太ったことが誤摩化しきれない

薬局に行ったら、からだがしっかりしましたね、とか、大きくなりましたね、とか言われたので、「太ったということをそういう言い方でするんですね」と言った。
「また痩せますよ。歩くのやめたんですか?それですよ」と言われたけれど、がまんできずに、「もう死にたい!」と言ってでてきた。今は歩く余裕がないのだ。アルバイトで精一杯。それなのに、もっと頑張れと言うなんて、という絶望的な気分。
もう、あそこの薬局には行かないかもしれない。
病気で通っているのに、気にしていることを言われるのは傷つくものだ。

太っていることがコンプレックスで、消え入りたい、という気持ちが「死にたい」になる。

「調子いいときも悪いときもありますよ」と言われたが、無視した。
そう言う問題じゃないのだ。無神経なことを言われたことに腹が立ったのだ。

太ったことはもう明らかなので、言われなくても知っている。言われたくないこともあるのだ。
コンビニのアルバイトをはじめたので、太っていることにあまり興味がいっていなくて、歩く余裕がなかった。食事はごはんを減らして、豆腐や野菜をとるように三日前から気をつけているけど、いつまで続くことやら。

でも、今日は、一時間歩いた。わたしは、えらかった。くたくただけど、やればできるんだ。
生徒さんも物理を教えたら、喜んでばんざいをして笑っていた。
わたしは、太っているけれど、人を笑顔にもできるのだ。
それって、素晴らしいことだ。
そうじゃないの?
わたしは、自分の味方にならないといけない。そうしないと、いつまでも太ったままなのだ、と思う。

太っていても、普通のことができなくても、勇気を持って、自分の人生を歩んでいるんだから、わたしには価値がある。
これは、すごいことなんだ。
冒険なんだ。

周りの人が、私が太っていることに気づいて、嫌悪感を持っているように感じる。
軽トラ王子もきっとあきれ果てて、私から離れて行くだろう。そう思う。
だけど、前と違うのは、それはそれでいいのだ、太っていくのも、わたしなのだ、と思う。

わたしが過食してしまうのも、病気の一部だから、仕方がない。
元気で働けているのだから、前よりもずっと良い。
太ることよりも、働けていることの方がずっと価値があるのではないだろうか。
薬局の人には、それがわからないのだ。無神経だし下品だと思う。他人の体のことを言うのは。
わからない人は放っておくのだ。

c71の著書

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