今日、午前中は世界中の人から嫌われていると感じて、泣いていた。
処方されているソラナックスを飲んで、ヘルパーさんと話した時も、昔のつらいことを思い出してしまって、泣いてしまった。
夕方、一番最初に教えた生徒さんが、大学に入学が決まったということで、一緒にお茶をすることになった。
とてもいい子で、手に職をつけて、お父さんと経済の話や、政治の話をできるようになるために、大学に行きたいといった子だ。
わたしが教えていた時は、成績が悪く、全教科合わせても100点行くか行かないかだった。
一生懸命やっても、どうしてもできないのだ。頭が悪いわけじゃないのに。
年数を重ねていくうち、そういう子は、とても多いということがわかった。
頑張っても、頭が悪くなくても、どうしても伸び悩む生徒さんはいる。
わたしは、成績優秀でない人生を知らなかったから、そういう子たちが、どういう人生を歩むのかイメージがなかった。
でも、教えていくうちに、そういう生徒さんとかかわるうち、大事なのは、成績じゃなく、人間性だということがわかるようになった。
成績が同じくらいでも、人間性で、人生の明暗が分かれるところを何度も見た。
自分の人生を見据えて、何がしたいのか、どうやって行きたいのか、先のことを考えすぎず、「今」何がしたいのか、じっくり考えることができる生徒さんは、高校でどんどん花開いていく。
今日、会った生徒さんも、なんと推薦で大学入学を決めた。
人の後ろに隠れるような子だったのに、高校では、役職について、人を引っ張ることもしていた。
なんと誇らしいのだろう。
わたしは高学歴ワープアもいいところだから、成績優秀な学生時代を送ったからと言って、人生がばら色じゃない場合もあると知っている。
成績も大事だけれど、それよりも、どう生きたいのか、何をしたいのか、そのために何をすべきなのか、考えることができる子が、どんどん伸びていくことを、その子には教えてもらった。
その子はうまくいかなくても、人のせいにせず、「自分が努力しなかったから当たり前」と言い、落ち込まない。
努力して、それでもうまくいかなかったら、落ち込むけれど、と言っていた。
努力していなくても、周りを見て、ねたむ人をたくさん見てきたから、そういう姿勢が当たり前じゃないことを知っている。
年齢にかかわらず、人間として完成している人はしているし、していない人はしていない。
そういう大事なことを学んだ。
塾講師とは悲しいもので、どんなに生徒を大好きになっても、時が来たら、お別れだ。
思い出してもらうこともない。二度と会えない。
そんな中で、思い出してもらえたこと、わたしにあえて、うれしいといってもらったことが、どんなにわたしの励みになっただろう。
その子は「二人とも、会えて嬉しいと思えるのはいいですよね」と言ってくれた。
「先生が、生徒のことを大好きだと気持ちをかけてくれるから、わたしも先生のこと大好きなんですよ」と言ってくれた。
本当に暖かいプレゼントをもらった。また、頑張れる。
以前あなたは明大法学部と信州大学工学部を卒業したと書いていたと思う。これらは別にあなたが言うほど成績優秀な人が進学する大学ではないのではないか? また、学士はもはや特に高学歴でもない。
受験産業に携わっているあなたなら、この事実はわかっていると思うのに、どうして成績優秀だとか、高学歴だとか自称するのか?
気持ち悪いコメントをありがとうございます。変態か何かですか?
わたしなりに考えたことをブログに書きました。
ところで、コメントすると、居住地までわかりますが、そういうリスクを冒して書くような内容ですか?
それを知らないのなら、あなたがどんな学歴化は知りませんが、リテラシーも知恵も身につかなかったということなので、お粗末な教育水準ですね。
高学歴という言葉の定義には複数の意味があります。
不勉強ですね。わたしは、あなたじゃなくてよかった。
こんな人間だと、人生が狭いでしょうからね。
新しい記事を読んだ。あなたのいう高学歴とは何かを提示してもらったことをありがたく思う。
私のコメントはあなたをとても不快にさせてしまったようだ、その点について謝罪したい。
高学歴という言葉は学位が高い者か、入学が困難な学校を卒業した者に用いるものだと思っていた。たしかに、二つ学位をとるのは困難であろうし、あなたが受けた教育は充実したものだったのだろう。
私は卒業した大学や学位という点で自身を高学歴だとか、成績優秀だったなどと自信をもつことはできない。あなたがなぜ高学歴ということや、成績優秀ではない人生を歩んだことがないと自称できるのか、自信の根拠を知ることはコメントを投稿するリスクよりも有益だと思ったのだが、結果的にあなたの経験してきたことを踏みにじろうとするようなコメントだったのだと思う。重ねて謝罪したい。
こんにちは
これほど真摯な謝罪を受けることはそうない。
だから、うれしく思う。
成績優秀だったとわたしは言うが、発達障害や双極性障害、そのほかに、二次障害のため体の病気も多く、高校は、出席を免除されてようやく卒業したような状態だ。
健康だったらなんてこともない勉強をできない時期が、三年以上続いた。その中で、できることを必死で探した自分を肯定したいと思う。
自身の根拠は正直言ってない。ただ、自分自身を正当に評価したいと思う。それは、わたしが双極性障害持っているため、気分次第で、自分を最低だとも最高だと思うからだ。その気分は障害ゆえに、制御できない。だから、よりどころになるものを、恣意的に作り上げた。
実際に自信があるかどうかは問題ではない。ただ、そうするしかない。生きられない。
わたしは運よく、優れた教育を受けることができた。それには、だいぶ努力もした。
信州大学の時には、まったく意味が分からない授業が多く、講師に、夜十時まで質問に突き合わせてしまったことがたびたびある。
そうしたことが、週に三回以上あった。それほど勉強しなくてはついていけなかった。