雲が晴れた

友人と仲直りした。
謝ってもらって、わかってもらった。

セクシャリティをを尊重し、相手を思いやることが大事だということ、自分の中の子供をほめて、慰めていくことが大事だとわかってくれた。

分岐点があって、暗黒面に浸って、こんなに不幸だと嘆く人生も選べるし、逆に、良い面を見ることを決意することもできる。

良い面を見ることは、とても厳しい道だ。人を恨むのをやめるということだからだ。
自分に起きたことを受け入れて、自分の選択に責任を持つこと。

それが大人になるということだ。

子供のままだと、いつまでも、誰かのせいにしながら生き、満足するということがない。
だから、いつも不満をもって、口元もだらしなく、落ち込んでいく。

そうした人生を歩みたいのか、そうではなく、自分自身で、どういう生き方を選びたいのか、決めなくてはならない。

つらいことがあっても物事の良い面を見るのはきついことだ。
自己憐憫に落ち込んで、いつも誰かを待っているのは何もしなくてもいいから楽だ。
そして、誰かの善意を吸い込み続けることになる。
誰かが手を差し出しても、当たり前のように感謝もせず、ただ、人の心を吸い込んでいくだけ。
だから、人は疲れ果てて、どんどん、離れて行ってしまう。

良い面を見るということは、能動的なことだ。物事の解釈を変えて、過去に終わりを告げることだ。
今にフォーカスして、今幸せなのだ、ということを発見していかなくてはならない。

それには、責任が伴う。自分自身を生きるには、責任を自分でもつ、選択の結果をすべて自分で受け入れる、人のせいにしないということだ。

人のせいにするのは楽だ。自分を悪者にしなくていいから。

自分と向き合うのは自分の心を見ることだから、苦しい。でも、必ず見方が現れる。

短期的な損得ではなく、長期的な自分のためになることを選択し続けていけば、魅力が出てきて、人が集まる。
人が集まれば相談もできる、頼ることもできる。

一方的に誰かの善意を搾取するのではなくて、助けのやり取りを交換できるようになる。

友人の雲が晴れて、よかった。
また、いざこざがあるかもしれない。でも、それもいつか、解決されるだろう。

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