「ありがとう」という言葉の軽さ

さっき、赤ちゃんのミルクの時間になったけれど、めんどくさいなと思っていた。
そしたら伴侶がミルクを入れて赤ちゃんに授乳してくれた。
わたしは「ありがとう」と言った。

それで、思いついたのだけど、わたしは、やりたくないなと思っていて、やってくれたらいいのにな、と無意識に待っていて、そのめんどくささを、「ありがとう」で打ち消したならたいそう卑怯だなと思った。
普段、「今面倒だからお願いします」というか、もしくは、お互い何も考えずに自分で行動するかする。
でも、ありがとうという言葉を悪用して相手を操作したり、頼むというめんどくさいことからも逃れて、やるべきことをしないことを「ありがとう」で隠ぺいすることだってできるなと思った。

わたしは、「ありがとう」ということはとにかくいいことだ、という風に言われて育った。
でも、ありがとうには、二つ悪い点がある。
ありがとう、という言葉を適切に使わないと、立場を弱くして、自分を卑屈にする。
相手がして当たり前のことにありがとうと言っていると、相手が当たり前のことだと思わなくなる。

そして、自分がありがとうで済ませる人間になることもある。
めんどくさいことを人にやらせて、ありがとう入っているから悪い人間じゃないんだよ、みたいに。

めんどくさいことを人にやらせて、ありがとうで全部帳消しにしてしまって、でも、どこか卑屈な気持ちになって、どんどん自分が嫌になってしまうような、ありがとうの使い方は気を付けようと思った。

ありがとう、ごめんなさい、の代わりに、助かった、でもいいし、次からはしません、こういう風に気を付けます、という風に言葉を惜しまず話したい。ありがとう、ごめんなさいは、言いさえすればいい、魔法の言葉みたいになって、いろいろな事情をショートカットしてしまって、自分の気持ちも相手の気持ちも見えなくする。端的に言って、心の動きに関して、言語化することがおっくうになって怠惰になってしまう。

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