惨めを捨てる

外出していて意味もなく惨めだなあと思うことが良くあった。

その原因がなかなかわからなかったのだけれど、その理由に似合わない、古くさい、ださい、カッコウをしていたからだということがわかった。

それは、三月に、プロにコーディネートしてもらった服で外出していると、体調が悪くても、人前に出さえすれば、自信を持ち、明るく振る舞えるのに、対して、自分で選んで十年くらい着ている服を着ていると、頭も痛くなるし、その場から消えたくなるし、正しいことを言っていても、自信がなくて取り消したくなることからわかった。

無難だと思っているのに、サイズや形が合わなくて似合わなかったり、布が可愛いと思っていたのに、シルエットが合わなかったりする服というものがある。

わたしはそういうことに気がつかなくて、なんとなく「可愛いけれど、着にくい」とぼんやり感じていた。

ぼんやり思う程度だから、服が自分の精神に及ぼす影響もあまりわかっておらず、外出するときに服を決めることにもいつも悩んでいた。そのせいで、外出できないこともあった。どうでもよくなって、どうでも良い服を着て、惨めになることも多々あった。服を買ってもすぐ飽きてしまう、ということもあった。

自分の性格にぴったりした、コーディネートを経験して、そうじゃないものとぴったりのものが区別できるようになった。
そうしたら、今まで保有していた大量の古着がいやになっていた。家の中にあると思うだけでイライラした。
邪魔だと思った。でも、コートなどの大物はなかなか捨てる決心がつかなかった。

「まだ、着られる」とコートが主張している気がした。

そこで、わたしは、社会性がない行動をとった。

人に送りつけたのである。

……テロだ。ごめんなさい。

でも、そのときは、かわいいと思って送ったんだよ、まだ、着られるし、でも、わたしには似合わないと思って。

友人たちは優しいから気に入らなかったら、そっと捨ててくれるだろう。わたしの代わりに。もしくは一回くらい着てくれるかもしれない。今はそういう祈る気持ちでいる。

一回やってみて、今度は、自分で捨てようと思った。あまりにも迷惑すぎる手法だ。
ほしがってくれたら良いのだけど。
(友人はサイズが合わなかったけどc71の気が晴れたみたいで良かったし、もらって嬉しいものも入っていたから大丈夫と言ってくれた)

難点はあるにしても、人を頼るのはいい方法だ。送るのはちょっとどうかなと思うけど(でも着てくれる可能性もあるし)、他の方法で頼るのは良いことだ。
(そして、段ボール三箱分の洋服を洗って干して畳んで詰めたのは、わたしにしては、すごい成長だ。宛名書きだって昔だったら、苦痛でできなかっただろう。詰めてからだって、それを発想するのに何ヶ月だってかかっただろう。今は、躁状態であるというのもあるけれど、でも、できた。そのことをまず、寿ぎたい)

そして、今度からブランドものを買おうと思った。
福袋で買ったブランドものの服を混ぜて送ったので、罪悪感が少なかった。
処分するとき、ブランドものの方が、人にもらってもらえるか聞きやすいし、捨てるときもむしろあきらめがつく。
着心地が良いから、たくさん着るし、デザインも良い。
たくさん着ても、あまり、傷んだ感じにならないものも多い。繊細な服は、傷むけれど、繊細な服はそれはそれで美しい。
メルカリというアプリで、ブランドものの古着を買っているのだが、やっぱり、着心地が良い。
ネットショッピングは、家にいながら、買い物ができ、憧れていたブランドの服が古着で手に入るのでとても楽しい。

今は躁状態なので、お金を使いたい時期だ。これは、自分でコントロールできない。
睡眠時間も細切れで、夜11時に寝て、午前1時に目が覚めてしまう。それから、夜中起きているので、やることがなく、つい、ネットショッピングをしてしまう。
前は、過食をしていたので、少なくとも、からだへの負担が減ったと思って自分を慰めている。
やってはいけないとわかっているのに、人はどうして自分を止められないんだろうか。
本当は、やめたい気持ちもある。でも、やめられない。

買い物をしたら、幸せになると信じている。それが消せないのと、今、手に入れないと、困る、と強迫観念があって、焦っている。ヤフーオークションは危険だった。値段がつり上がっていくので、そのプロセスに興奮して、それほど欲しくないものでも落札したくなったのだ。負けたくない、という一心で。

眠れないことと、服装と、ダイエットが、今の私の関心の中心だ。

そして、今は家の中の片付けにはまっている。

さっきも書いたように、着ない服を探すのが楽しい。これも、着ないかもしれないと、こつこつ探して、あ、これもいらない、と発見すると気分が上がる。だんだんゲームみたいになっている。

わたしは片付けが下手なので、自分でコントロールできるものの量を所有しているべきだ。
今は、ヘルパーさんが来て、片付けをしてくれる。それで、わたしも見て覚えて、学習して、だいぶ成長した。
片付けは、ものの居場所を決めることと、使ったらもとに戻すこと、床に物を置かないことが大事だということがわかった。
しかし、ものが多すぎると、ものの居場所がなくなってしまう。だから、使いかけだったとしても、使わなくなったものは、さっさと捨てないと、ものの居場所がなくなってしまうのだった。

洋服のコーディネートをしてものと、自分にとって必要なものとそうでないものがあると、気づかせてもらったのは収穫だった。必要ではないものを持っていると、だんだん惨めな気分になってくる。エネルギーを吸い取られるのだ。
嫌いなものを見ていると、だんだん、心が惨めになる。

嫌いでも、便利だと思って買ったのだが、嫌いなものは、嫌いだから、便利でも使わない。

そういうことがわかった。
便利かどうか、必要かどうかで考えるよりも、好きか嫌いかで一度家の中を整理して、物がなくなって、不便になって、それから、何が必要か考える方が良いんじゃないかと思った。

不要品を捨てると気分が上がる。惨めな気持ちが捨てられる。不要品に囲まれて、狭いスペースで生活していると、気分まで惨めになるのだ。
わたしはそのことを知らなかった。でも、今は知っている。
自分の家を快適にしたい。洋服でこんなに楽しくなるのなら、インテリアも凝ってみたい。
そうしたら、だんだん、楽しい気持ちが増える。
病気が治らなくても、鬱や躁状態の変化が収まらなくても、おおむね楽しい、という状態で暮らしたいから、工夫したい。

最近は、部屋着も、着心地が良くて、色合いが華やかで可愛いものを着ている。ちょっとした外出もできるから、すぐ外に出られる。外に出ることが気軽になったおかげで、性格も明るくなった。
ちょっとしたアドバイスで、着心地が良くて、楽でいられて、からだを締め付けなくても、すっきりして見える洋服選びを教えてもらえたから、そのせいで、部屋着も素敵でいられる。

おしゃれなんて、意味がないと思っていたり、今更遅いと思っていたけれど、体調や気分に関係するから、服は買うときから、綺麗なものや好きなものを選ぼうと思った。
カラーデザインも教えてもらったから、色選びでも失敗しなくなった。
夏の色の服のものを買えば、どんなにでたらめに上下を組み合わせても変にならないから、気がらくだ。
色をたくさん使った洋服でも、彩度と明度があっていたら、すっきりして見える。華やかに見えて、貧乏くさくならない。

そんなことも、教えてもらえて、わかって、よかった。
無難だから、とか、面白いから、とか、そういう理由で買うときに、洋服を選ばないようにしようと思った。

だから、捨てるときには、明度と彩度が合わない服も捨てるし、シルエットや着心地が合わない服も捨てる。
まだ、着られても、わたしは捨てる。
わたしはもう惨めなのはごめんだ。

捨てることに慣れたら、だんだん買わなくなるかもしれない。

過食をやめつつあるように、散財もやめられるようになるかもしれない。
今はお菓子を見ても、素通りするし、友だちが目の前で甘いものを食べていても、欲しくならない。
自分のペースでいられる。焦らない。合わせないでいられる。
だから、ダイエットを始めてから、気持ちが落ち着いて、幸せになってきた。まだ、体重は少ししか減っていないけれど、ダイエットがつらいものじゃなくて、楽しいものになった。

ものを整理して処分することと、ダイエットすることは同じ精神だと感じる。
ダイエットがつらいものだと思っている間は、なかなか難しいけれど、楽しくなったら、続けられる。
ものを整理することも、楽しくなってきた。だから、今度は、散財も少しずつコントロールできるようになり、部屋も掃除したり片付けしたりできるようになると良い。
そういう希望が出て来て嬉しい。
躁状態だから、つらいし、体調も悪いけれど、良いこともあると信じたい。

c71の著書

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惨めを捨てる」への7件のフィードバック

  1. 人に送りつけているうちに、相手が嫌がって去っていきますよ。
    どうせなら、似合わない服は捨てるのではなく寄付などをしてください。あなたは自分の問題を人に押しつける傾向があるようですが、服には何の落ち度もありません。
    服 寄付 と検索すると出てきますよ。
    時々見に来るけれど、人に罵詈雑言を吐いているのは怖いからですか?傷付けられた過去があるからですか?
    ここであれこれ書くのもいいけれど、親御さんに見られるのはあまり得策ではないと思います。ネットではなく、紙にペンで少しずつ書いてみるべきです。
    不安定さは伝染します。いずれ彼氏も離れていくでしょう。そうならないうちに、安定させるためにも親とは疎遠になるべきです。

  2. あなたは誰ですか?わたしの何を知っているのですか?
    知らない人間だから、こんな差し出がましいことを言えるのか、知っている人間にもこういう態度なのか、知りたくもありませんが、どちらにしても、最低ですね。
    似合わない服をとある団体に寄付しましたよ?
    それもあらかじめ、送っても良いか、メールで問い合わせをしました。
    写真をメールに添付して、いかがですかと聞きました。
    友だちにも送るときには、あらかじめメールで写真を送ってから荷物を送りました。
    その上で、わたしの友だちがわたしから去ったとして、それは喜ばしいことじゃないですか?合わない人と無理をするのは良くないからです。あなたに関係があることですか?
    どうしてあなたは呪いを吐くのですか?
    怖いからですか?傷つけられた過去があるからですか?傷つけられた過去があったとしても、この失礼なコメントは許せません。
    わたしが好きでやっていることに、文句を付ける立場ですか?
    自分の立場を考えてみてください。指図されるいわれはありません。
    わたしの不安定さが伝染しているのは、あなただと思います。
    このブログを見に来るのは勝手ですが、あなたのために、お勧めしません。
    あと、立ち入ったことを言ってくるのは失礼ですし、社会的なことをわたし程度に知らない様子ですね。
    人に罵詈雑言を吐いて、わたしがダメな人だと思われるのは、わたしが引き受けることなので、あなたには全く関係がないです。
    お門違いも良いところです。

  3. 私はご近所からよく古着をいただきます。
    好みじゃない服が多く入っていることも多いですが、助かるし、うれしいし、ありがたいですよ。
    こちらから「ください!」とは、なかなか言えませんから、向こうから持って来ていただけるのは、ありがたいです。
    みなさん「着ないものは適当に処分していいから」とも付け足してくださるので、気を遣わないで良いです。

  4. こんにちは
    古着をもらう側の意見を聞けて良かったです。
    友だちから、着たよと写真付きでメールをもらってほっとしたところです。
    いくら大丈夫だと思っていても、上記のようなコメントが来ると不安になるので、どうもありがとうでした。

  5. 大丈夫ですよ。
    c71さんは、送る前にメールもしているし、全然失礼じゃないですよ。
    送られる側も、断るときは断る訓練も必要だろうし。
    私は、今現在、ズボンもTシャツもカッターシャツも、ご近所から頂いたお古を着て、この文章を打っています。
    着心地いいし、けっこう似合っているんですよ。
    人にあげる時、かえって失礼じゃないかなぁ〜って思うときはありますけれどね。「失礼かもしれない」ってどこかで思うことは大事だけれども、
    それでみんなが遠慮しすぎたら、物がもったいないし、寂しい。

  6. このコメント欄で文章を書くとき、
    なぜか、途中で文章を削除したり、文章を書き足すことができなくなることが多々あり、
    それで、あまり推敲が足りずに投稿してしまいます。
    多少ぶっきらぼうな文章になりますが、すみません。

  7. 全然ぶっきらぼうな文章と思いませんでした。
    失礼なことじゃなくて良かったです。
    社会的なルールがよくわかっていない部分があるので。
    でも、わたしはもらうの好きですね。
    古着も着心地が良いです。
    断る訓練って良いですね。
    お互い様ですね。

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