社会人になってから発達障害でよかったと思ったこと

発達障害で困っていることはたくさん世の中に書いてあるので、良かったことを書いていこうと思います。

わたしは発達障害で良かったことは、物怖じしないことです。

「こんなところにはいけない」などとおもうことがあまりないです。
がんがん行きます。あとから恥ずかしくなることはあるけれど、周りの目を気にするということがないから、チャンスがあって興味があることなら、何でもします。
たとえば、わたしは以前谷川俊太郎先生と対談したことがあります。すごいでしょう。

だから、普通の人なら、遠慮するところをしないので、得難い経験ができます。

そのかわり、いじめられるときには、半端ないです。

ただ、理屈中心で生きているので、言われたことは傷になっても、「でも、わたしは悪くない」と自分なりに理屈が構築できたときには、「わたしは悪くない」で押し通せます。

その分、世間の風当たりは強いです。それを感じなかったらもっと良いと思うのですが、残念ながら、直接ひどいことを言ってくる人もいるので、それは、難しいです。

ただ、わたしが変わり者だからこそ、人に愛される場合もかなりあります。
素直で嘘をつかないで人の顔色を読まない、ということを愛してくれる人もいるわけです。
特に年上の女性はかわいがってくれます。

それを奇異に感じるひともいますが、「細かい差異」の中で暮らす人はたいてい自分に対しても、「細かい差異から逸脱してはいけない」という気持ちを持って自分を抑えて生きているので、わたしは気にしません。わたしには、その価値観がないからです。
だから、気にできません。

感覚過敏は、厄介です。でも今はネットショッピングがあるから、大丈夫です。

発達障害なので、体を動かすことに常に気をつけなくてはいけないので、今では、同年代の人に比べてかえって健康です。それに、自閉症スペクトラムの人にありがちなことですが、顔立ちが整っていて、加齢しにくいです。

理屈が好きです。
それに、全体を鳥瞰してシステムを把握することが得意なので、勉強や研究に向いています。
自閉症スペクトラムは人付き合いは苦手ですが、システム把握の得意さは、1人でできる仕事さえ探せば、今は、お金を稼ぐ手段になりやすいと思います。
現実逃避のために鍛えられた速読も役に立つ場合があります。わたしにとって速読は自慢にもならないことですが、定型の人にはけっこううらやましがられるところです。役に立たないですけど。

それと、自由です。
世の中の、不自然なルールが理解できないので、迫害されます。
でも、迫害されることに気がつかなかったら、こんな自由なことはありません。
自由に、自分の思うように、工夫して暮らせば良いのです。
その人なりの幸せはあります。

定型で、優秀な人だったら、崇高な理念を抱えて一生懸命働かなくてはいけないし、飲み会も行かなくてはいけないし、それが苦手な人だったら、人生が大変だと思います。

わたしは、チームでサービス残業をするということが理解できませんでした。
サービス残業をすることで、みんなが仲良くなるということがよくわからなかったのです。
わたしには、ただ、非合理で、違法行為をしているとしか、受け取れませんでした。
でも、働くのだったら、そういうことにも、折り合いをつけないといけない世界なのだと理解しました。

無理なものは無理、だって、障害があるから!と思えたのは良かったです。無理していたらと思うとぞっとします。
でも、それで、何もかも障害があるからあきらめるという風になってはいけないと思います。
障害にあった、仕事を探すか作るかすると良いと思います。

今は、時間給で、働いているので、気の使い合いがなくなってとても楽です。
もし、中途半端に、チームプレイなどの、上記のことが理解できていたら、辞めるに至っていなかったのではなかったと思います。わたしは、理解できなかったから、先輩にとてもいじめられました。
いじめられたことが辞めた理由ではなかったですが、辞めたおかげで、天職と巡り会えたので、先輩には感謝しています。

サラリーマン時代に比べて、一日の時間はとても自由です。
大好きな文章を書く時間も多いし、自炊もできるし、疲れたら寝ることもできるし、習い事もたくさんできます。
習い事をして、いろいろな人と出会うことは、発達障害の人が、心の成長をするにあたって、とてもよい経験になります。
だから、仕事を辞めて正解でした。いろいろな価値観を持つ人や、わたしを許容して尊重してくれる方と出会うきっかけが、習い事にはあふれています。

発達障害でなければ、こんなに豊かな世界に触れることはなかったでしょう。
子どものかわいらしさ、素晴らしさを知ることもなかったでしょう。

自分でも何の役に立っているのかわからない仕事をして、お金をもらって、の繰り返しで生きていくよりは、今の、やったらやった分感謝されて、評価されて、お金ももらえて、それ以外の時間は自由に過ごせる、生活の方が、安定はしなくて貧乏だけど、けっこう幸せだと思います。

発達障害じゃなければ、会社人間となって、毎月お給料をもらって、賞与ももらうような生活をして、成功したかもしれません。
でも、それが、わたしにとって、幸せだったかわかりません。
わたしは、長い間、会社人間として成功するのが、人間のあるべき姿だと思ってきました。

でも、発達障害だとわかって、発達障害なりに生きていかないといけないことがわかって、たいそう落胆して、それから、ドキドキしながら就職活動をして、天職とであって、人生が変わりました。

幸せだと思える仕事を続けていくうちに、コンプレックスは薄れるのだと思います。
わたしは医者にもなれなかったし商社マンにもなれなかったけれど、子どもの笑顔と子どもの夢を過合える手伝いができるのは、尊い仕事だと思います。

だから、わたしは、今のわたしなりに、頑張っていて、けっこういい線いってるんじゃないかな、と思います。

c71の著書

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