昨日からのは、怒ってるのじゃなくて、悩んでいたみたいでした。
だから、元気がなかったみたいです。
強さについて悩んでいたけれど、愛がある言葉だったら、受け入れられるし、そうじゃなかったら、そうじゃない気持ちを受信するってことなんだとわかりました。だいたい、近くにいる人じゃないとその人がどういう人かわからないしね。
元カレは、地震があってもわたしに連絡せず、ツイッターに書くのが先の男でした。
今の彼氏は、真っ先にわたしの心配をしてくれる優しい人です。
元カレと別れたときにはずいぶん引きずったし、あんなに面白くて話の合う人はいないって思い詰めていたけれど、今となると、そんなに面白かったっけ?才能があるってほんまかいな、話も合わせていただけで合わなかったような気がするし、優しくないし気も合わなかったんじゃないかなあ、好きだったから気にならなかっただけで…と思います。時間を五時間遅れて、来る、そして、連絡を三ヶ月くらい断つ、ってのを三年間くらいされたのに待ち続けていたわたしも大バカだなあと思います。
さっさと別れる方が良いよ!別れた後も引きずるなよ!
でも、引きずったなりに、その間も恋愛、恋愛っていうか、男に対して前向きだったのは褒めたい。
大々的に褒めたい。それで、あれより優しい男はいないと思い込んでいた狭い世界から出られ、優しい男を発見できたのだから、引きずりながらでも無理矢理でも恋人を募集していた心意気、前向きさは、評価できる!
今回はダメだったけれど、次回はうまくいくかもしれないって思ってたわたしはとても偉い。
男と遊びまくって、ダメな男の振り切ったところと、普通の人の普通の親切、を目の当たりにできたのは良い経験だった。
すごい優しい、って思った人の優しさは普通だった、という経験ができたのは良いも悪いも、普通を底上げすることにつながった。
ひどい男ばかりじゃないんだね、ってわかった。
そして、優しいと思っていた男は、ダメな男の振り切ったところに限りなく近かったことがわかって良かった。
男のことを人間だと思っていない節が、わたしにはあったのだけど、男もちゃんと人間だった。人間らしいところも持ち合わせていた。感情も論理的思考も持ち合わせていたし、偏見だけでなく考える力もある人がいた。
わたしが、男のことを人間じゃない、と思ったのには経緯があったのだけど、そういう深い不信を和らげることができたのはとても良い経験だった。特別良い人じゃなくても普通の男でも普通だった。
男も人間だから、女を顔やスタイルだけで選ばないし、女らしさや家事能力だけでも選ばないんだなあ、と思った。
当たり前のことかもしれないけど、これは発見だった。男は顔やスタイルや言うこと聞く人や、従順さや、女らしさや家事能力を重んじていると思っていたので、すっきりした。
男に対する怒りが減った。
男はどうせ顔で選んでるんだろう!ってのは偏見だった。
今思うとばかばかしいし、自分でも言葉に出しては思っていなかったけれど、そういう風にどこか、中心近くで、信じていたのだ。
いろいろ経験して、平均がわかったのはとてもよかった。
平均がわからないと、そいつがどのへんなのか、判断できないから、自分を大事にするって、闇雲に言って、自分の殻に入る、ってのは結局自分に優しくできてない。
最初から見る目がある人なら良いけど、そうじゃない人は平均を知るのが一番良いと思う。
優しい男と出会ったことがなく、優しくされたこともないから、狭い世界の中で、比較的優しい(乱暴をしない)人のことを優しいと思い込んでいただけじゃないのかな、と思います。
わたしは優しい男の優しさって何か知らなかったよ!!!!!
意味なく不機嫌にならないとか意味なく会話しないとか仕事の話をしてくれないとか悩みとかも話してくれないのって、わたしに問題があってそうだと思ってたけど単に向こうに優しさがないだけだった、という。わたしにも優しさなかったと思う。他の人には優しくできるんだから。
つまりは相性の悪い組み合わせだったのだ。
わたしは狭い世界でしか人を知らなかったから、優しいの閾値が低くて、結果的に自分を大事にできなかったみたいです。
最初から人を見る目がある人は良いけれど、わたしは、そうじゃなかったから、いろいろ痛い目を見ることもあったけれど、いろんな人と関わって、その代わりに人の優しさを知ることもあって良かったと思います。
そして、わたしは理屈っぽいけれど、それで自分を守れているところがあるから良かったと思う。時間はかかっても、自分に対して、公平に、理屈で言うと、あれは、自分に対して不当だった…、と思えたから、抜け出せたのだと思います。
別れるってことはだめだった、ってことで、それは認めるのがとても大変だけど、認めようが認めまいが、別れる前には戻れないし、だいたい、戻らない方が良い。何かの間違いで付き合うことはあっても、何かの間違いで別れることはそんなにないと思うから。付き合うのは簡単だし、別れるのも簡単だけど、でも、別れる方が気持ちはつらい。そんなつらい思いをしてまで別れるのだから、やっぱり、その決断は自分を守るために正しいんだって、思う。
別れないと自分がなくなってしまうような付き合いはやっぱり、正しくない。
正しくない、って言い方が悪ければ、自分に優しくない。
自分のことを愛するのは難しいけれど、人に優しくするのと同じような感覚で、自分に対しても、親切にするのは良いことだと思う。そう言うことを繰り返していくと、だんだん、周りに良い人が集まって親切にしてくれる。
親切にされると、他人に親切にしても、すり減らなくなる。
すり減ると、恨みがたまって、自分に優しくできなくなって、消え去りたくなる。
消え去りたくなってもなかなか消え去れないから、苦しみが生まれる。
だから、自分に対して親切にした方が良い。
わたしは、けっこう、つらい中でも最善のことをいつもできるんだな、えらいなーと思います。
待ってても良いことはなにもきやしねえ、誰もわたしのことを考えて動いてくれたりはしない!!!!って確信がある。絶対にある。
自分を出していかないと良いことなんて起こらない。自分を出したせいで悪いことが起きてもしかたがない。自分を出さないでいても悪いことは起きるし、おまけに、良いことは来ない。
面接の練習で、自分の意見が言えるか、って項目がある。言われたことをただやる人は、言われたことも十分できない。なぜなら、その人にとってもわからないポイントを聞けない人だから。言われたことは何でもできると思っている人は傲慢だと思う。わたしは、言われたことはできないから、そう思うのかもしれないけれど。
自分を出すのは悪いことじゃない。相手が望む人を出してあげることはサービスにならない。
営業をやっていて思うのは、相手の顔色をうかがっていると、売れない、ってことだ。
自分のペースでこれは心から勧められるって思っていた方が、うまくいく。
それがわかってから、ずいぶん人生が楽になった。
自分を大事にすると、良いことがある。
他人に対してアピールをする、売り込む、プレゼンテーションをするってほどじゃないにしても、自分の自然に振る舞う様を見て、良いと思う人がよってくるのは、自分にとって楽なことだ。
自分が、自分を封じ込めて、当たり障りのない感じになって、無理をして、合わせているときによってくる人は、自分を利用して、言うことを聞かせようとする人だ。だから、そういう人たちといても苦しかったり、搾取されたりするばかりだ。
自分が自然に振る舞っていると、叩かれる。それは否定しない。だから、自分の普通でいるのが怖くて、自分を封じ込めている人はたくさんいるように思う。だけど、自分を封じ込めていて、他人の言うことを聞いていればいるほど、他人は、こいつは何でも言うことを聞くのが当たり前だ、って思うようになって、要求が過激になる。そうして、疲れてしまう。普通、が当たり前の世界にいるとちょっとでもはみ出したら、それをいつも裁く気持ちになってしまう。他人のことも裁くし、自分のことも裁く。裁かれるし、裁くという関係になる。
自分もいつもびくびくして過ごすものだから、はみ出している人が憎く見えて、叩き始めてしまう。そして、自由な人が気に入らなくなる。
でも、それって、ばかばかしい話で、最初から自由にしていたら、誰かを攻撃する必要もなく、気の合う人と楽しくいられる。それは向上心がないってことじゃ全然ない。攻撃されてもされなくても自分の中心を保つ、ってことはとても大切なことで、大事で、難しいことだから、自分をより、高めるってことじゃないにしても、向上心とは関係あることだ。
自分を愛せないと人も愛せない、って言葉はわたしにはハードルが高すぎた。
だけど、人に対してすることと同じくらい、自分に甘く、自分の事情を考えてあげ、親切にする、って風に考えたら、わたしの場合はうまくいくことがあった。