死んでも良かったのに生きることになった転換点は未だ分からない

意志が弱いから、過食するし太ってしまう。
刺激が欲しくて、脳を覚醒させるために自傷してしまう。
からだの痛みがひどいから、薬を飲む。
だるい、しんどい、元気が出ない。
足がむくんでつらい。

わたしは孤独ではないと言ってもらってうれしかった。
がんばらなくては。
自分を奮い立たせてもしかたがないのだけど。

ふと気がついた、結婚しなくても子どもがいなくても幸せなんだ、今、幸せだ、という感覚になれたことは嬉しかった。
あきらめにも似ているけれど、わたしはわたし。
わたしのキャパを越えることはしなくていい。できることをすればいい、と気がついた瞬間は至福。

わたしは何でも持っている。
くつろげる家も静かな部屋も、良い香りのするものも。
音楽も聴ける。
本はまだ読めないけれど、仕事も出来て、朝起きられている。お金ももらっている。
友だちもいる。
わたしに欠けているものはない。

なのに、自分を情けなく感じて、消えたくなるのはなぜなんだろう。
わたしはこんなにも幸せなのに、わたしはもっと頑張らないといけないと感じてしまう原因は何だろう。
今は考えられないけれど、頑張ることが大事なのではなくて、わたしが幸せで、好きなように、自分のあるがまま生きることが大事なのだろう。

誰かのために生きるんじゃなくて、自分のために生きること。
なぜ生きるか分からなかった時代から、ずいぶん進んだ。
死ぬ方が楽なのに、なにかしてまで生きたくなかったのに。
わたしは今望んで生きている。その転換が、どこで起きたのか、わからない。
わたしはしてはいけないと思ったことをすべてやって、わたしは最低で、でも、生きていて愛されていたから?
わたしが最高で誰からも愛されるから?

それはわからない。
わたしは明日も生きているだろうし、明日も足がむくんでいるだろう。

c71の著書

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