精神疾患は、精神的に未熟だからではない

しばしば誤解されることだが、精神疾患や、精神障害を持っている人は、精神的に未熟だと考えられ、説教の対象になりやすい。
しかし、もちろん、脳の機能や、心の働きが、「普通の人」と違うだけのことだから、説教だけでうまくいかない。

わたしは同じ自閉症スペクトラムの人と一緒に住んでいるから、家の中で困ることはない。
「普通」の人が、自閉症スペクトラムの集団の中で暮らしたら、きっと支援を必要とするだろう。
わたしたちにできて、「普通の人」にできないことは確かにあるからだ。

わたしは発達障害だけでなく、精神疾患もたくさん持っている。自分でも、病名を全部把握してないくらいだ。それでも、投薬には問題ない。
投薬は、困りごとに対して、行われるからだ。病名に対して、それぞれ投薬するわけじゃないのだ。

薬を減らしてから、生活の質が非常に下がった。身体的に問題が出やすくなった。それも、精神疾患に対する頓服を飲むことでずいぶん解決した。薬は生活の質を上げる。

体の病気でも、病気の人に、その人が未熟だから病気になったのだという論法を使う人がいる。
でも、それはほとんど運の問題だから、精神的に未熟だから、病気になるわけじゃないという当たり前の事実が、わからない人がどうやらいるらしい。

精神疾患になるのには、いろいろな要因がある。だから、心の持ちようだけではもちろん解決しない。考え方の癖が一因になる場合ももちろんあるけれど、一度精神疾患になってしまったら、その「心の持ちよう」という機能が壊れてしまっているから、アドバイスではどうしようもない。心の持ちようが、邪魔されている状態だからだ。

わたしはその外に出るたび、普通の人のようにふるまう。それには、たいへんな無理をしている。
出かける前にも、精神的に自分を追い詰めるし、外に出ても、ずっと演技をしているように、気分を無理やりあげている。その反動は帰ってから出る。何日も寝込むことがある。エネルギーの前借をしているようなものだ。

わたしの脳が壊れてしまった理由は、いくつかの環境要因と、わたしの遺伝的素因がかかわりあって、交じり合っている。もちろん、成育歴も大きい。これらは、すべてわたしの責任とは言えない。運の要素が大きい。

「普通の人」とひとくくりにしても、実際にはいろいろな人がいるように、精神疾患を持った人にもいろいろな人がいる。
精神疾患を持った、わたし自身の経験は、わたししかしていない。「普通の人」の経験をわたしができないように、「精神疾患であるわたし」の経験は、ほかの人にはできない。
だから、わたしに有効なアドバイスをすることは、普通の人には難しい。

専門家でも誤診する。わたしも誤診されていた。だから、医者じゃない人が、わたしを診断することは不可能だ。
でも、医者じゃない人が、わたしにいろいろな病気を押し付けてきたことがある。それらはすべて当てはまらなかった。
しかし、それをされたことで、わたしはとても損なわれた。

安易に診断をつけることは害だ。

病気の名前がつく前も、わたしは困っていた。でも、そのとき助けてくれる人は少なかった。もちろん、少しでもいてくれたことは助かるのだけど。
病気の名前がついたあと、わたしはやっぱり困っていた。自分で、支援を求めたが、それも反対された。肉親に。別に助けてくれるわけでもないのに、自分で何とかしろと言われた。精神疾患なんて、そんなに大変じゃないのだから自分の力でやれと。

診断がつく前もついた後も、わたしは同じ人間で、同じ問題で困っていた。でも、今は病名を言えば、錦の旗みたいに、人に話が通じる。

わたしが思うに、単純に、困っている人をお互い助け合えばいいのにと思う。
わたしが助けられることもある。助けることができることもある。
何が起こるかわからない。
ずっと順調な人生はない。人はいつか老いて病んで死ぬ。
それは、人間的に成長すれば解決することでもない。人間的に未熟だから、それが起きるわけじゃない。
その当たり前のことを知ってほしいと思う。

知って、どうすればいいのかは、各自の余裕について、その人自身しかわからないことなので、その人自身で判断してほしい。

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