デブを気にして

デブを気にしてかなりの時間がたっている。
ダイエットには挫折しまくり。

デブだということを気にしている時間がもったいないという気がしてきた。
太っていてもわたしは自分のことを機にいることができるんじゃないか、そのほうに頑張ったほうがいいような気がしてきた。

サイズの合った服を着れば、みじめにならなくて済む。

最近はツモリチサトが大好きだ。サイズがゆったりしているから。
古着で買っているけれど、出品する方は、きれいなものを出してくれているので、失敗したことはない。
サイズを聞いていても、会わないことはあるけれど、そうしたら、痩せたときに起用と思う。

ダイエットは長期戦だ。カロリーを減らせば、必ず痩せるのだけど、それがなかなか難しい。

昔と違って、ドカ食いもしないのだけど、薬の副作用で太りやすい。

精神的に安定したことによって、摂取カロリーが減った。

生きるためのエネルギーを仕事のために使いすぎていた時、何とか動くために、刺激を欲して食べていた。
食べることで補っていた。そうしないと、働きに行くほどのエネルギーがなかったから。

でも、今は無理せず働くことができるようになっている。

無理しないで、とよく言われるし自分でもそう思うけれど、「無理をしないで済む環境づくり」をするために、何年もかかったわけだ。

わたしは最初うつ病だと診断されていたから、正しい診断にたどり着くまでにも何年もかかった。

正しい薬じゃなかったから、過食衝動を抑えられなかった。

今はそういうことはない。

元気だと、依存して、それにすがらなくても生きていける。元気じゃない間は何かに依存することで、何とか生き延びようとしていた。

その結果太ったのだとしたら、わたしは生きるために太ったのだから、そのことを恥じる必要はない。

わたしは最善のことをしてもがいたので、太った。

周りの人は私のことをかわいいだとか、魅力的だといってくれる。

人は全体を見るから、太っているかどうかよりも、魅力があるかどうかで見てくれる。

欠点よりも先に長所を見てくれるのだ。

デブだから駄目だと苦しんでいるのは、わたしの中の問題で、ほかの人は気にしていない。

気にするのをやめたら、どんなに世界が広がるだろう。

おしゃれをしたり、おいしいものを食べたりすることで、とても幸せになる。
幸せだと、依存しなくても生きていける。
元気がある。

無理をしていたころの後遺症で、今はなかなか元気が出ないけれど、デブだから、醜い、という自動思考をいつか無理せずやめたい。

c71の著書

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