コメントでc71の出た大学は偏差値も大したことがないし、学士はありふれているから、あなたは高学歴とは言えないはずだ、それなのに、それを名乗るのはなぜなのか、という気持ちが悪く、失礼なことを言われた。
真面目に答えると、確かに明治大学は、早慶、東大よりは劣る。マンモス大だから入る人も珍しくない。東大も、国際ランキングでは相当低いから、日本の大学を出た時点で、レベルは低いといえるだろう。
信州大学は、旧帝大ではない。
個人的には、講師陣のレベルが高くてよかったと思っている。
明治大学も、先生たちの個人的な思想や、経験を踏まえた授業が多く、エキサイティングだった。得るものは大きかった。
水俣病の弁護士を、九州にまで行って、手弁当で裁判をし、現地の人に信用されるまで同じものを食べ、郊外で企業を訴えるための理論を構築し、因果関係を証明した先生の話が民法総論だった。
わたしは子供のころから、世の中を、もっと女性と子供が住みやすいものに変えたいと思っていた。
だから、明治大学の法学部に入り、ジェンダーと法律を勉強し、世の中を変えることをしたかった。
結局は、今、自分の身の幅のこと、歩みは自分の歩幅の分だけだ、ということが分かってきたのだけれど、人生はまだ長いから、法律家になる以外の道で、何かできることはないかといつも探している。ブログもその一環だ。
誰の役に立たないと病気が邪魔をして、悲観的になることがほとんどだけれど、そういうつもりでやっている。
高学歴の話だが、日本で受けられる最高教育、高等教育が「大学」だからだ。わたしは、偏差値で決めるよりもその人が勉強したいと思い、大学に行き、何か得ることを一番尊重したいと思っている。
高学歴というと変札の高い大学に行くことを指すだけだと思っている人も多いが、実は、そうではない定義も存在している。
わたしはそちらを取っている。
勉強がどうしても手につかない、低学力の生徒が、「大人の話をわかって、商売をしたいから、世の中のことを知りたい」と大学進学をするまでに成長した、ということを何度も経験すると、どのレベルの大学に入るのか、ということは、あまり気にならなくなる。
それよりも、大志のほうが大切だ。
日本の大学の講師のレベルは高い。人が余っているからだ。
偏差値が低いと、周りの学生が、勉強好きではない可能性が高いから、環境が悪い場合も多いけれど、わたしが知っている教育機関としての大学は、みんな勉強したがっている学生には親身になってくれた。
また、偏差値的にはたいしたことがない大学かもしれないが、わたしは、ダブルライセンサーだ。学士を二つ持っている人は、まだそれほど多くない。しかも、法学部と工学部を両方というのは、畑違いで、単位を取るのにもずいぶん苦労した。
工学も、技術を通して、世の中の仕組みを変える学問だから、法学部を選んだ理由と同じ理由で選んだ。
誤解している人が多いけれど、今の大学は、遊んで卒業できる場所ではない。遊園地だとか、遊びに行くようなものだとか、いう人は、今を知らない人たちだ。単位を取得するのが簡単に見える授業でも、相性で難しい人にとっては難しい。卒業は簡単じゃない。
信州大学では、一割から三割が留年していた。
成績優秀だと自称するのがおかしいとも、言われたので、反論すると、わたしはどちらの大学でも学費免除か、給付奨学金を得ていた。それらを得るためには、それなりの成績が必要だから、成績優秀だといっている。その努力をないことにしたくないし、わたしが優秀じゃなかったら、ほかの人はどうなるのか、謙遜するとかえって、悪い、という気持ちだ。
世の中は変えられなかった。エリートにもならなかった。同窓会で鼻で笑われたこともある。
でも、塾講師は報われる仕事だ。
女の子は、生きることが、不利だ。
生まれたときから、男と女は育てられ方が違う。
高校選び一つ見ても、男の子には一つ上の高校をチャレンジさせる家庭が多く、女の子には無理せず、確実に入れる高校で、トップを狙って推薦を取るような進路を望む家庭が多い。
それをすると、入れる大学の選択肢が減る。推薦はよいように思えるけれど「自分が入りたい大学」を探すために、少しだが、制約がかかる。なんでも選べる、というのと、推薦がある大学の中から行きたいものを選ぶ、というのでは少し変わる。
わたしが就職しようとしたとき、女だからという理由で露骨に断られたことが何度もある。
女の子にできる仕事がうちにはないんだよね。ご両親はそろっているの?結婚する予定はあるんでしょう?子供を産んだら休むだろうけれど、産休を与える余裕はないし、前例もないから、みんな一度やめてからパートで戻る慣例だよ。
そういうことはすべて、違法だが、現実でもある。そんな会社に入らなければいい。それはもちろんだけれど、男性と女性の選択肢の多さを比べると、制約が多いことをわかってもらえるだろうか?
もし、女が子供を産まなかったら、働き手も、消費者も育たない。男には子供を産めない。
産めないからと言って優遇される。おかしいと思う。
女の子たちは中学生のころから、具体的な夢を持つ。今は看護師、薬剤師、保健師、助産師、そういった、技術職が人気だ。
裏を返すとそうでなければ、独り立ちして食べていくことが難しい。
学力は、労働環境とも、給与面でも密接に関係する。学力があれば、選べる。死を選ばないようにする知恵を、わたしは塾講師という仕事を通して、育てたい。
わたしを高学歴だと呼ぶ人、呼ばない人、それぞれの立場があるだろう。
わたしにも、後悔はたくさんある。
できることが少なく、力及ばないことも多い。
子供を身ごもってから、社会活動ができず、主治医に相談したら、「子供を産むことほど社会活動になることはないよ。人を一人社会に増やすのだから」と言われてほっとした。
高学歴が、人生を保証するわけじゃない。
でも、学力は、選択肢を増やせる。それを利用するかどうかは本人の問題だ。
勉強を通して、頭の使い方や鍛え方を学ぶことはよいことだ。
頭を使わず、考えないことは、楽かもしれないが、大きな損だ。
その損にも気づけないほど、阿呆な人もいるけれど、なるべく関わりたくない。
そうはいっても、社会の中にいる限り、関わらざるを得ない場合もあるから、その辺は工夫するしかない。それも知恵だ。