シスジェンダーだけど性違和がある

Aちゃんと六帖さんと三人で、パーソナルデザイン診断とお買い物同行に行った。

そうして、AちゃんはIラインが似合う人だと診断された。そして服装を着ていったら、女性的なラインが非常に美しい女性として見えた。

でも、Aちゃんはそれがうまく消化できなくて苦しがっていた。凹凸のない体になりたいのに、まっすぐなラインの服を着ると女性的なラインが目立ってしまうから。

それで、家に帰ってから、ずいぶんいろいろな話をした。Aちゃんが笑顔になってほしいから。

Aちゃんが女性的な形をしていることを受け入れようが受け入れまいが、折り合いがつけばいいなあと思った。

わたしは、自分について、女性であることをあきらめられていると思っていた。

でも、そうじゃないことが話している間に、だんだんわかってきた。

わたしはラッキーなことに、小中学生の時から、性規範を押し付けられたら、たとえ専任の前でも主張することができる人間だった。

たとえば、標準服で女生徒がズボンを履けないことについても、全校集会で主張して、結果的に勝ち取った。途中で、教師にいじめられたり、上の学年の人に男女と言われたり、殴られたりなんだりしたけど平気だった。

わたしは、小さいころからアクティビストだった。周りの大人はそういうわたしのことを普通に受け止めてくれていたし、応援もしてくれた。地域の人を巻き込んで、話に行った結果、ズボンを履けないのはおかしいといってくれたし、学校にも言ってくれた。PTAでも話し合いが起きた。母は、わたしをサポートしてくれた。わたしの周りの女の子のグループ全体で、戦って勝ち取ったという成功体験だ。

今では、わたしの母校の生徒は、女生徒たちが好きなズボンを履いたりスカートを履いたり、選べるようになっている。

 

わたしは、性規範が嫌いで、自己主張することで、そのことと折り合いをつけてきたから、楽に生きている。そういうのも、環境に恵まれていて、ラッキーで、運が良かっただけだと思う。

 

 

男の子のだれがかっこいいと話したこともなかった。

中学生の時、子宮を取りたいと思っていた。

小学生高学年の時、胸が大きくなり始めたときは、嫌で、お風呂場で毎日泣いていた。

性器や陰毛が生えてくることもとても嫌で、自分を殺したかった。

でも、死ななかった。

成長するにしたがって、ボディが変わっていった。ボディイメージがコントロールできないことがたいそう苦しかった。

凹凸のない体になりたいと言ったAちゃんと話しているうちにそういうことを思い出した。

わたしは、性規範に対する違和だけじゃなくて、性違和も持っているんだな、とわかった。

一つ賢くなった。

性規範とはけんかできるけれど、ボディとは喧嘩できない。

妊娠してから、体が変わっていく。ホルモンの野郎が、勝手に私を変える。わたしはそれが嫌で嫌でしかたがない。

おなかに赤ちゃんがいるのだからと言われても、体が醜くだぶついていく様子を、「醜い」としか思えない。子供を持つ喜びで、まったく打ち消されることはない。

わたしの趣味は家庭的だと称されるものが多いが、そういう意識は全くなく、どっちかと言いうと手に職をつけることのできる、商売に結び付く趣味だと思っていたけど、人からそう見えないと知ったとき、面食らった。手芸が好きなのだ。

 

自分が持っている苦しさや大変さの一つに、「性違和」という名前絵をつけて呼ぶことができる。だから、わたしはそれを手掛かりにして、考える手綱が一つ増えた。

 

Aちゃんを笑顔にしたいと思って話し始めたことだったけど、自分の問題になって帰ってきた。

問題を解決しようとは思えない。しょうがないと受け入れることもまだできていない。

結果的にしょうがないと思えたらそれはそれで運が良いことだけど、そうじゃなくて、考えて、楽になるときが来るといいと思う。

楽になればそれでいい。

楽にならなくて、わたしが自分の体に違和感を持ち続けていたとしても、それでいいと思ってる。

少しずつ、考えを進めることができるから。

以前に描いたブログで「いつまでも悲しみを中心においているとよくない」ということを書いたら、ずいぶんと反発が来た。

わたしがそう考えていることとは変わらない。わたしは、つらいことと立ち向かうことと、悲しい悲しいと言い続けていることとは違うと思ってる。

違うつもりで書いたのに、「人にはプロセスがあるから、悲しい時はいつまでも悲しめばいい」と言われた。でも、一生悲しみたくない。悲しみたい人は一生やってればいい。

それと、考えていくことと、悲しみを楽しむ人とは違うと思ってる。

大昔に大変なことがあってそれをずっと大変だと思うのは、今現在それ以上に大変なことがないからだ。それは幸せなことだ。

わたしが自分のボディに違和感があるのは、今現在進行形のことで、「今」の話だ。

だから、違う。

今、わたしは、困ってる。

妊娠したから、加齢したから、どんどんボディが変わってく。ボディが憎い。嫌い。受け入れられない。見たくない。消したい。消えたい。

こういう気持ちとどうやって折り合いをつけるか、またはつけないまま生きていくか、どこに着地するのか、見てみたい。

性規範とは戦える。性違和とはどういう風に付き合うんだろう?

これから楽しみだ。

 

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