犯罪者の九割以上が男性だ。司法も行政も男性がほとんど構成している。もちろん、警察も男性がほとんどだ。
自衛隊も、警察もほとんどが男性だ。
男性が犯罪を起こし、男性が取り締まる。マッチポンプだ。
どちらも暴力装置だ。暴力装置という言葉がわからなかったり、嫌悪感を覚えるのならば、夜警国家について調べてほしい。
国が持っている暴力装置は、法律によって縛られている。でも、暴力装置であることには変わりがない。
どういう理由かわからないが、今存在している男性には、暴力に対する欲求が高いのだろうと思う。
教育や育てられ方か、もともとの性質なのかはわからない。
ところで、女性たちは、女性だからという理由で、自営しろとずっと求められてきた。公的機関からも。その公的機関はもちろん、男性がほとんど構成している機関だ。
女性たちは、性被害や、暴力に遭うと、自衛しなかったか、抵抗しなかったか否かを厳しく問われる上に、それを犯罪だと訴えることも阻止されることがほとんどで、ケアもされないから、ずっと自衛するために、精神的、時間的、金銭的コストを必死で割いてきた。
子供のころから性暴力にさらされてきた人も多い。まったく、性暴力に遭ったことがないという人もいるだろうが、認識できていない人も含まれているはずだ。
だから、たとえば、男性保育士について、女性たちは警戒する。
専門家だから、性暴力を行わないとは思わない。性暴力を子供に行うために、専門家になる人もたくさんいると、わたしたちは知っているからだ。
大人の就労事情よりも、子供の人権を守りたいということがそれほどおかしいことだろうか。
自衛をしろとずっと言われてきて、犯罪者たちに、なんの対策もとられず、分析もせず、訴えたとしても、無罪になることもあるような世の中で、誰を信じられるのか。行政を信じられるのか。行政を信じて、男性を信じて、それで、今も何も解決していないのだ。
それでも、たとえば、市長という、権力者は「不安だ」という人に対して「普通じゃない」という。
医学生が性暴力を起こしても、「計画的ではない」という理由で罪が軽くなる。
男性は、男性問題に向き合うことをひどく怖がる。
女性が、男性問題を口にすると「差別だ」という。
暴力、特に性暴力を振るわれても、殺されても、男性が起こした犯罪だからというだけで罪が減じられる現状がある。それは、女性に対する差別ではないのか。
その差別が繰り返された結果、男性問題を口にするようになると、女性差別をなかったようにして「男性差別だ」という。
男性差別だという人は、女性差別を身近に感じないのだろう。人類の半分に興味がないのだ。
共感してほしい、行動してほしい、と願うよりも前に、まず、知ってもらわないと話にならない。
定期的に、子供が犠牲になっている。
専門家によって、子供が害される。
それを心配すると普通じゃないといわれる。対策を練ればいい、という発想にはならない。
そういう不安や心配を持つな、と言われる。
女性だとしたら、同性愛者だとしたら、性犯罪を起こさないのか、とまで言われる。
だったら、女性だろうと同性愛者だろうと男性だろうと、子供が性被害に遭わないような対策を練ることが必要だ、という議論に、行政の権力者は思いつかない。
男性問題は根深い。
男性同士で、話し合っているだけでは、見えてこない世界があることを、彼らはまだ理解できない。
理解したら、きっと何かが壊れるのだと恐れているように見える。
それが、男性問題だ。
女性の権利の日にすら、男性のつらさを考えろというメッセージが出る国だ。
女性のつらさについて、考える日なのに。
男性のつらさを考える日が必要ならば、そういう日を作ればいい。
でも、そうはしない。
女性のケアをどこまでも期待し、反論は許さず、搾取する。
女性差別は、男性問題だ。
はじめまして。
仮に「性暴力≒射精を伴う暴力」とするならば、言わずもがな、その問題の根源は男性器にある、と言えると思います。
去勢されたら射精は不可能ですからね。
とするならば、
「きっと何かが壊れるのだと恐れているように見える。」
の「何か」とは男の最大の急所である金玉なのかもしれません。
男なら急所は潰されたくありませんからね。
そういえば、昔のアメリカの実写版スーパーヒーロー系のB級映画で、スーパーヒーローと一般女性が意見の違いで口論し、ヒートアップした女性がスーパーヒーローの股間を膝蹴りし、悶絶したスーパーヒーローが妥協するというシーンがありました。
その時の女性のセリフが印象的で今でも覚えていますが、
“A man learns best through his nether regions.”
“男にとってベストな学習方法は(頭ではなく)股間で学ぶこと”
と言う表現で、つまり、
「男は(頭ではなく)股間を通して教えれば物分かりが良い。」
という意味です。
極論ですが「去勢」がこの類の”男性問題”の解決へのキーワードなのかもしれません。
ずっと、このコメントについて、考えていたので、承認を保留していました。
比喩的に、男性性というものが「射精」に基づく、ということだとしたら、男性性を失うことを、男性が恐れていることはわかるかもしれません。
この種の問題を解決するときに、暴力は望みません。
(実際には、性犯罪などのニュースを見ると、去勢してしまえと思いますが、たぶん、それはよくない考えです)
性暴力は、射精ではなく、相手を支配する欲望であり、憎悪が原動力になっている、という研究成果があるようです。
だから、結局のところ、男性が、「相手を支配することで自分を保つのをやめ、憎悪を捨てる」ということが大切なのだと思います。
それを向けられる側は、人生を奪われてしまうわけですから。