発達障害であることが嬉しい

わたしは、今日、最高に幸せな気分です。

今しかできない、わたしにしかできないことができるからです。
わたしにしかできないことで、人を幸せできるし、自分も幸せにできます。
わたしは、自分の人生を切り開けると確信しました。

アルバイトをすることを決めました。
アルバイトをすれば、五年後には不動産が買えます。

わたしは幸福です。
間取りを眺め、ネットで物件を見たりしていた、あの、大好きな不動産が買える可能性が出てきました。わたしは不動産のことを考えるのが大好きです。趣味と言っても過言ではありません。
築年数や間取りを考えたり、立地と家賃のバランスを考えたり、不動産の利回りや仕組みを考えたりするのが大好きなのです。
わたしが、不動産のオーナーになることは、わたしには無理だと思っていました。
生活するだけで、精一杯の暮らしだから。

不動産のオーナーになることはわたしの夢でした。コンプレックスだったのです。人並みになれないことが。でも、不動産のオーナーになる、という夢があって、それに向かっていければ、わたしは幸せでいられます。しかも、この夢で、何かを失うことはないのです。

中古のマンションをオーナーチェンジで安く買って、頭金以外を家賃収入で回していって、二十年後に売却したら老後の資金が貯まります。わたしは、それをやってみたいです。
わたしは、不動産が好きなのです。だから、きっとうまくいくと思います。うまくいかなくても、別に困ることはありません。

考え方を少し変えれば、可能なんです。
本業で、生活費を稼ぎ、余暇の時間でアルバイトをします。
そうしたら、一日に働く時間は少なくとも、貯蓄ができます。
そのことに気づきました。

わたしはとても疲れやすく、三時間働いたらくたくたです。
それは、障害のためです。人といると、疲労します。
でも、朝に三時間働いて、昼に休んで、夜に三時間働く、というやり方だったら、可能なのではないかと思いつきました。障害を逆手に取るやり方です。
障害がなければ、こんな働き方は思いつかなかったでしょう。
人に言うのも恥ずかしかったでしょう。
でも、障害があるから、開き直れるのです。

わたしは恵まれています。
わたしにも大好きな不動産を買うやり方が存在し、老後に備えることができるとわかったからです。
わたしは、今、誰にも、今の自分の立場を変わってほしくはありません。
誰のこともうらやましくありません。
わたしは、わたしでいて、最高です。

自分で自分の人生を切り開くチャンスが訪れたことを感謝します。
わたしは、自分の頭で考えて、自分の体を使って、生きていけます。
今感じている強い幸福感は、一過性のもだろうし、また、どん底にまで落ちることはあるのかもしれませんが、今、わたしはとても幸せです。

健康な体を持っています。頭だって、悪くはないです。
天職と思える仕事があります。子どもの夢を応援し、叶える手伝いができる仕事です。この仕事二関して、わたしの代わりはいません。その子にとっては、わたしだけです。わたしは、わたしであることを、仕事と子どもに肯定されて、そして、その贈り物を、仕事を持って返していけます。
最高の仕事だと思います。世の中に貢献だってできます。

「普通」と外れた人生を生きざるを得なかったけれど、だから、他の人よりも自由に生きられるのかもしれません。わたしは、レールの隣をとぼとぼと歩くような人間だけれど、レールの隣じゃないところに行く自由だってあるのです。レールに乗っていたら、レール以外の場所を車輪は走れません。

きっと、持っているものが大切すぎて、チャレンジするのが怖くなってしまうでしょう。

サラリーマンをやめなかったら、きっと、一生不動産を持つチャンスには恵まれなかったでしょう。
今の本業のような、楽しくてやりがいのある、わたしにぴったりな、天職ともいえる仕事にも出会っていなかったでしょう。

わたしが仕事を辞めた経緯は不幸なことも含まれていましたが、今はそれが、逆に変わりました。
素晴らしい先輩のいる職場にも恵まれ、いろいろな人と出会いました。
仕事は一日の中で、最も楽しいひとときです。そして、お金ももらえます。

発達障害のせいで、精神年齢が低いです。だから、子どもの気持ちがわかります。子どもが、どこでつまずいているのか、悩んでいるのか、同じ目線でわかります。
転職のおかげで、障害を、才能の一種に、転換できました。

わたしは、発達障害で良かったと思います。
わたしは、人の顔色をうかがわないので、他の人と同調するためのエネルギーを損失しません。
それに意義を見いだせないからです。わたしはそれが怖くないのです。

定型の人たちの恐れぶりというのは理解できません。1人でいること、他の人と違うことをすることを、彼らは非常に拒みます。そのエネルギーは膨大に見えます。

わたしは、最小のエネルギーで済ませています。だから、新しいことができます。

人といるのは好きです。友だちもいます。常に一緒にいなくてもいいだけです。これって、最高のバランスなんじゃないでしょうか。

わたしは、自分が発達障害だから持てる視点が、他の人の役に立つのが嬉しいです。
わたし自身には認識できなくても、わたしの視点はオリジナルらしいです。だから、わたしは、労力をかけなくても、いつでも、オリジナルの意見が持てます。これは、得難いことです。

神様がいるのならば、わたしが、発達障害に耐えられると思って、わたしを発達障害にしてくれたのだと思います。
そして、わたしは、発達障害だということを喜べます。
わたしには、発達障害が役に立っています。

確かに、発達障害だから困ることやつらいことや、切ない思いをすることはたくさんあります。
人の表情が読めないせいで、言わなくていいことを言ったり、疲れやすかったり、二次障害でパニック障害や不安障害や鬱を発生しています。お金の管理も下手です。できないことはたくさんあります。
子どもっぽくてよく泣きます。人をぎょっとさせます。感情のコントロールだって下手だし、思うように事が運ばれないと泣いて暴れることだってあります。

だけど、わたしは、自分の人生を、創造し、切り開いていく力があります。
わたしは、そのことに、今日、気がつきました。

これは、素晴らしいことです。
わたしは、自分自身を手にしました。

この興奮が一過性のものなのは確かですが、それでも、わたしには、わたしの人生が存在しているのだと、わたしにはわかりました。生きていてよかったです。
わたしは、発達障害であることが嬉しいです。

c71の著書

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発達障害であることが嬉しい」への2件のフィードバック

  1. コメントありがとうございます!とっても嬉しいです。
    調子がいいときと悪いときがあるのですが、今は、いいときのようです。
    興奮しすぎないようにしなくてもいいのですが、いいことを思いついたと喜びでいっぱいです。

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