今日は英会話に行った。講師が、「謙譲語は難しい」というので、わたしはこういう風に言った。
kenjougo keep to control power.
old mens need to kenjogo.
old mens can control young people and woman.
kenjogo force lower yourself.
we lost power, when we talk kenjougo.
I can allow sonkeigo because we can show I dont hate you.
but kenjougo keep bad japanese custom.
間違った英語も言っていると思うけど、こんな感じのことを言った。
英会話は、何を話したいのかが大事だ。流ちょうな人がいても、話したいことのコアが分からないと、聞いていてつらい。
謙譲語は、自分を低くすることで、相手を高める言葉だから、権力者によって、わたしたちの力は奪われる。
男性たちの権力を維持するために使われることがほとんどだ。
謙譲語を代表とする日本の慣習のほとんどは、若い人や、女性を抑圧するために存在している。
尊敬語は、相手に敵意がないことを伝えることができるから、わたしはそれは許せる。
でも、謙譲語は、身分差を意識させるための言葉だから、わたしは好きじゃない。
というような話をした。
それと、中国やアメリカは、男性と女性に差をつけることに対して、きちんと考えている。公平さを保とうとしているから、発展しているのではないか、ということを話した。
日本語には、ルールがある。そのルールは、態度を規制するものが多い。上座や、下座、かしこまった様式、そういったものを維持するための一端として、ある。
言葉の意味をきっちり読み取ることよりも、どんなムードなのか、読み取らせて、その後、適切な相手の望む態度をとれる鎌でも、ジャッジされる。
気を使わせることで、どれだけ服従しているのかを、いつも、見られている。