常識を疑わない人々

学力の上位層は、試験が得意だ。
体力があって、試験が得意で、家がお金持ちだと、常識を疑う機会が少ない。
常識通りに生きていけばうまくいってしまう。
だから、内部に生じる葛藤に気付きにくく、それが表面化することもないので、解決しにくいんじゃないかなと思った。

年々、そういう人たちとは、話が合いにくくなっている。特に、体の丈夫な人とは話が合わない。

しんどいのレベルも、実家が嫌だというレベルも、体調の悪いレベルも、何もかも合わない。
ライフステージの進み具合が異なると、話が合わない。
また、「自分が話して」「相手が話す」という順番を飛ばしてしまう人とも付き合いにくい。
「私今こうなんだ」
「私のほうがもっとそうだよ」みたいなのとかね。
話を聞いているようで、自分のターンにもっていってしまう人。
順番に話せばいいと思うんだけども。

日本のヒップホップの人たちが「親に感謝」ばっかり言うのは、それが当たり前じゃないからなんじゃない?とふと思った。
わたしはああいう「味噌汁いえーい」みたいなノリは嫌いだったんだけど、ふと、「もしかしてそういうのが当たり前じゃないから、だから歌ってるのかな」と思ったりして。
私の周りは親孝行がデフォルトだから、親を捨てるのがたいへんだった。でも、親を捨てるのが前提な人たちにとっては「親を大切に」「親に感謝」「お前に感謝」がむしろたいへんなのかもしれない。

身を固めろというのがうっとおしいと思ってたけど、あれも、「親離れ」は早いほうがいいという意味もあったのかも。
親から離れるためには、親が元気なうちじゃないと捨てにくい。
親に介護が必要になったら、もう、親を捨てることが難しい。
親を捨てるのは、親が自立して暮らせる間だけだ。元気なうちに捨てて、実績を作って、「子供を出産するような大変な時にも交流がありませんでしたよ」と言って、わたしは、親の介護を回避しようと思っている。
でも、親が元気な時に頼って、交流があって、いざ、倒れてから、「やっぱり捨てる」というのは、わたしには難しいことかもしれない。
それだから、早いうちに家庭を持つという表現が、必ずしも良いとは限らないとしても、家庭を持てば、親も、口を出しにくいという一面があったのかもしれない。
一人暮らしだと、一時的なものだと思われて、帰ってこいと言われてしまうから。

だんだん、親を捨てたことも含めて、話が合わない人も増えるんだろうなと思う。
それもまた自然なことだよなと思った。

c71の著書

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