躁状態とバッグの作成。授業での差別の話

昨日までは、一日中寝ていたのに、今日は、午前三時までしか眠れなかった。
しかも、短時間で目が覚めることを繰り返した。

その代わり、革細工のバッグを作った。
うまくは作れなかったけれど、久しぶりに手を動かせたので楽しかった。

躁状態でも、あまり言動は変わらないのだけど、睡眠時間と行動力と焦りに出る。
人への接し方はほとんど変わらない。

薬でコントロールしているから。
薬はとても助かる。補助になる。

生活になくてはならないものだ。
それを依存という人もいるだろうけれど、エレベーターやエスカレータを使う人を依存しているというだろうか?
眼鏡をかける人を依存しているというだろうか?

それと同じように薬のことを考えている。

薬を飲めなかったら、バッグも作れなかったし、働くこともできない。
それは、社会的な損失だ。

昨日は情緒不安定になった。
こういうことはあまりないので、ホルモンバランスが狂っているのかなあと思った。

わたしのポリアモリー的な部分は相変わらずだ。
愛があふれていて、人のことを好きになるのが容易なのだ。
人に興味がある。

今回も六帖さんの気持ちを最優先に考えながら、一番いい方法を見つけられたらいいなと思う。

生活を一緒にしている人の気持ちが一番大事だから、誰が一番好きということじゃなくて、大事にしたい。家族だから。

今日は、中一の学校をボイコットしている子に、右翼と左翼の話をした。
家父長制と天皇制はつながっていて、天皇を父として、男性が家の中で一番偉いとする考え方で、儒教から来ているものだと。

差別は、制度化されたいじめだということも話した。
女性の賃金が半分だから、生活のために、嫌な人とでも結婚しないといけないことは、世の中に女性がいじめられているのと同じだということも話した。

差別のことが分かっていると差別してしまったときに謝ることができるということも話した。世の中に組み込まれている以上、絶対に差別をしないとは言い切れない。
だから、差別を指摘された後の態度が大切なのだという話もした。

いじめと同じだから、いじめられたほうは悪くない。いじめられたら不幸になる。
不幸になるけれど、考えるから、いじめたほうよりも賢くなる。
だから、差別されている人のほうが物を考えているという話をした。
わたしはもちろん、左翼だ。
右翼になっても、いいことが何もないから。被差別側なのに、右翼になってもメリットが何もない。
右翼とはナショナリズム。家父長制。わたしはおんなだから。

日本は、いまだに東北大震災の人たちを仮設住宅に住まわせている。
それは、東北を日本だと思っていないからだ。
日本は首都圏だけを日本だと思っている。
だから、熊本も、鳥取も、震災の復興が進まない。
それも差別だ。

それを話したら、完ぺきに理解していた。あの生徒さんは、日本にとどめておくには、惜しいと思った。

世の中に疑問を持つことが賢さの尺度だとしたら、世の中に適応している人は幼い。
疑問を持たないから適応できているのだから。

多くのOSN(おっさん)が、自分の生活の面倒も見れず、子供っぽいのは、疑問を持たなくても生きていけるからである。

c71の著書

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