服を着る

服を着る、というのは表明だ。

自分が何者であるかということを示す。

パーソナルデザインで、客観的にみて、一番似合う服の選び方を学んだ。

それは必ずしも、わたしの好みと一致するわけではなかった。

しかし、扉が開いたと感じた。

コンプレックスをむき出しにされたと感じた。

隠したいのなら、自分で選べばよい、そうじゃないから、サービスを受けたのだ、と思い直した。

 

おしゃれは楽しいものだと長い間思えなかったのは自分に自信がなかったからだ。そんな自分をいい加減やめたかった。

 

鏡に写った自分は見慣れなかった。

知らないブランドの店をいくつも回っていくうちに、自分にふさわしいと思っていたものはちがったのだと感じ始めた。

 

布や縫製のよい服は、わたしの体を優しく包む。そういうことを知らなかった。店員は敵じゃなかった。

 

微笑んで、この服素敵ですね、と会話をすればいろいろなことを話してくれた。

 

 

そういうことも知らなかった。

 

 

様々な布や様々なパターン、色使い、質感、バランス、組合わせ。

 

 

それは冒険で戦いで、生きている感じがした。誰もわたしを見てないとしても、わたしがわたしを見ていた。

 

コンプレックスの部分だけを取り出してみていたのは、わたしだった。

 

わたしはコンプレックスから自分を許したくなった。

 

だから、服を着たい。

自分を好きになる、美しくみえる、今の不格好な自分を労る、服を着たい。

きれいで美しくて居心地のよいもの、色を塗った爪先や、ブレスレット、悲しくて辛いときに慰めてくれるものが、物質でもなんでもいいのだから、服だけを除外するのはやめたい。

 

 

自由になるために、学ぶのだから、服だって、やっぱりそうなのだ。

 

わたしは女の形をして、わたしでもあって、誰に何を思われても、やはりわたしで、どこにも逃げられない。

だから、逃げるのをやめて、堂々と、わたしでありたい。


腕を切りながら生きながらえる

入院したとき、腕を切り刻んでいる子に出会った。

医者は切るなとは言わなかった。

わたしも、切るのをやめてほしいと思わなかった。

切らないための100の方法を宿題にノートに書く日々を一緒に過ごした。

切るなと言われて切らないなんてできないことをそこにいたみんなが知っていた。

手首を落とすまで切ると不便だからその前にやめられればいいね、という話を笑ってしていた。

 

わたしは作文の書き方を教えた。

自分の気持ちを書くことを毎日した。

ある日、その紙を持って、彼女は家族と医者で話し合った。

家に帰らず、寮生活をすることに決まった。

それから彼女は切る衝動が減った。切ることは続けても、隠さず、消毒してもらいに、ナースステーションに通った。

 

わたしは精神不安定で、筋肉注射を打ってもらうことで、一日生きながらえるような日々だった。

いたくていたくてたまらなかった。

 

依存をして、薬を飲んで、時間を稼いで、問題に向き合うための体力を取り戻すために、休憩していた。

その時間は必要だった。

 

いつまでも、悲しんでいいと言われたら、きっとわたしたちは死んだ。死にたかったのだから。先が見えなかったから。その先が悲しみばかりだったら、生きている価値もないのだ。

 

切りながら、生きるすべを学び、生きるようになって、他に興味が向いて、生きる実感を取り戻して、解離から自分の体にたち戻って、その過程を通して、やっと、わたしたちは生きられた。

 

二度と会わなくても、共通点がなくても同じ日々を過ごした。

 

わたしたちは認められない存在であっても、わからないと言われても、わかりたくないと言われても、確かに存在している。

 

助けたくないなら助けなくてもかまわない。

でも、寄り添うということが、わたしたちには必要だった。

わたしたちは一緒にいることで、補いあい、治療しあい、日常に戻った。

 

自分を切り刻みながら、生きる方法は確かにあるのだ。

切り刻むことを手放す未来も、確かにあった。


シスジェンダーだけど性違和がある

Aちゃんと六帖さんと三人で、パーソナルデザイン診断とお買い物同行に行った。

そうして、AちゃんはIラインが似合う人だと診断された。そして服装を着ていったら、女性的なラインが非常に美しい女性として見えた。

でも、Aちゃんはそれがうまく消化できなくて苦しがっていた。凹凸のない体になりたいのに、まっすぐなラインの服を着ると女性的なラインが目立ってしまうから。

それで、家に帰ってから、ずいぶんいろいろな話をした。Aちゃんが笑顔になってほしいから。

Aちゃんが女性的な形をしていることを受け入れようが受け入れまいが、折り合いがつけばいいなあと思った。

わたしは、自分について、女性であることをあきらめられていると思っていた。

でも、そうじゃないことが話している間に、だんだんわかってきた。

わたしはラッキーなことに、小中学生の時から、性規範を押し付けられたら、たとえ専任の前でも主張することができる人間だった。

たとえば、標準服で女生徒がズボンを履けないことについても、全校集会で主張して、結果的に勝ち取った。途中で、教師にいじめられたり、上の学年の人に男女と言われたり、殴られたりなんだりしたけど平気だった。

わたしは、小さいころからアクティビストだった。周りの大人はそういうわたしのことを普通に受け止めてくれていたし、応援もしてくれた。地域の人を巻き込んで、話に行った結果、ズボンを履けないのはおかしいといってくれたし、学校にも言ってくれた。PTAでも話し合いが起きた。母は、わたしをサポートしてくれた。わたしの周りの女の子のグループ全体で、戦って勝ち取ったという成功体験だ。

今では、わたしの母校の生徒は、女生徒たちが好きなズボンを履いたりスカートを履いたり、選べるようになっている。

 

わたしは、性規範が嫌いで、自己主張することで、そのことと折り合いをつけてきたから、楽に生きている。そういうのも、環境に恵まれていて、ラッキーで、運が良かっただけだと思う。

 

 

男の子のだれがかっこいいと話したこともなかった。

中学生の時、子宮を取りたいと思っていた。

小学生高学年の時、胸が大きくなり始めたときは、嫌で、お風呂場で毎日泣いていた。

性器や陰毛が生えてくることもとても嫌で、自分を殺したかった。

でも、死ななかった。

成長するにしたがって、ボディが変わっていった。ボディイメージがコントロールできないことがたいそう苦しかった。

凹凸のない体になりたいと言ったAちゃんと話しているうちにそういうことを思い出した。

わたしは、性規範に対する違和だけじゃなくて、性違和も持っているんだな、とわかった。

一つ賢くなった。

性規範とはけんかできるけれど、ボディとは喧嘩できない。

妊娠してから、体が変わっていく。ホルモンの野郎が、勝手に私を変える。わたしはそれが嫌で嫌でしかたがない。

おなかに赤ちゃんがいるのだからと言われても、体が醜くだぶついていく様子を、「醜い」としか思えない。子供を持つ喜びで、まったく打ち消されることはない。

わたしの趣味は家庭的だと称されるものが多いが、そういう意識は全くなく、どっちかと言いうと手に職をつけることのできる、商売に結び付く趣味だと思っていたけど、人からそう見えないと知ったとき、面食らった。手芸が好きなのだ。

 

自分が持っている苦しさや大変さの一つに、「性違和」という名前絵をつけて呼ぶことができる。だから、わたしはそれを手掛かりにして、考える手綱が一つ増えた。

 

Aちゃんを笑顔にしたいと思って話し始めたことだったけど、自分の問題になって帰ってきた。

問題を解決しようとは思えない。しょうがないと受け入れることもまだできていない。

結果的にしょうがないと思えたらそれはそれで運が良いことだけど、そうじゃなくて、考えて、楽になるときが来るといいと思う。

楽になればそれでいい。

楽にならなくて、わたしが自分の体に違和感を持ち続けていたとしても、それでいいと思ってる。

少しずつ、考えを進めることができるから。

以前に描いたブログで「いつまでも悲しみを中心においているとよくない」ということを書いたら、ずいぶんと反発が来た。

わたしがそう考えていることとは変わらない。わたしは、つらいことと立ち向かうことと、悲しい悲しいと言い続けていることとは違うと思ってる。

違うつもりで書いたのに、「人にはプロセスがあるから、悲しい時はいつまでも悲しめばいい」と言われた。でも、一生悲しみたくない。悲しみたい人は一生やってればいい。

それと、考えていくことと、悲しみを楽しむ人とは違うと思ってる。

大昔に大変なことがあってそれをずっと大変だと思うのは、今現在それ以上に大変なことがないからだ。それは幸せなことだ。

わたしが自分のボディに違和感があるのは、今現在進行形のことで、「今」の話だ。

だから、違う。

今、わたしは、困ってる。

妊娠したから、加齢したから、どんどんボディが変わってく。ボディが憎い。嫌い。受け入れられない。見たくない。消したい。消えたい。

こういう気持ちとどうやって折り合いをつけるか、またはつけないまま生きていくか、どこに着地するのか、見てみたい。

性規範とは戦える。性違和とはどういう風に付き合うんだろう?

これから楽しみだ。

 


母は母。わたしはわたし。もう、傷つけられない。

中学生の時、生理痛がひどく、道端で気絶し、銀行に保護された。
救急車で搬送され、点滴を受けていたら、母親に胸ぐらをつかまれ、いくらかかるんだと思っているんだと怒鳴られた。

中学校では、早退を許されず、歩いて移動できなかったので、四つん這いで歩いた。
みじめだったので、生理の日は、学校を休ませてほしいと頼んだが、「生理がばれる。恥ずかしいのはあなた。わたしは這ってでも学校に行った」と言われた。実際に這ったわたしは、そういうの、やりたくなかった。

母は、わたしが成人してからも、家を出るまで、赤ちゃん言葉で話しかけた。風呂を上がろうとすると、脱衣所に来た。

そういうことに折り合いをつけられたのは、自分が大人になり、一緒にいる相手を選べ、もう、自分が傷つけられないとわかったからだ。
会わなければ、もう大人だから、傷つけられない。

会わないという選択肢が、ある。

自分の母との問題が分かってからも、わたしは主治医の前で母の言うことをオウムのように繰り返し続け、ほめたたえていた。
主治医はわたしに、「バリア」を作って、いい言葉だけを自分の中に入れるようにしなさいと言った。

自分の人生を奪われたことが悔しい、若い時代を奪われたことが苦しい、殺してやりたい、といったら、まだ若いのだし、気が付いた時から始めればいいのだといわれた。でも、全然納得ができなかった。

そうして、悔やみながら、もがきながら、過ごした時代は、過去のことを考えていたばかりで、そうしているうちに、現在も未来も、あっという間になくなった。具体的には母のことを考えているだけで、十年が経過した。
そうして、ようやく、母のことを考えること自体が、ばかばかしいのだと気付いた。

その後、父と半年暮らした。父が母を壊したのだった。

だから、もう、関係なく生きようと思った。

もがいている最中の時代を、むだで意味がないと思った。
でも、そうじゃなくて、もがいている最中に出会った人がいたから、人を信じ、愛することを怖がらなくなった。

むだじゃないといえる。
でも、わたしには無駄だった。もっと、いろいろなことをできた。可能性があった。可能性を悔やむ。
可能性を悔やむこと自体が、過去に対して考えることで、その最中にも、今という時間は消えていくのだった。それを主治医に指摘されても、どうにもならなかった。

母がしてくれたことはたくさんある。それでも、もう傷つきたくない。
あのころ、わたしは、たいへんだった。骨折をしても、病院に連れて行ってもらえなかった。

今は自分で行ける。

折り合いはついたのか、というと、ついた、とはっきりいえる。
わたしは今自分を生きている。
自分の選んだ人といる。
尊重されている。

わたしは壊れた親に育てられたが、壊れていない部分もある。壊れた部分があったとしても、それを受け止めてもらえる相手がいる。
その相手を選んだのも、わたしの力だ。
だから、わたしは、もういいんだ。
母のようになる可能性はゼロだ。
だってひとりではないから。もし、母のようになる瞬間があっても、反省して、見つめなおして、修正するだろう。
わたしは、自分を、信頼する。
疑いながら、それをバックアップしてもらえる環境を構築して、防ぐ。
だから、わたしは、過去のことを懐かしく、慕わしく、思い出すけれど、つらいことも、悲しいことも、ひっくるめて、もう、いい。

大人になったから、自分を守れる。
自分を守るのは自分。
もう、わたしは十分にもがいたのだ。


過去の悲しかった出来事に拘泥するのは依存の一種

反発を招くのを承知で書くけれど、そこまで悲惨じゃなかったけど本人にとってつらかった出来事を後生大事に抱えている人たちは、それにしがみついて、現実のたいへんなことから逃避しているように見える。

わたしは客観的にみて、比較的ひどい人生を送ってきたと思うけれど、そのために、いろいろなことを切り捨てられた。
俯瞰して見られるようになったので、もういらないや、と思ってからは忘れないでいるにしても、どうでもいい。

でも、どうでもよくないと、ずっと、抱えているのって、お酒で現在のつらさをごまかすのと同じで、過去のつらさで、今のつらさを見ないでごまかしているように見える。

わたしがつらかったから、ほかの人のつらさはたいしたことないとマッチョなことを言いたいわけじゃないんだけど。結果としてマッチョになるかもしれないんだけど。

すごく小さなころに「おまえがいなければ」と言われたことをたとえばずっと抱えていたとして、わたしだったら、じゃあ、そんな親、捨てちゃえば?と思う。

それをしないで、悲しい、心の傷、って言ってるのは、結構楽しいんじゃないかと思う。

わたしにも心の傷はないわけじゃなくて、PTSDの結果、できなくなったことは多々ある。
でもそれはそれとして、結構幸せに生きている。できる範囲でね。

目安として十年くらい悲しんだら、あきらめて、手放してもいいんじゃないかと思う。

わたしは、傲慢だから、以前は、わかりにくい苦しみについて、理解がなかった。今は結構あると思ってる。

でも、それにしても、親から受けた悲しさを、ずっと抱えているままなのは、もったいないと思ってる。
もったいないというか今を生きていない、というか。

うまくいえないけどさ。

こうしてほしかった、と思うのは、思うけど、でもないわけだから、あきらめたらいいじゃん。ってどうしてもやっぱり思う。

わたしはひどい目に遭ったから入院もできて、父親の屑さも目の当たりにできて、もうどうでもいいやと思えたから、ラッキーだった。

自慢みたいだね?

どうしても、過去の小さなこと(それはわたしから見ての話だけど)を後生大事に抱えていつまでも苦しがっているのは趣味みたいに見える。

それで、いいならいいんだけど、趣味だと割り切らないで、悲しがっている人はあまり好きじゃない。

みんな、さっさとあきらめればいいのに。できる範囲のことをすればいいのに。と思う。

過去の悲しいことをずっと考えているのは、やっぱりアディクションの一種なんじゃないかな。ちょっと気持ちいいし。悲しいこと考えているのって。

でも、そうして、過去に生きている間に時間は進むし、時間が進んだことに気が付いた時、それも、誰かのせいだってしていたら、まあ、誰かのせいかもしれないんだけど、結局人生の時間を減らして、後悔するのは自分なんだから、不都合な人間関係を捨てて、物理的な距離置けばいいのに、と老婆心ながら思ったりする。

(悲しみの必要なプロセスだとフォローしてるかたに指摘してもらいました。
わたしもそのプロセスは踏んでます。
プロセスの時間も長くてその時間がなければと悔しく思う。でもいつか終わらせなくてはならないとも思う)


苦しみという中身がなくなった後の空っぽを埋める

苦しみがある間は、現実を見なくていいから、ある意味で楽だ。

苦痛から逃れるためになにかに依存していると、それが問題になるから、現実を見なくていい。
でも、依存をやめると、現実が一気に押し寄せてくる。

仕事がない、孤独、家族がいない、そういうことと向き合わなくてはいけなくなる。
人間は弱いから、また新しい依存を探して、そのことで苦しむことによって、いろいろな現実から逃れることができる。
でも、それを繰り返していたら、豊かな人生はやってこない。

やっとの思いで依存をやめたあと、それからの地獄が長い。
自分で考えて、一つ一つクリアしていかないといけない。

わたしは、過食をしやすい。食べ過ぎて死ぬことはないから、比較的安全な依存だ。それでも太るからみじめにはなる。

過去のトラウマを見つめて、そこから離れようとすると、現実に対処しなくてはならなくなるから、安全な依存先を増やさないといけない。

いつまでも、過去に拘泥しているように見える人は、そうした苦しみから逃れたいのだと思う。

それは、生きる上で必要な場合もあるけれど、人生を狭めるので、勇気を出さなくてはいけない。その勇気は、継続が必要な勇気だ。

ずっと、あのことが悲しかった、つらかった、というのはもちろん当然のことなのだ。
でも、それをしていたらわたしの人生は終わってしまう。自分の人生を生きられない。

いなくなった人に対して、恨んでもしかたがない、というのは、別にえらいことでもなんでもなく、ただの生存戦略だ。
わたしは、恨んでも殺したくても、実際の世界では殺せないから、あきらめただけだ。

得になるかならないかで、自分の進路を決められるほど、わたしは強くないつもりだったけれど、自分の人生を生きたいという欲があるから、なんとか、バランスをとっている。


アセクシャルとアロマンティックの一面がある

わたしは、高校生のころ、恋愛にも性行為にも興味がなかった。知らなかった。無知だった。

興味がないから、調べる気もなかった。ほかの人と恋の話をしたこともない。

そういう意味では、成長の過程の中で、アロマンティック、アセクシャル的な過程があった。
その価値観はわたしの中で今でも根付いている。

だから、恋をしていたら、結婚をしていたら、子供を産んだら、幸せになる。恋をしなければ本当の幸せが分からない、というのは、間違っていると確信している。

今だって、パートナーの六帖さんのことは、大事に思っているし、愛してもいるけれど、恋はしていない。
六帖さんは、わたしのことを好きで好きでたまらない、恋をしているのははっきりしているけれど、その面では応えていない。

わたしの「好き」は「恋」という意味での好きと違う時もある。
もちろん、きっと「恋」をしているときもあったと思う。でも、感覚的に、恋愛にも性行為にも興味がない、という価値観に、親和性を感じる。

わたしの中には、まだ、高校生の時の自分が生きていて、それが、わたしの一つの側面である。

LGBは、恋愛を中心にしている。少なくとも、わたしに伝わってくるメッセージはそうだ。だから、彼らが、世の中に発信したい、一番のメッセージはきっとそうなんだろう。

LGBTとセクマイは一致していないというツイートを見た。本当にそうだと思う。

Tの人たちが、恋愛についてどう思っているのか、わたしには伝わってこないから、何とも言えないのだけど。

LGBTsといったときに、「s」と表現されている人たちは、付け足しなのだろうか。
彼らは、愛について、性行為について、胸中のメッセージを持てない。

恋愛至上主義に、置いていかれている気分がある。

もちろん、わたしは、恋愛至上主義に順応している。適応している。でも、はみ出している部分もやっぱりある。

好きな人がいる。でも、その好き、は「やりたい」「近づきたい」「依存したい」なのかどうかは、わからない。恋って、何かと聞かれても答えられない。

愛し合うことはきっと素晴らしいのだろう。でも、愛し合わないことも、愛し合わないまま、人と人とかかわりあっていくことも素晴らしい。そこには、恋は必然じゃない。
恋がなくても、人と人とは深くかかわれる。

わたしの高校生、大学生の時の、あのころの気持ちは、アセクシャルや、アロマンティックの人の気持ちを、わからないにしても、共感できる。

一人の人間の中にも、多様な矛盾した感情が渦巻いている。

一面的にはとても言えない。

シスジェンダー、ヘテロセクシャル、と思われている人も、セックスが気持ち悪いと思っている人や、セックスを怖いと思っている人や、恋をしない人もたくさんいる。

セクマイとセクシャルマジョリティの距離は、そこまで遠くないのではないか。

もちろん、自分について、どれだけ深く掘り下げたかで、話せることは違うのだろうけれど。

わたしの周りにいた女の子たちは、胸が大きくなることも、体が変わっていくことも、月経がはじまることも、喜んではいなかった。
おびえていた。


躁うつ病と自閉症と人格

頭から言葉が零れ落ちてしまいそうだから急いで書く。

躁うつ病も、自閉症も、思考や行動に影響を与える病気だ。
でも、善き人になろうとすること、それを心がけることが、病気への対処法だと思う。

躁状態になって、失言する人は、もともとそういう人だ。
気が大きくなって、普段思っていることが出てしまっているのだ。
だから、不断から、相手の事情を鑑みて、発言する習慣をつけていれば、躁状態になっても、相手の事情を考えて物事を言うだろう。
そうしたら、大きなトラブルにならない。
躁状態と一言に行っても、いろいろな躁状態がある。
わたしはうつ状態よりも躁状態のほうが苦しい。
衝動を抑えなくてはならないから。

焦るとき、行動したいとき、運動したいとき、アディクションに走るとき、さまざまな症状が出る。
楽しい気持ちになる人もいるだろうけれど、わたしは、自分を抑えるほうに力を使うので、躁状態のほうが苦しい。
今回の躁状態は、覚醒の度合いが非常に高いだけだ。

その前の鬱の波は、覚醒度が低く、寝たきりだった。

躁うつ病は波なので、躁状態の時と、うつ状態の時とは鏡合わせだ。
うつ状態の逆の状態が、躁状態になる。躁状態の時にしたことの反映がうつ状態に出る。

躁状態の時行動したら、うつ状態の時には何もできなくなるし、躁状態の時に、落ち着こうと努力していたら、鬱も軽く済む。

うつ状態も、自分の心の在り方を反映する。
自分のことをひたすらに考えている人間だと、うつ状態の時考えるのは自分のことだけだ。
だから、わたしは普段から、人の役に立つことを考えていたい。
それは、自分のためのことだ。病気に対する工夫だ。

生徒さんのことや身近な人を幸せにしたいと願いながら暮らしていると、うつ状態が襲ってきたときに、自分のことばかりを考えて落ち込むという状態は避けられる。人のことを考えられる。当たり前のことだけど、そのほうがずっと楽だ。
自分がどれだけだめなのか考え続けているよりも、どうしたら、人をより幸せにできるのか考えながら力不足に落ち込んでいるほうがよっぽど幸せだ。

そういう工夫で、鬱にも対応することができる。

人のことを考えることが、躁状態と鬱状態の波を、トラブルなく乗り切り、さざ波に変えてくれるのだと思う。
トラブルが起きたこと自体が、自分を動揺させる。人間関係も壊す。

壊していい人間関係と、壊してはいけない人間関係がある。
差別する人からは逃げてよいけれど、思いやりのある人を断ち切ってしまうと孤独になる。
孤独は毒だ。

もちろん、無邪気に踏み潰してくるやつにはどんな手を使っても、乱暴な言葉を使っても抗う。

ただ、それとは別のことを言いたい。

トラブルや失言、人とうまくやれなさを、躁うつ病のせいにする人がいるけれど、躁うつ病はただの渦だ。
渦の中に巻き込まれていたら、確かに、してはいけないことをしてしまうかもしれないけれど、心構えとして、渦を観察する気持ちを持ち、そこに、「渦があるな」と思うだけでも、ずいぶん渦に巻き込まれなくて済む。
渦の観察者になれる。観察者になると、何をしたら、工夫できるのかわかる。

そこに苦しみがある、病気がある、悩みがある、迷いがある、疑問があると自覚するだけで、苦しみは、自分の外になる。
自分の苦しみが当事者としての苦しみから、ただ、そこに苦しみがあるなと、観察する視点をおてるのだ。
そうすると、苦しみは生々しさを失い、遠ざかる。

わたしは、自閉症だから、人の気持ちを読むことはできない。そういう概念がない。読めるのか半信半疑だ。

でも、相手の属性を記憶して、それに合わせて、会話することはできる。
そうしたら。相手の踏み込まれたくない領域が分かるから、相手を嫌な思いにさせることが少なくて済む。
そういう工夫ができる。記憶して、対応する。その繰り返しで学ぶことができる。

どちらも、直すことのできない病気だけれど、自分が善き人間でありたいと願い、それを地道に何十年でも続けていけば、きっと、わたしの症状も和らぐ工夫ができると思う。

人のためにすることが、自分の病気を柔らかくすることの役に立つのだ。
周りの人にも、自分にも優しい解決方法だ。
これは、今日思いついたことだ。

ずっと主治医には自分の病気を観察して文章を書くことが、必ず人の役に立つといって、進めてきてくれた。
その成果が、今日出たと思う。

今日の話は、とても大切な話だ。


今が大事

大人になろうと決意したときが人生の始まり。

子供時代を嘆いている間は、子供。

過去のことに目を向けている間は、今を生きていない。
過去を悔やむだけ悔やみきったら、今を見つめないと、その十年後も、子供のままだ。
そうして、苦しい。

今、今を積み重ねることで、人生の楽しさが分かる。
大人になることは、苦しいことじゃなく、苦しいことから逃げることだ。
苦しいことを逃げれば、楽しいことがやってくる。自分で判断したことだったら、失敗も楽しい。
次に生かせると思えれば、それは、今を生きているということ。
過去の失敗を悔やむということは、過去を生きているということ。
過去を生きていても、時間は過ぎる。それは、人生を無駄にしているということ。

大人になるのは難しい。
年を取れば大人になるわけじゃない。
過去のことを整理して、もう、今には怒っていないことだという割り切りをして、かつ、それを糧にすることができれば、大人になれる。


雲が晴れた

友人と仲直りした。
謝ってもらって、わかってもらった。

セクシャリティをを尊重し、相手を思いやることが大事だということ、自分の中の子供をほめて、慰めていくことが大事だとわかってくれた。

分岐点があって、暗黒面に浸って、こんなに不幸だと嘆く人生も選べるし、逆に、良い面を見ることを決意することもできる。

良い面を見ることは、とても厳しい道だ。人を恨むのをやめるということだからだ。
自分に起きたことを受け入れて、自分の選択に責任を持つこと。

それが大人になるということだ。

子供のままだと、いつまでも、誰かのせいにしながら生き、満足するということがない。
だから、いつも不満をもって、口元もだらしなく、落ち込んでいく。

そうした人生を歩みたいのか、そうではなく、自分自身で、どういう生き方を選びたいのか、決めなくてはならない。

つらいことがあっても物事の良い面を見るのはきついことだ。
自己憐憫に落ち込んで、いつも誰かを待っているのは何もしなくてもいいから楽だ。
そして、誰かの善意を吸い込み続けることになる。
誰かが手を差し出しても、当たり前のように感謝もせず、ただ、人の心を吸い込んでいくだけ。
だから、人は疲れ果てて、どんどん、離れて行ってしまう。

良い面を見るということは、能動的なことだ。物事の解釈を変えて、過去に終わりを告げることだ。
今にフォーカスして、今幸せなのだ、ということを発見していかなくてはならない。

それには、責任が伴う。自分自身を生きるには、責任を自分でもつ、選択の結果をすべて自分で受け入れる、人のせいにしないということだ。

人のせいにするのは楽だ。自分を悪者にしなくていいから。

自分と向き合うのは自分の心を見ることだから、苦しい。でも、必ず見方が現れる。

短期的な損得ではなく、長期的な自分のためになることを選択し続けていけば、魅力が出てきて、人が集まる。
人が集まれば相談もできる、頼ることもできる。

一方的に誰かの善意を搾取するのではなくて、助けのやり取りを交換できるようになる。

友人の雲が晴れて、よかった。
また、いざこざがあるかもしれない。でも、それもいつか、解決されるだろう。