日本では、妊娠初期では産休が取れない。
わたしは生理が遅れるよりも前に、検査薬が反応するよりも前に、つまり超初期から、つわりがあった。
つねに、二日酔いと、食中毒になっているような感じで、縦になっても横になってもいつも気持ち悪い。
しょっちゅう吐いていたが、吐いたからと言って、すっきりすることはない。
ただ、寝ているときだけ少し楽になる。
今は、六か月だけれど、いまだに体重が増加していない。結局、今も、食べられない。
体重コントロールをしないでいいのは楽だけれど。
それでも、妊娠初期よりは楽だ。
わたしは、妊娠初期の間、仕事を休ませてもらっていた。代わりに、六帖さんが塾で働いてくれた。
上司の奥さんが、流産したことがあるため、上司に理解があったから、そういう風にしてもらえた。
そして、安定期になって、楽になったので、働きに出ている。軽作業なので、してたほうが、気がまぎれる。
妊婦で、閉じこもっていると、鬱気味になる人もいるようだ。わたしはもともと躁鬱だから、鬱が深まっただけだけど。
生徒さんは、わたしの丸い大きなおなかを見て、興味津々だ。だから、いろんなことを話す。彼女たちも知っておいたほうがいいことがある。
進路を選ぶこと。それが、一生続けられるとは限らないこと。合わないから、ならいいけれど、出産という、どうしようもないことで、人生が変わってしまうということ。やりたいことをあきらめるかどうか考える時が来ること。
女が出産しなければ、人間は増えない。でも、女が働きやすいように、人々は考えない。女が生きやすいようにはしない。女として生まれてきたことが罪だから、罰するかのようだ。
理解ある上司でも、「割り切るしかないよね」という。割り切られるものか。
わたしは、子供を確かに生む。でも、それは、わたしがわたしであることを捨てることじゃない。
子供は育てる。でも、わたしが自分であることを捨てることとも違う。
かわいがって、生活の一部となり、わたしの人生の重要な部分を子供が占めるとしても、やっぱり、わたしは「おまえがいるから、やりたいことができないのだ」と言わないで済むようにしたい。
幸いこの地域は、女の人が働くことが普通と考えている人の多い地域だ。
女の人の賃金は高くないが、それでも、父親たちは、子育てを熱心にしている人が多い印象だ。
塾の送り迎えや進路指導に、父親はよく来るし、ベビーカーを押しながら買い物をする男性もよく目にする。子供二人の手を引いて、歩いている男性もいる。巨大なリュックを背負いながら。
ゼロ歳児保育についても、周りの人から勧められるくらいで、三歳までは…というようなことを言う人にはまだ出会っていない。
そういう意味では、ラッキーだった。
妊娠初期に女性を働かせることは非道だ。
でも、そういう、個人の体調に合わせるほど、社会が成熟していないように思える。
女性が妊娠して、出産することが、もし、本当に重要だと考えるのならば、何をおいても、女の人が生きやすいように工夫できるはずだが。
きっと、社会は、女の人を生きやすくするよりも、優先するべきことがあるのだろう。
その、優先すべきことが、男性が下駄をはくということに注力しているように見えるから、反吐が出る。
個人の努力では限界がある。個人の裁量で何とかなる部分も大事だが、社会がバックアップすることだ必要だ。
そのために、社会があるのだから。