自分の中の子供を助けることができる、教師という仕事

教え始めてから、二年目まで教えていることが苦しかった。

生徒の未来や環境に嫉妬したり、自分の子供時代を思い出して苦しかった。

輝かしい子供の肌を見ると、まだ何も経験していないことがうらやましかった。

それでも、だんだん、子供はどれだけの苦しみを抱えていても、逃げられないのだということが身に染みた。

理不尽な大人や、親から逃げることができない。環境も変えることができない。

それを間近で見るにつれ、どれだけ恵まれたように見える子供でも、重い苦しみを背負っていることがわかった。

わたしにできるのは「まし」な先生でいることだけ。

そう思うようになった。

勉強に完璧はない。世界の事柄でわかっていることは少ない。わたしにできることもとても少ない。

ベターな先生になることも目指したことがあったけれど、それも難しいことだった。

苦しみを解決することもできない。そんな力はわたしにはない。わたしにないだけじゃない、誰にもない。誰も、他人の苦しみを背負えない。解決もできない。

わたしにできるのは、未来の選択肢を見せることや、寄り添う姿勢を見せることくらいだった。

相手の気持ちはわからない。自分と他人ははっきり違うから、自分の経験からの類推でこんな風じゃないかとまでは思うけれど、正確に、苦しみの重さも、深さも、やっぱりわからないのだった。

機械的に同じことを教えていることもできた。機械的に永遠に、中学校や高校の教育課程の輪の中にいるのだろうか、と絶望的な気持ちになったこともあった。

機械的になるのではなくて、不完全な大人として、一緒にいること。それが「まし」な大人でいることだと思った。

技術よりも、元気そうに笑うこと。笑い飛ばして、何でもないと思うこと。それが大事なのだった。

自分が平気そうに笑っているうちに、本当にいろいろなことが平気になっていった。ああ、たいしたことがないと思った。それよりも、目の前にいる生徒さんの苦しみのほうが「今」の出来事で、一大事だった。わたしの過去の苦しみは「過去」のことで、もう終わっていて、どうしようもない。どうしようもないだけじゃなくて、手出しができない、言い換えれば解決しているのだった。

今の出来事に目を向けていく、ということを毎日していくうちに、過去のことを思い出すことが次第に減っていった。

「こんな大人がいたらいいな」と思っていた大人に少しずつ自分が近づいていけるような気がした。それはとても遠いけれど、少なくとも「目指している人間がいる」ということは、わたし自身にとっても救いだった。自分の中の子供が、「ましな大人になろうとしている大人」を発見できた。その発見が、わたしの中の子供を満足させた。過去のわたしが、ましな大人になろうともがいている現在のわたしを見て、ほっとした。今、困っている現実の子供を助ける大人がいる。助けようと志を持っていることを見て、納得して成仏していくような感じがした。

困っている子供や親御さんを助けたいと願うのは、わたしがいい人だからというわけだけでもない。
自分自身を助けるためにやっている。わたしの善意が存在している間は、世界にも善意があると信じられるから。わたしが誰かに新設にしたいと願っている間には、世界には善意が存在していると、確実に思える。わたしが安心して生きるために、わたし自身の善意が必要なのだった。どこにも「よい人間であろうとする人」がいないと思えば、世界は真っ暗になってしまう。でも、わたしが努力している間は、少なくとも、一人はそういう人間がいると、わたし自身に証明することができるのだった。

自分が屈辱を受けたり、苦しんだりしたときと同じような状況の生徒さんの話に耳を傾けていると、子供のころのわたしが、「ああ、話を聞いてもらえた」と感じる。わたしの子供時代が救われていく。わたしができるのは、耳を傾けて、未来には自由になれる、ということを話すことだけだけど、その話を自分自身でも聞いている。未来には、住む場所も過ごす相手も、家族も、選んで作り出せる。

未来を作り出すために、勉強というのは大きな武器だ。わたしは武器を手渡しながら、すさんだ世界で戦う準備を備える手伝いをする。
わたしはすさんだ世界で生きている。大丈夫、わたしは今生きている。
過去のわたしもよく頑張ったから、わたしは今生きている。

すさんだ世界で生きる意義を、子供たちが与えてくれている。
だから、わたしはいい先生ではないけれど、「まし」な教師を目指すことができる。

c71の著書

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