今日は人生の節目になる日

今日は、内面的にいろいろなことがあった。

気持ちがとても落ち着いていて、幸福だ。そして、そのことに興奮してもいる。

今日は、古い恩人二人に電話をした。
そして、事実婚の話をしたら「自由な時代でいいね」と言ってもらった。

アトピーのことも心配してもらった。
お母さんの友達だけど、お母さんといろいろあったと話したら、そういうときもあるから、秘密にしておくから大丈夫と言われた。

文章を書き続けていることも話したら、非常に喜んでもらった。

わたしのことを「木と同じで、ゆっくり成長する子だから、見守っていれば、大きく育つ。急いで成長させたら、引っ張ってちぎれてしまう」と言ってくれた人だった。

わたしは、人に恵まれていた。だから、生き延びていられた。
祖母のことも思い出した。
「品がある」「賢い」と言って、古典を読むことを推奨してくれ、夏休みにはずっと図書館に連れて行ってくれた。
本を読むには古典から読むといいということを後押ししてくれ、私の興味のある本を選んでもくれた。
だから、わたしは小学三年生のころから、戯曲、シェイクスピア、明治の文学、源氏物語、世界の文学全集を読んでから、現代の文学に入ることができた。

母も毎週末、図書館に連れて行ってくれたことを思い出した。
学校でもずっと本を読んでいたけれど、そっとしてくれていた、学校の先生のことも思い出した。

わたしの時代には療育がなかったけれど、結果的に療育されていたのだなと思った。

周りの大人が全力で、わたしにあった育て方を模索してくれていたから、今のわたしがあるのだと思った。
しみじみと、幸せが押し寄せてきた。

大学生のころ、長期休みには祖父の介護を手伝いに行った。
ブックカフェで、九十八歳のお母さんをみとった人と話ができて、そのことを思い出した。
祖父は、大福をほおばりたいといった。わたしは、それを買ってきて、死んでもいいと思って食べさせた。
幸せそうだった。祖父は泣いた。

医者は、食べさせてはいけないというしかない。
でも、わたしは一年長く生きるよりも、食べたいものを食べさせてそれで死ぬほうがいいと思った。

祖父は、畑のことを最後まで気にしていた。

叔父が、病院に入院させてしまったので自力で排泄をすることができなくなったので、祖父は、多臓器不全ですぐに亡くなった。

排泄を自力でできなくなると、人は死ぬのだと思った。自尊心を失われれうと、人は狂うしかなくなるのだ。狂うか、死ぬかだ。

犬を最期までみとったのもわたしだった。大好きな犬だった。

祖母は、叔母に引き取られて暮らしていたが、世間体に囚われて、叔父に連れられて行って、孤独に死んだ。
葬式はひっそりとおこなわれて、誰も呼ばれなかった。
死因を叔母は言わなかった。そういうことだと思う。

急いでも、急がなくても、人は死ぬ。
わたしは、母に電話をした。元気でいる、事実婚をした、幸せでいる、それだけを言いたくて電話したと留守電にかけた。
六帖さんにはまだ早いのではないかと言われたけど、電話してすっきりした。

母がしてくれたことをたくさん思い出した。

二十時間くらい寝る時期も放っておいてくれて、無理やり学校に行かせなかったことや、博物館に連れて行ってくれたこと、教育に関して、わたしに最適なことを常に選んでいてくれたこと。

母が狂ったのは、父がひどいことをしたからだと思った。

狂った母と一緒にいることはできないから、しばらく距離はおくけれど、いつかまた会える気がする。

勉強の大切さや、大学に行けば私の疑問を解いてくれる糸がいるということお教えてくれた母は、まっとうな人だったと思う。
わたしが学問の世界でしか生きられないことを知っていて、教えてくれたのも母だった。

わたしの適性を見抜き、それにあったことをいつもしてくれた。

妹と、物の格差はあったけれど、妹がほしがったのは、モノばかりだったから、精神的なものは私に贈り、物質的なものを妹にあげたのだろうとなんとなく、納得した。

今日はいろいろなトラウマを開放で来た。

幸福な中にいると、今まで怖かったことが怖くなくなった。

アマゾンで出版した本のレビューを久しぶりに読んだら、励まされて、勇気がわいた。

今読むと未熟な面が目立つけれども、あの時書いたことは無駄ではなかったのだ。
いつだって、完ぺきにはいられないのだから、「今」わたしの全力を書くことに意味があるのだと思えた。

わたしには、いろいろな人がついてきてくれていて、見えない人も味方だ。
敵も多いけれど、見なければいい。

若いころは、見ないようにすることができず、何もかも見てしまっていたから苦しかった。

正確にいることと、見ないでいることは、両立するのだと思った。

苦しいことも、ないほうがよかったかもしれないけれど、むだじゃないと心底納得できた。

わたしは、経験が必要だった。

鏡を見ると、若いころ、のっぺらぼうだった顔が、はっきりして、目に力がある。
わたしは、「まし」以上に、いい人生を歩んでいると、鏡が教えてくれた。

だから、電話できた。

辞めた会社の前を歩いて、上司の車の前を横切った。
平気だった。

別れがあれば出会いがある。
別れはさみしい。
でも、別れにしがみついている間は、新しい人と出会えない。
別れを手放すことが少しずつできつつあって、そして、別れを手放すことで、いつか、再開することも、夢ではないのだと思う。

年を取って、十年という単位が身近になった。
だから、わたしは十年でも二十年でも、もう待てる。

その間、わたしは、楽しく、幸せに暮らして、時間を費やせる。
幸せでありさえすれば、健康でありさえすれば、たいていのことはなんとかなるのだと、経験から学んだから、もう怖くない。

わたしは怖くなくなった。

c71の著書

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