- 作者: エレンファイン,シェリーシュナイダー,Ellen Fein,Sherrie Schneider,田村明子
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 1997/02
- メディア: 単行本
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ルールズというのは、自分らしく生きて、人に合わせるためのコストをいかに減らしながら、なおかつ自然体でいられるパートナーを得るための技術という感じがします。
わたしのルールは、自分を生きていく、ということです。
それに反しない限り、ルールズには従って行きます。
ルールズには、ひとづきあいの、実践的なこつが書いてあるからです。
合わない人はあっさりあきらめる、というのは、難しいですが、でも、結果的に、自分の心を守ると思います。ときには、焦りますが、このルールを守っている限り、相手のペースを乱さなくていいのは気が楽です。
これは、駆け引きではなくて、思いやりの技術です。好きだと、接触したくなります。でも、自分のペースでやっていると、いろいろ不安になって、自分の人生を生きられなくなってしまいます。そういう問題が生じます。
楽しそうに生きていると、人が集まってきます。自分が空っぽだと、女という器を利用したいと願う人が集まってきます。
楽しそうなこと、お祭りのような明るさがあれば、人はなにがあるのだろうと、興味を持ってくれます。
もしも、素敵な人に見初められても、生きていくのがつらすぎるから、パートナーを得たいと思っていたら、「こんな私を好きになってくれる人はいないに違いない」と思ってしまいます。だから、出会ったとしても、自分から「自分を好きになるような人のことは好きじゃない」と思ってしまうでしょう。
それに、楽しそうじゃないのに集まってくる人は、ろくな人ではないと思います。さみしそうだったり、苦しかったり、つらかったり、精神が不安定だったりするときにだけ、現れるような人は、支えてくれる人ではなくて、泥棒が多いと経験的に思います。気持ちを盗んで行く泥棒です。結果的に消耗します。弱っているときには、判断力が鈍るので、それを見越して、接近してくる人です。弱っていて、自分に価値がないと思っている人は、大事な財産や、心の美しさを簡単に放棄してしまいます。そこを、ハイエナ(に悪いですが)のように狙ってくる泥棒がいます。そういう泥棒は、お金や、時間、優しい気持ち、美しい感情、性的なものを、奪って行って、自尊心をずたずたにします。
そして、「お前には価値がない」とどんどん洗脳して、逃げられなくします。自分一人で生きていけなくなるように、しむけて、自尊心を失わせて、コントロールします。そして、空っぽになった器を乗っ取ります。
普通の人だったら、相手と、一緒に、楽に、清々しく生きていきたいと思っているはずです。
だから、自分が、それにふさわしく、一人でも生きられるようなペースを維持していなくてはいけません。恋愛するためには、自立が必要なのです。
そうでなければ、子どもの恋愛になってしまうし、王子様に助けられるような人生は、ろくなものになりません。自分を生きられないからです。まともな人だったら、恋の相手だったとしても、ひと独りの重みに怯えてしまって、逃げてしまうでしょう。それが真っ当な感覚です。(そして、その判断ができる人ならば、だからこそ素晴らしい人です)
もしも、恋をするに値するぐらい、素晴らしい人ならば、その人も、自分の人生を生きたいと願っているはずです。素晴らしい人は、自分の人生を大切にしています。私の場合、自分で、自分を生きている人を、素晴らしいと感じます。
もし、相手のことを愛していたら、自分の人生の重みを、最初から丸投げして、自分だけ肩の荷を降ろすなんて、したくないはずです。こちらとしても、逆に、そんなことは、されたくないでしょう。
自分らしく、自分を生きる、というのは難しいのですが、やっていかないといけません。
相手といないときには、なるべく、相手のことを考えず、自分の生活を充実させたり、自分がおしゃれしてごはん食べる分はきちんと稼いで、相手にプレッシャーを与えない、というのは、相手の適切な距離を守る具体的な指南と言えるでしょう。
だから、自分からは積極的にいかない、というのは、古くさくも感じるときがあるし、歯がゆくもありますが、感情の自己表現を禁じられているわけではないので、嬉しいときや楽しいときにはそういう風に伝えることができます。
相手がいやがりそうな話題を出さない、というのは、単に、相手に対して礼儀正しくする、ということです。こちらが相手を好きだと思っていたり、結婚相手に良さそうだと勝手に思っているからと言っても、自分の妄想に、相手を巻き込んではいけません。自分の将来に、勝手に巻き込んでも行けません。お互いに準備ができたときに、わたしたちは、お互いの人生を考え始めて、遅くないのだと思います。
自分から積極的に行く、というのは、わたしにとって、相手をリードしなくてはいけない、というプレッシャーがあったし、わたしを好きではない相手に好きになってもらいたいという欲は、わたしを苦しくさせたし、自分を殺して、相手に合わせることを要求させました。自分を愛してほしかったので、そのためには、何でもすると思いました。
でも、それは、わたしのためにいいことではありませんでした。何でもは、してはいけなかったのです。自分の気持ちを守らないといけなかったのです。したくないことはしなくてよかったのです。
だから、ルールズは、わたしを相手に極度に合わせて、自分を殺させようとすることを、防ぎます。
わたしは、自然体でいて、流れに身を任せることを学びました。
縁があったら、次もデートができて、縁がなければ、できません。
自分らしくいられなかったら、誰かと一緒にいて、時間を過ごす意味もないのです。
自分らしくいて、楽しく過ごすために、誰かといるのです。無理をしたら、無理をする時間が長くなって、自分の人生をどんどん失って行き、それは、取り返しがつきません。
自然体でいて、気に入ってもらえたら嬉しいし、そうでなければ、お互いに縁がなかったのです。わたしたちは、お互いに既に完成していて、きっと、相手が望んでいるようには自分を変えられないでしょう。わたしは、相手の、欠点を含めて、ありのままに受け入れなくてはなりません。
それは難しいのですが、相手に自分を変えろと、常にプレッシャーを与えられていたらどうでしょう?それは、条件付きの愛、モラハラにあたるのではないでしょうか。
相手のペースに身を任せることは、自分の意思表示をしないことではありません。自分の意思表示は、常にいろいろな態度や、言葉で、できます。付き合っているんだよね、とか、結婚するんだよね、とか言う言葉は、自分の気持ちを表していることにはなりません。それは、欲を表してます。
あなたといると、楽しい、あなたといると嬉しい、ということは、気持ちを表しています。それが、相手のことを嬉しくできたら、もうけものです。結果的に、相手を喜ばせられたら、一緒にいる時間が長くなるだろうし、わたしが喜んでも、相手の喜びにならないのだったら、それは、一緒にいる価値がお互いにないということです。
自分がどうしたいのか、わかっています。相手の気持ちがわからないのです。
だから、相手のペースに任せて、進んで行くのは、相手の気持ちを信じて、受け入れることです。
自分では、それを受け入れると決めているのだから、自分らしくいる、というわたしの法則は失っていません。
自分から、相手にどうするの、これからどうするの、責任をどう取ってくれるのと、絡めるように迫ることは、相手を大事にしているとは言えないと思います。相手は、きっと、そこまで、私の人となりがわかっていなかったり、好きだと思う心を育てる途中だったりするので、そんな難しいことは、考えたくないと思うはずだと思うからです。
わたしだったら、そうです。
相手が、自発的に、私と一緒にいたいと願ってくれたとき、わたしの心と、相手の心が、一致するのだと思います。
ルールズは、相手が、愛情を育てるペースには時間がかかるということを、教えてくれていて、そして、うまくいかなくても、自分はとても魅力的だから、自分と知り合いたい男の人は山のようにいる、もっと良い相手が必ずいると、信じさせてくれる本です。