をしただけだ。
ほかの家庭の在り方を知らなかったから、主治医に、「健全な人間関係を学ぶために」とテレビドラマや、映画を見ることを勧められた。それくらいしか、教材がなかった。「みんな、悩んでいるから、これだけ家族をテーマにした作品があるのだ」と主治医は言った。

わたしは、苦しいのが普通だった。正常だった。でも、両親は、両親が普通であって、わたしが異常だと思っていた。
単に、わたしの文化と、両親の文化が違うだけだったのに、わたしが悪い、と言われたので、わたしは病気になった。

そうした恥の感覚や罪悪感を消すために、「周りの期待に応える良い子」をやってきて、その無理が摂食障害という形で「表れてくれた」と思っています。

わたしは、いい子をしていた。
勉強しか、娯楽がなかったので、勉強をした。それ以外は取り上げられてしまった。

もちろん、遊びに連れていかれたが、それは母の考える「子供のためになること」であった。

「時間がかかっちゃう」って言い方をする人が多いのですが、時間をかけて欲しいと思います。

これは、その通りなのだけど、本当に残酷な事実だ。普通なら、人生を楽しめる時間なのに、病気のため、生まれた家のために、病気なんかのために、人生を使わないといけない。病気が終わってから、空っぽの自分を、満たすために、数十年遅れて人生を始めないといけない。
病気から学べばいいといわれたことがある。
ものすごく、腹が立った。
病気を無駄にしないように、だとか、成長する機会だと思って、と言われたことを思い出すと、怒りで心が燃え滾る。
人生における小さな楽しみ、例えば、道に咲く花に気が付くような感性をすでに持っているのに「そういうことに気が付けるようになればいいね」と言われたこと。その人自身が、気が付いていないのに、「そういう話に感動した」と言われたこと。
わたしは、誰かを感動させるために病気になったわけでもなかったし、ほかの人だってそうだろう。
ただ、やりきれない毎日の中で、なんとか慰めを感じたことだというのに、それも、「消費」されるという悔しさ。
その消費世界が、わたしを病気にしたのだという直感があった。

いい大学に入ってほしい、と言われた。
でも、偏差値の高い大学に入らなくても、自分の道を見つけて、幸せに生きている人なんて、たくさんいた。
その人なりの、幸せが見つかればいいのだ。

摂食障害の仲間たちは、どうするべきか、どうするべきじゃないか、という「べき」の価値観にとらわれているということです。そこからはなれて、今自分が楽になるために「どうしたいか」、「どうしたくないか」を中心にすること。

どうしたいか、どうしたくないか、を取り戻すのには、とても時間がかかった。
最初は、したいことが思いつかなかった。
それに、失敗することが怖かった。
あまりにも、先回りされすぎていたから、自分で選んだことを、失敗とみなされることが多かったから、そのあとの報復や恥辱がつらかったから、もういないのだ、と実感することが難しかった。
高校生の時、自分で選んだ服を、返品してこいと言われた。
何度もそういうことがあった。
わたしは、返品したくなかったし、恥ずかしかった。何時間もかかって、やっと選んだ服だったから、着てみたかった。お店の人に嫌な顔をされるのも嫌だった。
自分の価値観を否定されたと感じていた。
それでいて、お前はダサいと、母にも妹にも言われていた。妹には、母は、ブランドの服を与えていた。

大声を出されたり、赤ちゃん言葉でしか話しかけてもらえなかったり、大人になってからも三歳児向けのおもちゃを買ってこられて、いらない、と言えば、泣かれたり、そういう狂った日々だった。

母も、父も、病を持っていた。
それは、診断されるようなものじゃなかったかもしれない。
けれど、彼らは、それを見ないことに決めていた。
わたしが間違っていると決めつけることで、自分自身から逃げていた。

親でさえ、逃げていた親の病に、わたしが付き合う必要がない、とわかるまでには、長い無駄になるような時間が必要だった。

それは、なくてもいい時間だった。
そこから学ぶことなんて、一つもない。
学ぶべきだ、感謝するべきだという人には、唾を吐きかけながら、これから、自分のことを考えて生きたい。

ポジティブな人は、どんなことからも、学べるというが、わたしは、ポジティブになりたくない。
ポジティブな人に利用されたくない。

病気になることでしか、生き延びられない、無力な時代があった。
今は違うと思いたい。

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