六帖さんが家に来て、一年がたった。
彼の実家で、ご両親に会った。
会う前は熱や蕁麻疹が出て、行くのをやめようと彼は言ってくれたけれど、なんとか会いに行った。
彼には両親との記憶があまりないらしい。だから、どういう人なのか、全然わからなかったけれど、ご両親の話を聞いたら、どんな子供時代だったのか少しわかった。
家の事情で苦労したお母さん、ハンサムなお父さんは、仕事を妻の家の事情に振り回されながらも受け入れて、飄々としていた。
遺伝子とは不思議なもので、六帖さんと親御さんはとても良く似ていた。美男美女のカップルに生まれた子供なのに、六帖さんはハンサムとは言えないのが、不思議だとからかった。
彼と知り合い、一年の間に、わたしは身ごもった。経過は順調で、ようやくベビー用品を調べ始めた。
予期せぬ出費が多く、驚くことが多い。子供に拘束される人生が始まる。不安がある。
子育て経験者は、「しょうがない」という。「海外に出ていきたいという気持ちがないわけじゃないけれど、寿命もある。公開がない人生だったとは言えないけれど、たくさんの後悔の中に埋もれている」という。
「つらいことも多いけど、発見も多いよ」という。子育ての話は夫婦仲が円満な、子煩悩の父がいる家の人に聞かないと、悲観的な気持ちになることを知った。
どんな時代でも、子育てをする父は、するし、しない人はしないのだ。
夫が子育てをしていた家庭の妻は、子育てを楽しいものだと語る。自分の人生を犠牲にした一面と同時に、豊かになる一面を語る。これはきれいごとじゃなく、そう。
子供を早く持った人たちは、もう、子供から手を放して、自分の人生をもう一度生き始めている。
そのタイミングで、わたしは、子供を育て始める。
いつ、産めばよかったのかと今更思うけれど、今のタイミングしかなかった。
わたしたちは、自閉症カップルだから、生まれる子供も自閉症のつもりで話していた。
運動をさせよう、集団の強要はさせないようにして、でも、慣れるような機会は与えよう、体の使い方がとにかく苦手なはずだから、アウトドアもしよう、など。
わたしたちは、自閉症の人の気持ちの流れはなんとなくわかるけれど、定型の人の気持ちはわかりにくい。わかるつもりでも、本当にはわからない。もちろん自閉症同士でもわかるとはいえないのだけれど。
定型の人が人の気持ちがわかる人、というとき、本当のところを答え合わせするわけにはいかないのに、どうして、わかるといえるのか、そこが疑問に思うわたしだ。
わたしたちの不安は、子供が、自閉症ではなかったらどうしよう、ということだ。
わたしたちは、自閉症の世界で生きているから、定型の子が生まれたら「異質」と感じる可能性がある。
彼、彼女が必要としている感情的なコミュニケートを与えられるか、難しい。
その場合は、定型の人の力をより借りるように、注力しないといけないだろう。わたしたちにはないものは、与えることができないから。
自閉症が暮らしにくいのは、世の中に自閉症の人間が十分の一しかいないからだ。
わたしたちの家庭ではそれが逆転する。
わたしたちの家庭で、定型発達の子が生まれたら、少数派になるわけだ。理解者になる努力は、どちらにしてもするものの、難易度が上がる気はしている。自分の経験から、類推することが難しいからだ。
自閉症の療育は、社会に混ざるために、自分を変えることを要請される。
そう理解している。
人数が逆転していたら、療育は必要がない。
療育で自閉症は治らない。社会のルールを理解することで、ふるまい方を覚えられる。そうして、二次障害を防ぐものだと理解している。
だから、療育を焦る必要はないと思っている。もちろん低年齢の時にすれば、それだけ二次障害を防ぎやすくはなるだろうが、そのことで、親が負担に感じるのだったら、遅らせて構わないものだと思っている。
遺伝子を混ぜ合わせても、出来上がった子供は他人だから、わたしと特徴が似ている部分があっても、理解不能な部分も多いだろう。自閉症だったら、わかることも多いかもしれない。だから、心のどこかで、自閉症であることを望んでいた。でも、もちろん、そうじゃない可能性もある。
そうじゃなかったとき、わたしは、どれだけのことができるだろう。