痩せること、捨てること、執着しないこと

執着心が強かったです。

だから、ものを捨てられなかった。ものがたくさんあるときと、太っているときと、同じ気持ちだった。

痩せ始めたら、いらないものを捨てられるようになった。不思議だ。

食べることにずっと執着していたのだけど、その気持ちと、いつか使うかもしれない、とものを取っておく未練とはとても似ていた。

さみしかった、不安だった。そういう気持ちが、分厚くわたしを覆っていた。

おなかがすいたらどうしよう?必要なときに必要なものがなかったらどうしよう?

でも、なんとかなるのだった。それを経験して少しずつわかった。ないなりに、工夫して、乗り切れる。

洗練された暮らしとはほど遠いけれど、整理整頓された部屋はとても居心地が良い。

ヘルパーさんに手伝ってもらってようやく、部屋を綺麗に片付けているのだけど、気分が暗くならない。惨めにもならない。

惨めさを振り払うために、食べたくなる部分はあった。そして、よけい惨めになった。
食べるときは、それを自分に許しているのだけど、これからはダメなのだ、それをわかって食べるのだ、と思って食べようと思う。

食べること、満たされることに執着していた。
ものを捨てられないのも、執着だった。なにがなくても、別に本当は困らないのだ。
工夫によって代用品はいくらでもある。

ものを捨てるのが最初苦痛だったけれど、今では捨てるものを探している。
捨てるのはとても気持ちがいい。すっきりする。これでまた部屋が広くなって片付けやすくなると思える。
だから、嬉しい。

痩せることもそれに似ている。食べずに済むととても清々しい。

c71の著書

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