太ったからだが憎かった

躁状態のせいで、過活動なのもあるのだけど、過食をやめたら、一ヶ月で四キロ痩せた。

食べたくなると、体重計にのるようにしていた。
さっき、体重計にのったら、一日で一キロ痩せていたので、体重計が壊れたのかと思って、何度も測り直した。やっぱり痩せていた。

太ったからだが憎かった。セラピーでは、自分の肉に対して「死ね」と叫んだ。
わたしが嫌いな人もやはり太っていて、その人と同化していくことが恐ろしかった。自分が、嫌いな、相手と、似ている。

だから、わたしは痩せたかった。だけど、事故にあってから、本を読む集中力を失って、やることがなくなってしまった。今は、寝ることも、躁状態のために難しい。
時間が過ぎなくて、暇だから、さみしいから、いろいろなものを食べた。たくさん食べた。
だから太った。

過食をやめられるなんて、思わなかったけど、一日やめられるかな、と思った。
やめられた。途中で、少し食べたけれど、最後まで食べきらずにやめることができた。
少し、自信がついた。嬉しかった。自分が好きになれるかもしれない、予感がした。

満腹になると、おなかが苦しかった。体調も悪くなった。
それをいつも続けていた。
おなかがすくことに恐怖を感じていた。おなかがすかないように、前もって食べていた。
おなかがいっぱいになると安心した。

おなかがすいても良いんじゃないかな、と思うようになった。
おなか、すいたときに、苦しくならない程度に食べよう、と思えた。
おなかがすいたときに、それから、食べるのでも遅くない。
おなかがすくことを心配して、前もって食べることを、やめられるときは、やめよう。

たぶん、おなかが減ってはならない、おなかが減ったらおそろしいことになる、と思い込んでいた。
強迫観念、というほどじゃないにしても。

それを続けたら痩せてきた。とても嬉しい。

お腹いっぱい食べなくても、大丈夫。ふらふらしたり、めまいがするかもしれないと思っていたけれど、血糖値が上がったり下がったりする害の方が大きかったようで、慣れたら、おなかがすいてもふらふらしないようだった。
昼間、眠くなるのが悩みだったのだけど、お昼ごはんを少なくしたら、眠くなりにくくもなった。
それに慣れて来たら、夕食もあまり食べ過ぎると苦しいと感じるようになった。
野菜と豆腐と少しのお肉を食べられるように調理するのは、いつもよりも手間がかからず、楽だと感じた。

雑誌を買った。
痩せたら、こういう服が来たいなと夢想するようになった。

短時間睡眠しかできなくなったから、夜の一時に目が覚めてしまう。不健康なのだけど、やることもないので、コンビニで雑誌を買って、眺めて時間を過ごす。
食べないで、時間を過ごすことができるんだと知って、嬉しかった。

食べてしまうわたしを、自分では好きじゃなかった。お金もたくさんかかったし、からだにも良くなかった。だから、つらかった。食べると眠くなってしまったから、それも気が引けていた。

ゲシュタルトセラピーで、太ったからだを殺してしまいたいと叫んだ。
それは自分を殺すことだと言われた。
殺したいのは誰かと問われた。わたしは、嫌いな人を殺したかった。
境界線を引くレッスンをした。
わたしと、その人は別の人だ。

すぐには効果が出なかったけれど、さっき、ゲシュタルトセラピーのことを思い出した。
わたしは、嫌いな人と、別の人間になれたかなあ、もともと別の人間だったけれど。
嫌いな人は、わたしにとって、強い人間だったから、自分も強くなって対抗したかった。

でも、わたしはそんなことをしなくてよくて、関係なく幸せになっていい。

コーディネートをしてもらって、太っていても美しくなれるのだと知った。
焦らなくていいんだと思った。
少しずつ痩せよう。わたしにふさわしいことをしよう。優しくしようと思った。
コーディネータはわたしをバカにせず、優しくて、わたしを美しくするために尽力してくれた。
わたしはもう少し人を信じようと思った。
太っている自分を好きになるのは難しいけれど、殺してやるとまでは思わなくていいんじゃないかと思った。太っているなりに、美しくなる方法を教わった。

そういう経験を経て、今だけかもしれないけれど、過食をしないで済む期間ができて、マックスから四キロ痩せた。
とても満ち足りた気分だ。

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