相手が欲していないことを押し付けることと二次障害の話

相手が欲していないことをよかれと思っておしつけてしまうことがありました。
とても反省しました。
なぜならば、相手の境界を侵害することだったからです。

「これをしてほしい」と頼まれて、嬉しくてそれ以外をしてしまったのでした。
相手を戸惑わせたことを伝えてもらえて良かったです。
これからは気をつけようと思いました。

話は変わりますが、既婚者女性に、マウンティングされたなあということがありました。
専業主婦だから、とか、旦那さんが家で待っているから帰らないといけないとか、雑誌を見ながらここに載っている店、だいたいいったことがある、とか、話が広がらない話題が多くて、あきれました。

そして、そのときはただそう思ったのですが彼氏に話したところ、その話を聞いて、そっかー、そう思ったんだねえ、と相づちを打たれて、ああ、この人相づち打つのうまいなあと思いました。

わたしは、悪口を言ったわけですが、わたしの気持ちに必ずしも賛成じゃないのに、否定せず話し聞いてくれてありがたいなあ…、と思いました。

わたしが欲していること(話を聞いてほしいこと)をしてくれたわけで、そういうことをしてもらったので、ああ、こういう風にすれば良いんだなあと学びました。

してほしくないことをされて、自分はこうしないようにしようと学ぶよりも、してほしいことをしてもらって、こうすればいいんだ、と学ぶ方が、楽だし、気分がいいなあと思いました。

マウンティングもそうだし、あいづちの話もそうだけど、相手の境界を大事にしていたら、ストレスって大幅に減るから、境界のイメージを大事にすることで、二次障害って減らせると思います。

あと、マウンティングするのって、他人が必要な時点で弱いよなと思いました。関係ないけど。だから、そういう弱さを他人に対して攻撃という形で向けるのって洗練されてないなあと思います。

相手の境界を侵さないし、自分の境界も侵させない。
このルールを守ることで、二次障害からかなり逃げられると思う。
そして、社会経験もきちんとつめると思う。

ツイッターのTLで二次障害についての議論があったのですけど、二次障害になったらしかたがない、恐れすぎて何もしないで社会経験をつめないことも困る、二次障害になってから考えれば良いという意見がありました。

わたしは二次障害が精神疾患、って意味だったらこの意見に反対です。
精神疾患になったら、考え方が歪みやすくなるから、考える力自体が減少してしまうから、あまりなんとかならないと思っています。
すごく時間がかかるから、その間社会経験積みにくいし。
精神疾患から得た経験っていうのもあるし、自分でそれは否定できないですけど、健康でいることで得られる経験もたくさんありますからね。

まあ、二次障害になれ、って意味じゃないから、わたしの言うことが見当違いなのかもしれないですけど。

でも二次障害になってから考えるってのはけっこう難しいんじゃないかなと思うので、予防医学は大事だと思います。
科学が好きですわたしは。
精神疾患については予防がとても有効なはずです。

精神疾患になったら、治るときもあるけれど治らないときもあり、治療中は病気という体験はできますが、社会経験は積みにくいからです。ごはん食べたり寝たりするのを頑張る、ってのを社会経験に入れれば社会経験ですけど、普通そうじゃないですからね…。

わたしはここ一週間くらい、睡眠障害がひどく、一日三時間くらいしか寝られないので、手のひらにアトピーが出て、切れていたいし、つらいです。

二次障害になったらなったで考えると言いますけど、具体的な、不眠にできることって特になくて、我慢するの一択なんですよね。睡眠薬万能じゃないから…。

病気は治せるものだと思っている人からはびっくりするかもしれないんですけど、病気のかなりの量は治らなくて、楽にもならなくて、がまんするだけ。
我慢するのは体力使うので、なにもできない≠休んでいるわけじゃない。

だから、そのとき考えれば良い、といっても、できることも考えることもできないし、考えたところで、なにかできることって特にないんですよね。

PTSDは比較的治療しやすいですけど、死ぬほどしんどいし。
死んじゃう人もいるし。
そこで、考え方を変えたら良いとか、自閉症スペクトラムの人は、ぐるぐる考えやすく自家中毒になりやすいと言っても、トラウマに対する反応がそうだし、特性がよりそれを強化するんだったら、その特性を知っていても、どうすることもできないし、特性を知らない、未診断の人(以前のわたし)はなおさらどうしようもないんじゃないですかね…。

そして、トラウマの原因になることって、女性の発達障害だと、性的に利用されてレイプされるとかの危険性もあるし、そういうのって、やっぱり社会経験と関係なく、しなくていい経験だったりするので、性的に搾取されることばかりじゃないにしても、しなくていい経験のせいで二次障害になるんだったら、防ぐ努力をした方が良くて、むやみに制限するとか、そういう話じゃない気がします。

二次障害になるのって、しないといけないことをしたせいで、二次障害になることもあるのかもしれないけど。二次障害を防ぐために、義務を果たさないとか、やらないといけないことから逃げるイメージはあまりないんですよね。二次障害を防ごうって言ってる人って、そういう意味で言っている人いないとおもうし。

合わなくていい目にあって、理不尽のせいで傷を深めることって多い気がします。
あと、もともとの精神的体力があれば理不尽にあってもはねのけやすいから、普段から削られる方面に行く必要がない。精神的体力を温存しておいて、自分に肯定的でいて、境界線を侵さず侵されない振る舞いをしていたら、精神疾患にはなりにくい気がしています。もちろん、みんながあてはまるわけじゃないけど…。

わたしは社会的なことに比較的興味がある自閉症スペクトラムの人だと自分を思っているし、社会に溶け込みたいと願っている量もある方だと思っています。
だから、精神疾患になりやすかったのかもしれない、って意見の可能性を思いついたときに、だからそうかとも思ったし、そうじゃないんじゃない、かな、と思いました。

なんていうか、自分がしたいことを塞がれても二次障害になる気がするんですよね。
だから、二次障害を恐れない、って意味、すごく難しいと思うんですけどやりたいことをする、ってことで、二次障害を防ぐこともあるんだと思います。
だから、二次障害の心配をしすぎて、社会経験を経ない、ってことは当たっているような当たっていないようなことです。

自分のやりたいことをしていて二次障害になることってあまりなくて、わたしの場合ですけど向いていないことはそもそもあまりないので、やりたいことをやっている間はいやな思いをしていても、やりたいことをしてる、って喜びがあるからダメージにはならなくて、周りにこれは無理だとかこれはしない方が良いと言われているときの方がつらい感じ?あと、特性ゆえに犯罪被害に遭いやすいからPTSD発症しやすいとか、閉じた人間関係にいるときに、発症しやすいから、閉じた人間関係じゃない世界に飛び込んだりチャレンジした方が、あまりつらくないイメージです。

そういうわけで、わたしは二次障害を防ぎたいあまりに社会性を失うことの方が良くない、みたいな意見(要約が間違っていたらごめんなさい)には問い自体がおかしいと思っていて、二次障害は防げるものなら防いだ方がもちろんよくて、二次障害を防ぐことと、社会経験を積むことは矛盾していないばかりか、社会経験をつむことで、自己肯定感が強まって二次障害になりにくくなることもあるんじゃないかな、と思う。二次障害を防ぎながら、社会経験をつむことって可能だし、その工夫をすることが大事なんじゃないかなと思う。

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